第22話 あんなに人の気持ちに聡い都賀くんが、市川さんの気持ちだけ気づかないなんて、絶対おかしいよ
友達以上、恋人未満。僕と笑菜の関係を表すのに、この常套句はうってつけだろう。単なる友達と呼ぶには深入りしすぎていて、けど恋人と呼ぶには想いの答え合わせという手続きを踏んでいない。
あの日、学校祭の終わり際に放たれた笑菜の言葉が、頭にこびりついていた。
どういう真意なんだ。だって、笑菜は漫画の登場人物を幸せにしてください、ってお願いしたんだ。
当然、笑菜が登場人物であるわけはないから「このお願い」に関しては対象の範囲外のはず。
無論、「お願い」どうこう以前に、近しい関係の女の子を幸せにする、っていうのはある種人間としてのテーマだったりするのかもしれない。
「……にしたってさ」
心の奥底に鍵をかけた感情が、一瞬だけ揺れ動く。
違う、もう僕に答え合わせをする権利も、資格も、持ち合わせてなんかいない。そんなわけ、そんなわけないんだから。
学校祭も終わり、完全に高校生活のイベント全てが終わった冬前の三年生の教室は、完全に落ち着きを取り戻していた。一度一度の模試の結果に一喜一憂して、理想と現実のギャップに悩む将来の分岐点に差し掛かっている彼らは、これまで以上に日々の勉強に熱を持って取り組んでいた。
それは、僕らの周りでも同じであって。
「……この三角関数の問題、どうやって解くの?」「あー、そこは加法定理で変形して」「この英語の長文読解意味がわからないんだけど……」「とりあえず意味追えないときはポジティブなこと言ってるかネガティブなこと言ってるかだけ把握しとけば絞れるよ」
街路樹の葉々も色を落とし、歩道に落ち葉も散乱するようになった日の放課後、平井さん、小岩君、僕の三人でファミレスに集まっては勉強会を開いていた。榎戸君はサッカーの練習が、酒々井さんは部活が、そしてなぜか笑菜は誘われていない。
一応僕も僕とて、受験(推薦を使う、というふうにはみんなに言っている)はする、ということにはしているので、一緒になって勉強に付き合っている。
ファミレスで数時間集中して、なんとなくのお開きムードが漂った頃、僕はふと気になったことを尋ねる。
「そういえば平井さんと小岩君、それからはどうなの?」
「……え? それから?」
「どう、って?」
「彼氏彼女と」
一応、僕が口を挟んだ関係ではあるので、その後の様子も知りたかった、っていう個人的興味からの、なんとなくの質問だった。だったのだけど、両名ともカァ、と微かに頬を赤くさせては、唯一のオーダーのドリンクバーのドリンクを一気に飲み干す。
「ふ、普通だよ、別に。それに渉くん、最近忙しそうだし」
「ぼ、僕も何も、話すようなことは特段」
「いや、上手くいってるならいいんだ」
ただ、ここで変に話題を恋バナにしたのが良くなかったみたいで、
「逆に、都賀くんはどうなの?」「そ、そうだよ、都賀君こそ」
「「市川さんと、どうなの?」」
逆に、ふたりから反撃を受けることになってしまう。
「……どうって言われても、ただの友達ですとしか言えないけど」
潮目の悪さを感じつつ、僕は当たり障りない回答を口にする。
「で、でも、学校祭一緒に回ったんだよね、市川さんと」
「それに、夏休みふたりで遊んでたし」
「……それは、笑菜に誘われたからで。別に他意なんて」
「市川さん、都賀くんと一緒にいるときが一番活き活きしているし」
「っていうかそもそもいっつも市川さん都賀君と一緒にいるし」
「単にいじり甲斐があるだけとしか思ってないんじゃないかな」
矢継ぎ早に放たれる平井さん小岩君の攻撃を、淡々とかわしていく。
……っていうか、もしかしなくても今日笑菜が誘われなかったの、これをしたかったから?
「ほ、ほんとのほんとに何もないの? あれだけ一緒にいて」
「んー、だってそのほとんどを他人の恋路に費やしたから」
「「その節は本当にお世話になりました」」
でも、と平井さんがテーブルに両手をついて、身を乗り出すと、
「それとこれは話が別でっ。都賀くんたちも見ていてじれったいんですっ」
「……それ、平井さんが言っちゃう?」
「わ、私も人のこと言えないかもしれないですけど、ぜ、絶対市川さん、都賀くんのこと好きだってっ」
「気のせいじゃない? 笑菜っていつもあんなでしょ?」
「じゃ、じゃあ、都賀くんはどう思っているんですか? 市川さんのこと」
「へ? 腐れ縁?」
「も、もう、またそうやってはぐらかそうとして」
努めて表情を変えないように答えた僕に対して、平井さんは不満そうに顔をしかめる。
「あんなに人の気持ちに聡い都賀くんが、市川さんの気持ちだけ気づかないなんて、絶対おかしいよ」
……おかしい、か。確かに、そういう意味で言えば、僕はおかしいのかもしれない。
どんなに笑菜が、僕をからかうような言動をしても、意味ありげな仕草をしても、気にしない、見ていない、聞こえてない振りをし続けたのは、おかしいのかもしれない。
「……僕が人の気持ちに聡いわけないでしょ」
「……都賀くん?」
「……それに仮に笑菜の感情がそうだったとして、平井さんたちが僕らに絡む理由なんて」
「友達のお手伝いをしたいって気持ちに理由なんているの?」
彼女の意思はシンプル、かつ直球だった。同席している小岩君も、同調するように頷く。
「私たち、都賀くんたちに残された時間はもう少ししかない。今しかないんだよ。今しか」
「それで、自分の足元を掬ってしまうとしても?」
「掬われたとしても、転んだ先がゴールラインなら大丈夫だよ」
駄目だ、何を言っても引かないつもりだ、平井さんは。
「だっ、だからっ、このままなあなあになんて──」
瞬間。窓の外から何やら大きな声が伝ってきた。
「あっ! 正志先輩だ、それに平井先輩に都賀先輩も」
どうやら、部活帰りの酒々井さんが、帰り道に僕らを見つけたみたいで、足早にファミレスのなかに入っては、店員さんに「ドリンクバーひとつ追加でっ」と告げ、流れるように小岩君の隣に座る。
「何の話されていたんですか? 珍しい組み合わせですけどっ」
正直、酒々井さんの登場に救われた。これ以上、平井さんたちに追及されていたら、ボロが出たかもしれない。頃合いと踏んだ僕は、そそくさと席を立っては、百円玉三枚をテーブルにそっと置き、
「じゃ、僕はそろそろ帰るよ」
「えっ、ちょっ、都賀くん、まだ話はっ」
逃げるようにファミレスを後にして、街灯に照らされた駅前通りを駅とは反対方向に進んでいった。
それからも、僕は頭のなかで笑菜のお願いをどうするかについて頭を悩ませながら、日々は徒に過ぎていった。
結局、笑菜を幸せにしないことで、現実世界に戻れません、なんてことになったら困るのは笑菜だろうし。
僕は最悪いい。だって死んでいるのだから。けど、笑菜には僕と違ってまだ未来がある。
笑菜には、彼女自身の作品の続きを待ってくれている読者がいるんだ。
だから、笑菜には、現実に帰ってもらわないと、僕も死んでも死にきれない。
かといって、学校関係のイベントが全て終わってしまった今、笑菜に対してどういったアプローチをかければいいか、皆目見当もつかなかった。
平井さん、酒々井さんのケースでは、いずれも笑菜がきっかけを作ってくれたから、僕でもなんとかなった。でも、今回の対象は笑菜自身だ。笑菜に仲介を頼むわけにはいかない。
つくづく、自分の対人コミュニケーション能力の低さに嫌気が差してしまう。
けど、そんな停滞した日々に変化をもたらしてくれたのは、全く予想もしていないところからのキラーパスだった。
僕、笑菜ともに推薦で大学が決まった、ということにした十二月の頭。平井さんや小岩君たちは、センター試験……って今はもう言わないのか。迫る共通一次に向けて最後の追い込みをしている時期。そんなときのこと。
僕と笑菜は、平井さんと小岩君、さらには酒々井さんに呼び出されて、普段から勉強会に使っているファミレスに連れていかれた。
「とりあえず、ふたりとも合格おめでとうございます」「おめでとう」「おめでとうございますっ、都賀先輩、市川先輩」
僕と笑菜、三人が向かい合う形で座ったボックス席。ドリンクバーのジュース片手に、まずみんなが僕らに合格のおめでとうをしてくれた。
「あはは、ありがとうー、嬉しいなー、みんなから祝ってもらえるのはーねえ? つがゆう」
「……い、いいの? 受験直前で忙しいのに」
「気にしなくていいよ。ふたりには今年たくさんお世話になったから。これくらい」
「都賀君も、市川さんも都内の私大だよね? 僕もそこ一般で受けるつもりだから、もしかしたら大学でも同級生になるかもだね」
普通だったら、他人に気を使える時期じゃないはずなのに、それでも純粋に僕らを祝ってくれる平井さんと小岩君。……僕だったら、呪いそうな気もするけど、推薦組なんて。
「それで、ね。早速本題に入るんだけど。私たちから都賀くんと市川さんに、合格祝いを兼ねた今年のお礼をしたくて」
しかし、正面にいる受験生ふたりは、そんなマイナスの感情は一切表に出さずに、テーブルに一枚のチケットを差し出した。促されて、僕は中身を確認する。
「私たち、ちょくちょくここのファミレスで勉強会してたら、ショッピングモールの福引の抽選券がたまってね? それで、福引回したら……酒々井さんが、特賞当てちゃって」
……札幌一泊二日のペア旅行券? え、まじで言っている?
「わわっ、えっ、これっ、私たちに? さ、さすがに悪すぎるよっ」
笑菜も僕が持っているチケットの文面を確認して、座ったまま体をのけぞらせる。
「小春ちゃんが当てたなら、小岩君とふたりで行けばいいんじゃないの?」
「それができたなら良かったんですけど、市川先輩、見てください。期限」
「……期限?」
酒々井さんの言葉に促され、僕と笑菜はチケットの隅に書かれている有効期限に目を移す。
「「来年の一月末までだ」」
「はい。一月末だと、さすがに正志先輩の受験終わってないですし、かといってチケットを無駄にするのも勿体ないですし」
「せっかくだから、受験が終わった市川さんと都賀くんに使ってもらったほうが、私たちとしてもいいかなって、みんなで話して」
僕と笑菜は目を丸くさせて顔を見合わせる。
いや、そんな展開ありなの? 共通ルートで善行積み続けたときだけ発生する特殊イベントみたいになってないですか、これ。
「酒々井さんが、友達と行くっていうのは?」
「さすがに、正志先輩と平井先輩で一緒になって集めた抽選券で、私個人の友達を連れて札幌に行くのは忍びないです。親にあげるのも、同じで」
まあ、酒々井さんがそう言う気持ちも理解はできる。
「い、いいの? 本当に。私たちでもらっちゃって」
「うん。だって、市川さんと都賀くんには、本当に今年、お世話になりっぱなしだったから。ふたりがいなかったら、今頃どんな気持ちをしてただろうって」
「僕も……最悪の高校生活になるはずだったのを、ふたりに助けてもらったから」
「ち、ちなみに榎戸君は? なんて言っているの?」
僕は今この場にいない唯一の当事者、榎戸君の名前を出す。
榎戸君は学校祭が終わってからは、本格的に内定を貰ったプロチームの活動に帯同するようになったみたいで、忙しい日々を過ごしているみたい。なんでも、先日プロ初出場も果たしたとか。
「渉くんに聞いたら、『初芽は俺が活躍して札幌に連れていくから、気にせず都賀たちに使わせてやれ』って」
……さすが、高校在学中からプロクラブの試合に帯同した人は言うことが違う。
どうやら、笑菜の攻略方法を攻めあぐねていた僕に飛んできたキラーパスを、スルーすることは許されないみたいだ。
後半もアディショナルタイムに差し掛かった今、みんなが繋いでくれたラストパスを、僕はありがたく受け取ることにした。
「そういうことなら……札幌、行こっか、笑菜」




