第9話 同じ鍋から
北からの手紙は、昼前に届いた。
荷運びのダナは雨除けの布を脱ぐと、懐から油紙に包んだ封筒を出した。荷を届けるついでに人を尋ね、返事を預かってきたという。レオンは受取人の名を確かめ、二階へ声をかけた。
ガルドは階段の半ばで、封筒から目を離せなくなった。
「届きましたよ」
差し出すと、ガルドは受け取る前に、両の掌を服で拭った。受け取ったあとも、すぐには封を切れなかった。
レオンは受付の端に乾いた布を置き、食堂へ目を向けた。
「ゆっくり読んでください。食堂でも、お部屋でも」
ガルドは頷き、窓際の小さな卓へ座った。爪を引っかけないよう、封筒の口を指の腹で少しずつ開いていく。紙を広げてから長い間、音がしなかった。
レオンはダナへ湯を出し、荷車の停め場所を案内した。彼女は昼食を頼み、手紙を包んでいた油紙を丁寧に畳んだ。レオンは畳まれた油紙を見てから、受付の引出しを一つ空けた。ここなら、届いた便りを濡らさず置いておける。食堂へ戻ると、ガルドが顔を上げた。
「姉が、生きていました」
声がかすれ、最後の一音が息になった。ガルドはもう一度紙へ目を落とし、書かれている場所を指で辿った。
戦争の終わりに居場所が分からなくなり、知人を辿って探していたという。北の町で布を繕う仕事をして、いまは子どもたちに縫い物を教えているらしい。
「何度か、名前が似た別の人でした。今度は、昔の家でしか呼ばれなかった名が書いてあって」
ガルドは紙の一箇所を指さしかけ、そっと手を引いた。レオンも文字を追うのをやめ、顔を上げた彼へ頷いた。
「会いに行けそうですか」
「はい。今なら、どの道を行くか分かります」
そう言って手紙を畳む指は、まだ少し震えていた。レオンは厨房へ入り、湯をもう一杯頼んだ。リタは事情を聞くと、何も言わず、小さな皿へ蜂蜜を一匙添えた。
◯
雨は昼を過ぎても止まなかった。
ベルトは朝、道の様子を見に出たが、川沿いのぬかるみを避けて、もう一晩泊まることにした。追加の宿代を払い、昼食も頼んだあと、窓際のガルドへ短く目を向けた。
レオンが火のそばで濡れた上着を掛けていると、ベルトは隣へ来た。
「よい便りだったそうですね」
「ええ。ご家族から」
本人が話した以上のことは言わなかった。ベルトもそれ以上は尋ねず、上着の袖を伸ばした。
「弟は、戻りませんでした」
雨の音の中で、その一言だけが残った。
レオンは手を下ろした。話を聞きたいと言ってよいのか、迷った。ベルトは返事を待たず、隣の椅子へ腰を下ろした。
「荷運びをしていたんです。兵ではありませんでした。どこの部隊が襲ったのかも、私は見ていない。だから、あの男に何か言っても、どうにもならない」
膝の上で、指が服の縫い目を掴んでいた。
「分かっていても、角を見ると、思い出します」
レオンにも、戦いで失った人たちの顔は浮かぶ。だが、帰ってこない弟を待った日々を、この人と同じように知っているわけではなかった。分かります、とは答えず、次の言葉を待った。
「ここで、無理に話す必要はありません」
「ええ」
「食事の席も、昨日と同じにできます」
ベルトは頷いた。しばらくして、乾きかけた上着を掌で確かめた。
「同じ食堂で食べるくらいなら。先に、時間が分かれば」
今夜は六時頃と答えると、彼は分かりました、と立った。
レオンは椅子を元の位置へ戻した。厨房ではリタが今夜の器を出している。奥の卓は今夜も空けておこうと伝えると、彼女は盆を二つに分けて置いた。
◯
夕方、強い雨が軒の下へ吹き込んだ。
玄関脇に寄せていたベルトの荷から、覆いの端がめくれた。気づいた彼が駆け寄り、布の反物を包んだ箱を起こそうとする。外側が濡れて滑り、片手では持ち上がらなかった。
レオンが受付から出るより先に、ガルドが階段の下で足を止めた。
「そちらを、持っても?」
ベルトは顔を上げた。ガルドは箱に手をかけず、返事を待っていた。
「……底を。爪は、布に触れないように」
「分かりました」
ガルドは掌を上にして底へ差し入れ、ベルトが合図してから持ち上げた。レオンは乾いた台を運び、二人が荷を下ろす場所を作った。
紐をほどくと、外側の包みだけが濡れていた。中の反物は無事だった。ベルトは端まで確かめてから、長く息をついた。
「助かりました」
「間に合って、良かったです」
ベルトは箱の中へ目を戻した。ガルドも隣から離れ、濡れた手を拭いた。乾いた包みへ替える間に、レオンは台の足元へ布を敷き、床へ広がった水を吸わせた。
持ち場へ戻る前に見ると、二人は荷の置き方について、もう一言だけ話していた。軒の端より壁寄りへ置いた方が雨を避けられる、とガルドが言い、ベルトが、自分で動かします、と答えた。
ガルドはそれ以上手を出さず、箱が壁寄りへ収まるまで見ていた。ベルトが頷くと、彼も小さく頷いて食堂へ戻った。
夕食は白い豆と鶏の煮込みだった。昨夜より汁を多くし、焼いたパンを添えてある。リタが一つの鍋から二つの椀へよそい、レオンはそれぞれの卓へ運んだ。
ベルトは奥の席。ガルドは窓際。間の卓には誰もいない。
窓の雨粒を見ながら、ガルドが匙を口へ運んだ。向こうでもベルトがパンを割った。どちらの椀からも、同じ香草の匂いがした。
食堂には、食べる音が戻っていた。
◯
翌朝、雨は上がっていた。
ベルトは食事を終えると、荷物を一つずつ確かめた。レオンも手伝い、濡れた包みを完全に乾かしてから畳む。ガルドは自分の荷を持って階段を下り、玄関で帽子を被った。
「北へ?」
ベルトが尋ねた。
「はい。まず道の様子を確かめて、隣町で必要な物を揃えます」
「橋の先は、荷車の轍が深い。歩くなら右側がいい」
昨日、ベルト自身が確かめて戻ってきた道だった。
ガルドは帽子の縁へ手を添え、礼を言った。それから、南へ行くのかと尋ね返した。ベルトが頷く。
「お気をつけて」
「そちらも」
挨拶はぎこちなかった。ベルトはまだ目を合わせる時間が短く、ガルドも声をかけ直そうとはしなかった。短い挨拶のあと、ベルトはまた荷紐へ目を戻した。ガルドも声を重ねず、靴を履き直した。昨日よりは、同じ戸口に並んでいられた。
先にベルトが出発し、ガルドは受付へ戻った。レオンは手紙を忘れていないか尋ねた。彼は胸の内側へ手を当て、あります、と答えた。
「二、三日して、北へ発つ支度ができたら、また泊まれますか」
「空室を取っておきましょうか」
尋ねると、ガルドは少し考え、一部屋を頼んだ。
予約の頁へ日を書き込み、夕食も必要かを聞いた。今度は答えが早かった。お願いします、と言ったあとで、彼は厨房へ視線を向けた。
「昨日の豆は、姉がよく煮てくれた物に似ていました。でも、ここの味は少し違う」
「それは、リタに伝えておきます」
「はい。……おいしかったと」
ガルドを見送ったあと、レオンは厨房でその言葉を伝えた。リタは手を止め、少し考えてから、次も豆にするとは限らないわよ、と答えた。
「ええ。あの人も、明日の料理を楽しみにしていると思う」
リタは笑い、籠の中の新しい野菜へ目を落とした。
裏口ではモコが、乾き始めた土間へ鼻を近づけていた。レオンが戸を開けると、短い距離を自分で歩き、庭の草の匂いを嗅いだ。もう脚をかばってはいなかった。
離れたところで水滴が落ちる。レオンは見守りながら、予約の頁に一人分の名前が増えたことを思い返した。次に来る日と、食べる人数を聞けた。その日の食事を何人分作るかも分からずにいた頃より、帳面の先の頁を開くことが増えた。戻ったら、リタにも日付を伝えておこうと思った。




