↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔王を倒した勇者は、辺境で小さな宿屋を始める  作者: Atelier Lotus文庫


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/8

第5話 給金と、もう一つの夢

 食堂の卓には、銅貨が十枚ずつ並んでいた。


 レオンは二度数え、紙の数字と見比べた。百枚で銀貨一枚。それくらいは知っているのに、食材代を引き、薪の代金を書き、残りを確かめるだけで、いつの間にか夜が更けていた。


 最初の客から受け取った金は、銀貨一枚と銅貨六十枚だった。二人分の食事を作り、湯を運び、静かな部屋へ移ってもらった一晩が、掌に収まるだけの金になっている。数え終えても、しばらく片づけられなかった。


 けれど、それがなければ次の卵は買えない。


 レオンは個人の蓄えへ手をつけず、宿のために分けた帳面を開いた。昨日までの材料費に、リタへ支払った二日分の銀貨二枚を足す。書き込んだあとで、厨房の戸を見た。


 明日は、彼女の仕事のない日だった。


     ◯


「雇ってほしい、じゃなくて、雇いたいって話よね?」


 翌日の昼、リタは椅子へ座るなり確認した。


「そうです」


「良かった。あんなに思いつめた顔で呼びに来るから、私に宿を任せて旅へ戻るのかと思ったわ」


 レオンは思わず自分の頬に触れた。どれほど頼りない顔をしていたのだろう。リタは笑ったが、卓に置かれた紙へ目を向けると表情を引き締めた。


 月の給金は銀貨十二枚。食事と住む部屋は別に用意する。締め日は開店から三十日ごととし、途中から加わる初月も同額を保証する。宿は毎日開けるとしても、二人それぞれに休みを設ける。料理と仕入れを主な仕事として頼みたい。


 読み上げるうち、レオンは声が少し速くなっているのに気づいた。


「ただ、最初のうちは宿の収入だけでは賄えないかもしれません。だから、その分の運転資金は先に分けています」


「どのくらい持つか、計算した?」


「しばらくは大丈夫です。ただ、修繕もまだありますし、見落としている出費がありそうで」


「じゃあ、何にいくらかかるか、一緒に出しましょう。私も、分からないまま引き受けたくないから」


 レオンは続きを説明しかけ、口を閉じた。一緒に計算すると言ってくれただけで、まだ働くと決まったわけではない。リタが街道で話していた、自分の宿のことが気にかかった。


「ここで働くと、その夢が遅れませんか」


 リタは紙から目を上げた。


「遅れることはあると思う。でも、泊まりの商売を覚えられる。隊商では料理をしたけど、部屋の管理も、宿一軒のお金の流れも知らないもの」


 指が、仕事の内容を記した欄をなぞった。


「私、料理だけ作って、あとは黙ってる従業員には向かないわよ」


「それは、昨日までで分かりました」


「何よ、その覚悟したみたいな返事」


 リタは少し口を尖らせたが、すぐに笑った。


「献立は、食材と予算の中で任せてほしい。高い肉を入れたい日があれば先に相談する。でも、毎朝、玉葱を一つ使っていいかまでは聞かないわ」


「お願いします。俺より分かる人に、決めてもらいたいです」


「それと、休みの日に鍋が焦げたからって呼ばないこと」


 レオンは一瞬考えた。リタの目が細くなる。


「そこ、即答する所」


「呼びません。自分で、焦がさない献立にします」


 彼女は満足そうに頷き、今度はレオンの休みを尋ねた。


 それは、まだ紙に書いていなかった。


     ◯


 午後にはドランも呼び、北側の客室を直す話をした。


 開店直後に全室を使う必要はない。だが、傷んだ屋根を放っておけば、直した南側まで水が回る。それに、泊まる客が増えてから工事で眠れなくするより、空いている間に済ませた方がよかった。


「残り三室で銀貨十八枚。今週から入って、十日ほどだ」


 ドランの見積りを帳面へ記すと、リタは運転資金から引いた残りを確認した。給金、毎日の食材、薪、洗濯に使う石鹸。修繕で使う分と営業で使う分は、同じ袋から出しても欄を分ける。


「お前ら、客が来なかった日にどう食ってく」


 ドランに問われ、レオンは貯蔵用の豆を思い浮かべた。リタは食堂の窓の外を指した。


「村から、昼ごはんを食べに来てもらえないかしら。畑仕事の人や、街道の荷運びの人に」


 宿泊しない人へ食事を出すことは、レオンの頭になかった。ドランは腕を組んだまま、昼に温かい物が食えるなら弟子が喜ぶ、と言った。


「ただし毎日違うのを十品も出すなよ。選ぶうちに昼が終わる」


「一日一種類。パンと煮込みか、具を入れた麦粥。銅貨二十五枚ならどう?」


 食材の量を見積もり、初めは六食までにした。売れ残っても自分たちの夕食へ回せる物を選び、食べた人数を記す。足りなかった日は翌日いきなり倍にせず、注文を聞いてから増やすことにした。


 夕方、ミナにその話を持っていくと、彼女は籠から豆を一掴み出した。


「昼ごはんを作りに戻らなくていいなら、私も助かります。毎日は行けないけど、雨の日は寄るかもしれません」


 レオンは何食か取り置こうとしかけ、明日の分はまた聞くことにした。畑の仕事にも、その日の都合がある。ミナは自分で選んで、食べに来てくれるのだ。


 帰り道、リタは畑を見ながら、夏には酸味のある冷たい汁物も出したいと言った。遠い町で覚えた料理で、暑い日の隊商では評判が良かったらしい。


「そのときは、俺も作れますか」


「覚える気があるなら。でも、私の休みに急に十人呼ばないでね」


「六食までにします」


「そこだけ覚えたの?」


 橋の上で笑い声が重なった。レオンは冷たい汁物の味を想像してみた。まだ分からない。けれど、暑くなる頃には食べられると思うと、夏を待つ理由が一つできた。


     ◯


 十日後、北側の仕切りが外れた。


 六つの客室、十二の寝台。全部を毎晩埋めるには、まだしばらくかかるだろう。それでも閉じた場所のない廊下を歩くと、建物の奥まで風が通っていた。


 一階の小さな従業員室には、リタの荷物が入った。道中で使っていた鍋と、何冊もの料理帳、よく研いだ包丁。レオンが重い箱を運ぶ間、リタは棚の高さを確かめていた。


「これ、少し下げられる?」


「俺が直すと、壁が心配なので」


「じゃあ、ドランさんに頼みましょう」


 名前を呼ばれた大工は、帰り支度のまま金槌を取り出した。レオンは先に追加の手間賃を聞いた。ドランが、分かってきたな、と鼻で笑った。


 雇用の紙には、二人で名前を書いた。レオンは自分の仕事を、受付、掃除、洗濯、荷運び、帳面と読み上げた。リタは自分の欄に、料理、仕入れ、厨房の管理と記し、最後に二人の休みの日を加えた。


 リタの休みには昼食の営業を休み、泊まり客への食事はレオンが作れる献立にする。彼の休みは、朝の片づけ後から夕方の受付前までを基本にした。休みの予定と食事の有無は、客へ予約時に知らせる。二人で出かける日は、滞在客の予定も確かめ、受付を再開する時刻を入口へ掲げることにした。


「休むためにも、先に分かっている方がいいのね」


 リタが欄を足す横で、レオンも予定の日付を指で辿った。先に知らせることさえ、休む支度になる。自分の名前の下にも空いた時間ができるのを、不思議な気持ちで眺めた。


 客が増えれば、決めた時刻どおりにはいかない日もあるだろう。困ったら相談する、と紙の最後に書き添えた。レオンが顔を上げると、リタも頷いた。


 最初のまかないは、豆と塩漬け肉の煮込みだった。


 洗って塩を抜いた肉は柔らかく、豆には玉葱の甘みが移っていた。二人分だけを小鍋で温め、食堂の端に向かい合って座る。


「いただきます」


 レオンが口にすると、リタも同じように言った。宿の客へ出す前の味見ではなく、自分たちが昼を食べるための食卓だった。


「おいしいです」


「どの辺がおいしい? 明日も作るんだから、少し教えて」


 レオンは匙を口へ運び直した。豆に染みた味を確かめ、次に肉を食べてみる。どちらも好きだったが、椀の底からもう一度すくいたくなるのは豆の方だった。


「豆を、もっと食べたいです」


 リタはしばらく彼を見て、それなら今度は増やすね、と料理帳へ書きつけた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。