第2話 剣より難しい釘一本
釘が曲がった。
レオンは金槌を下ろし、板から斜めに突き出た鉄を眺めた。一本目は板を割り、二本目は頭ごと埋まり、三本目はとうとう横を向いた。魔王の城門は一撃で壊せたのに、この程度の鉄が思うようにならない。
「金槌に恨みでもあんのか」
背後から声がした。振り返ると、下見で会った大工が、道具箱を足元へ置いていた。ハルカ村のドラン、五十三歳。腕は確かだと、紹介してくれた村人は口を揃えていた。口の悪さについては、もう本人から十分に教わっている。
「力を抜いたつもりだったんですが」
「つもりじゃ釘は入らねえよ。そもそも、そこに打ってどうする」
レオンは玄関前の段を示した。緩んだ踏み板を留めようとしていたのだ。ドランはしゃがみ、板の隙間へ薄い道具を差し込んだ。下の木が、湿った屑になってこぼれた。
「土台が腐ってる。上だけ留めたら、客が乗ったとき丸ごと落ちる」
レオンは足元を見た。さっき自分が乗っても、板は動かなかった。音のする場所へ無意識に体重をかけずにいたのだと、今になって気づいた。客にも同じ歩き方を求めるわけにはいかなかった。
「全部、見ていただけますか」
「そのために来た。あんたは、触った所を先に教えろ」
修繕の初日は、自分で直しかけた箇所を白状するところから始まった。
ドランは聞き終えると、金槌を取り上げる代わりに、古い板を一枚よこした。
「運ぶ仕事は頼む。ただし、外せって言った物だけ外せ。壁を一枚抜かれちゃかなわん」
「分かりました」
返事に少し力が入りすぎた。ドランは眉を上げたが、今度は何も言わなかった。
◯
二階の廊下には、六つの扉が並んでいた。
南側の三室は、雨戸と寝台を直せば使える。北側は屋根から入った水で床下まで傷んでおり、しばらく閉めておくことになった。一階の厨房にも煙突の掃除が必要で、薪置場の軒は支えを替えなければならない。
ドランは紙に数字を書きつけ、レオンの前へ置いた。
「最初は銀貨二十四枚。材料と俺たちの手間賃だ。北側まで一度にやるなら、もう少しかかる」
「三室だけで、お客さんは困りませんか」
「使えない六室より、使える三室だ。寝床を貸す前に、落ちない床を貸せ」
レオンは見積りを読み直した。褒賞金から出せば、全室を直すこともできる。だが、六室の寝具を運び、床を掃き、客を迎えるところまで考えると、今の自分一人では手が回りそうになかった。
「では、まず三室を。支払いは、いつに」
「材料代を先に半分、残りは終わってから。助け合いと勘違いして、飯だけで済ませるなよ。俺にも弟子にも暮らしがある」
そう言って、ドランは窓枠の寸法を測り始めた。レオンは懐から金を出し、支払日と金額を書き留めた。自分では直せない床にも、必要な材料と手間と、払うべき金額がある。数字にして示されると、何から始めればよいかが見えた。
昼前には、村から若い弟子が二人来た。レオンが荷車一台分の板を抱え上げると、一人が口を開けたまま止まった。
「そりゃ……どこへ置けばいいか分かるか?」
「まだ聞いていません」
「じゃあ、持つ前に聞け」
ドランに言われ、レオンは板を抱えたまま待った。弟子の一人が吹き出したので、レオンも笑った。怪力を怖がられるより、置き場所のない荷物持ちとして笑われる方が、ずっと気楽だった。
午後は材料の買い足しで村へ行った。宿から十五分ほどの道を歩くと、川に架かった橋の向こうに畑が広がり、粉挽き小屋の水車が回っていた。
ミナの家で作業中の昼食に使う卵を買うと、修繕は進んでいるかと聞かれた。
「俺の仕事は、壊す前に聞くことになりました」
「良い大工さんでしょう」
ミナは笑いながら、卵を藁で包んだ。隣の畑では豆の蔓が支柱へ伸び始めている。宿で野菜を使うなら前日に数を知らせてほしい、朝から箱へ取り分けておくからと、彼女は続けた。
「毎日、買いに来ていいんですか」
「買ってくれるなら助かります。ただ、雨の日も同じだけ採れるとは思わないでくださいね」
遠征でも、食糧は届いて当然の物ではなかった。ここでは雨と畑の具合を聞くところから始めるのだ。レオンは卵を割らないよう抱え直し、翌日は何が採れそうかを尋ねた。
帰りの橋で、風が川面を走った。宿の窓から見える川の、少し上流だった。これから食卓へ載せるものが、歩いて行ける場所で育っている。その近さが、妙にうれしかった。
◯
五日後、南側の客室に新しい寝台の板が入った。
二つずつ、計六つの寝台が並ぶ。レオンは洗った寝具を運び、窓を開けて風を通した。白い布がふくらむたび、部屋が以前より明るく見えた。
閉めておく北側の入口には、ドランが丈夫な仕切りを置いた。そこへ『修繕中』の札を掛ける。札を掛け終えると、レオンは南側の三つの扉へ目を戻した。まずはこちらを毎日整える。廊下に立ったまま途方に暮れていたときより、明日の仕事を考えやすかった。
寝具の中には、縫い目から詰め物が出ている物もあった。レオンが新しい布で強く縛ろうとすると、弟子が針と糸を貸してくれた。引き絞るより、破れた所の両側を拾って縫う。見せてもらいながら針を動かすと、指先を使うだけの仕事でも肩が凝った。
「これも、誰かに頼んだ方が早いですか」
「いずれは。でも、破れたことに気づける人がいると違いますよ」
青年はそう言って、自分の道具袋の継ぎ目を見せた。修理した跡が何本も重なっていた。レオンは客用の枕を裏返し、ほかに傷んだ場所がないか確かめてから糸を切った。
最後の支払いを終えると、レオンは食堂へ皆を呼んだ。パンと茹で卵、薄く切った塩漬け肉を並べてある。湯も沸かしておいた。
「ご馳走ってほどじゃありませんが」
「働いたあとなら、十分だ」
弟子たちはためらわず椅子に腰を下ろした。ドランは食べる前に玄関へ戻り、新しい踏み板を靴で二度踏んだ。それからやっと席につく。
卵の殻を剥く音が、静かな食堂へばらばらに響いた。レオンは向かいの青年へ塩の壺を渡し、自分のパンをちぎった。焼き直した皮は固く、中はまだ温かかった。
「お前さん、客に何を食わせるつもりだ」
卵を呑み込んでからドランが尋ねた。
「煮込みを。野営のとき、よく作ったので」
「腹が膨れるやつか、金を払ってまた食いたいやつか」
レオンの手が止まった。
弟子二人の目も、台所へ向く。誰も悪意のある顔をしていないのが、かえってこたえた。
「……まず、作ってみます」
「俺は明日から別の家の屋根だ。味見なら夕方に来てやる」
ドランはそう言って、最後の肉をパンへ挟んだ。
皆が帰ったあと、レオンは台所に立った。煙突の通りは良く、井戸から汲んで煮沸した水もある。棚には洗った器が並んでいた。器を一つ持ち上げると、掌に収まりがよかった。
試しに一人分の茶をいれ、窓辺へ運ぶ。作業中は開け放していた玄関を閉めても、もう床の隙間から風は入ってこなかった。腰を下ろした椅子も揺れない。
宿の中に、安心して座れる場所が増えていた。
レオンは茶を飲み終えてから、納屋の端で余り板を拾った。ドランに教わったとおり、釘を指で支えて板に立て、軽く叩いて位置を決める。指を離し、今度は金槌の重さだけを落とした。
四本目の釘は、まっすぐ入った。
誰に見せるでもなく、レオンは板を持ち上げて裏を確かめた。裏へ先端は出ていない。打ち方だけでなく、長さを選ぶところから教わったのだった。鍋の方も、まずは誰かに味を見てもらえばいい。
戸棚へ道具をしまい、食材を書き出す紙を取りにいった。




