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盾と癇癪玉   作者: 甲斐 雫


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6/7

6 1頭の馬と共に

 セシルは、キュッと唇を噛み締めて、ロブの元へ向かった。

「ロブ・・・領地へ帰るから」

 彼女は黒馬を馬車から外し、予備の馬具を着けて、ひらりと跨る。友でもある黒馬は、彼女の様子がただ事では無いと察したが、何も言わずに歩き出した。


 王都の屋敷にも寄らず、セシルとロブは領地へと駆けた。

 重苦しいような空気を纏いながら、翌日には館に到着する。

 急に帰還したセシルに、使用人たちは驚いたが、セシルはジャスティンの意向だとだけ答えて、詳しいことは言えないと告げた。


 そして自室に入ると、鍵を掛けていた戸棚を開け、中から袋を取り出す。

 その中には、3年の間にジャスティンから貰った小遣いを少しずつ貯めて、そこそこまとまった枚数の金貨が入っている。セシルはペンを取り紙に何かを書きつけると、袋の口を開けて折りたたんだ紙片を中に入れた。


「キャンドル夫人、これを預かっていて下さい。ジャスティン様がこの館へいらしたら、お渡しいただきたいのです。私は、直ぐにここを出ますので」

 セシルは、信頼がおける侍女頭に、袋を渡した。

 意味は解らないが、彼女の様子に何かを感じて、キャンドル夫人は袋を受け取った。

「解りましたわ。責任もって、お預かりいたします。また王都に、戻られるのですか?王女様とのご結婚が近い、という事は聞いておりますが」


 すっかり親しくなった侍女頭は、どこか不安そうな面持ちをしていた。

 セシルの今後を、案じていたのかもしれない。


「よろしくお願いいたします。行き先は・・・いずれジャスティン様が、ご説明下さると思います。どうぞ、ご心配なく」

 キャンドル夫人の気持ちはありがたいが、行き先を言うわけにはいかないセシルだ。

 軽く頭を下げて館を出るセシルは、荷物の1つさえ持たない。

 それを見た侍女頭は、彼女は何か急ぎの役目を担って、近所に行くのではないかと思い、ただお気をつけてとのみ声を掛けたのだった。



 館の門を出たセシルは、真っ直ぐにロブを駆けさせた。

 村を避けて走るうちに、海辺へ出る。

 以前ここに彼と来た時の事を、不覚にも思い出してしまった。

 ひたすら張り詰めていた気持ちが、揺らぎそうになる。

 足を止めたロブは、そこで漸く口を開いた。

『セシル・・・どこへ向かうんだ?』


 人の世界の事は何となく知っているが、感情の機微まではまだよく解らない。

 けれどセシルが、今ツラい思いをしているのはよく解っていた。


「・・・東・・・かな・・・」

 セシルはポツリと呟いた。

 あてなど無い。ただ北へ戻るつもりは無いし、西は山脈の向こうに砂漠が広がると知っている。

『解った』

 ロブはそれだけ言うと、海沿いに東に向かって走り出す。

 彼女が、少しでも早く、出来るだけ遠くへ行きたいと思っていることを、この黒馬は察していた。


 薄曇りの空の下、今は古戦場となっている土地の街道を、黒馬に乗った娘が駆けてゆく。

 遠い昔、デュランダル王国が国の存亡を賭けて戦い、勝利を手にした伝説的な地だ。けれどセシルは、現実から逃避するだけのために、その歴史を思い出していた。


 やがて大きな橋を渡る。

 石造りの立派な橋は、水量豊かな河を跨ぎ、そこから先は更に東への街道が伸びていた。


 橋を割って少ししたところで、セシルは馬を止めた。

「ロブ、少し休みましょうか」

 小川の近くで馬を降り、彼女はロブに水を飲ませる。

「疲れたでしょ?ごめんね、休みも殆ど無いまま走らせてしまって」

『・・・いや、大丈夫。まだ走れるさ』


 近くの大木の下に腰を下ろしながら、セシルは無理やり笑みを作った。

「ここまで来れば、大丈夫だと思うわ。館の皆は、私が帰らなくても近所を探すくらいしか出来ないと思うし、ジャスティンがそれに気づくのは、もっと先になるでしょうから」

 少なくとも婚儀が終わるまでは、館への連絡は無いと思う。


 そこまで言って、セシルはホウッと大きく息を吐いた。

「もう・・・ここまで来れば・・・」

 ロブは黙って傍に来ると、静かに四肢を折って伏せた。彼女の身体を囲うように、そっと身を寄せる。

 その体温が伝わって、暖かさにセシルの心は解れていった。



「私がもっと・・・素直に、真っ直ぐ気持ちを伝えていたら、こうはならなかったのかな・・・」

 好きだ、と。

 愛している、と。

 言葉にして、態度に表して、伝えていたら・・・

「彼が好きだったし、大切だったし・・・愛していたの。でも・・・出来なかった」


 身分の違いは大きかった。

 だから、いつかはこんな事が起きるかもしれないと覚悟はしていたつもりだった。

 彼の愛に溺れたくはないと思い、それ以外の存在意義を求めた。

『古の盾の乙女』

 傍にいたいと、それだけを求め、命ある限り彼を守りたいと願った。


 こんな自分で無かったら、違う未来があったのかもしれない。

 今更どうしようもないことだと解ってはいても、言葉にした途端、涙が溢れる。


「最後の願いも、断ち切られてしまった。もう警護の必要はないって、遠ざけられて・・・」

 ただの愛人の座に追いやられて、彼が訪れてくれること待つだけの日々。

 それを甘んじて受けることは、セシルには出来なかった。

 落ちこぼれの元娼婦で、それを乗り越えたいと生きて来た年月が、根底からひっくり返るような気がしたのだ。


「だから、全てを捨てて・・・逃げ出しちゃった・・・もう、いられないって思って・・・」

 涙が頬を伝って、ポトポトと落ちる。

 すすり泣くような声を聞いて、ロブが静かに言った。

『我慢しないで、泣いちゃえよ。ここには俺しかいないんだから』

 鼻先をそっと、彼女の肩へ乗せる。

 セシルは、堰を切ったように声を上げて泣き始めた。


 両腕を黒馬の身体に回し、その豊かな鬣に顔を埋めて、ただ泣き続ける。

 そんなセシルを、ロブはじっと黙って身じろぎもせず、守り続けた。



 どのくらい、時間が過ぎたのだろうか。いつの間にか陽が落ちて、真夜中に近くなっていた。

 ひそひそとした声を、ロブが聞き取った。セシルはいつの間にか、泣き疲れて眠っている。

「・・・いたぞ・・・こっちだ・・・」

 複数の、男の気配がする。ロブは、ガバッと立ち上がった。

『起きて、セシル!』


 男の数は3人で、それぞれ手に武器を持っている。野盗の類だろうか。

 馬に乗った身なりの良い女を見つけて、後を着けて来たのかもしれない。

「女は、楽しんだ後、売っちまえばイイだろ」

「馬も売れるしな」

 起き上がったロブとセシルを見ながら、男たちが取り囲んできた。


 ロブは威嚇するように前脚を上げ、地面を叩いた。嘶きながら暴れるが、男2人の連携で轡を取られてしまう。

 セシルの方は、起き上がったものの、脱力感で動けなかった。

「大人しくしてりゃ、痛い思いもしなくて済むからよ」

 3人目の男が、飛びかかるように押し倒してきた。


 何もかも、どうでもいい・・・

 暴力的な行為は、初めてというわけでもない。

 投げやりな気分で、仰向けになったまま夜空を仰いだセシルに、馬の悲痛な嘶きが聞こえた。

(そうだ、ロブ!)

 自分だけじゃない!ここには、大事な友がいる!


 セシルは、男に捲り上げられたスカートの下にある携帯用の盾を掴むや、素早くそれを外して、一気に振り抜いた。

 ザシュッ!

 ギャァッ!

 盾の縁は鋭く研いであり、剣並みの威力がある。

 男は首を押さえて転がり、のたうち回った。


 バッと立ち上がったセシルは、慌てて振り返った男の1人に向かって数歩駆け寄り、再び盾を振る。体の回転で威力を増した一撃が、男の腹部に炸裂した。


 ロブも轡を取られたまま、思い切り首を振る。1人の男の力など、馬の全力には敵わない。

「ウワァっ!」

 振り回された男は、傍の大木に叩きつけられて昏倒した。


『セシル!乗れ!逃げるぞ!』

 ロブが叫ぶと、セシルはハッとして駆け寄り、即座にその背に跨る。

 黒馬は、全速力でその場を後にした。



 夜の闇の中を駆け、人家の明かりが見えた所で、ロブは自ら足を止めた。

『大丈夫か?セシル?』

 荒い息を整えながら、ロブが聞いた。

「うん・・・大丈夫。ありがとう、ロブ」

 セシルは馬の背から降りながら、息を整える。

 空は明るくなりつつあり、夜明けが近いと思われた。


「・・・私、人を殺しちゃったかも・・・」

 ポツリと呟いたセシルに、ロブは一瞬目を見開いたが、彼女にとっては初めての事だったのだなと思い、明るい声で答えた。

『さぁな?けど、多分大丈夫じゃないか?互いに手当くらいはするだろうし、そもそもありゃ、自業自得ってもんだ。セシルは、正当防衛だったと思うし、ヤツらはこれに懲りて、悪事を止めればイイと思うぜ。懲りるような頭があれば、だけどな。アイツら皆、あっぱらぱーな顔してたしな~~』


 セシルは一瞬驚いたような顔になるが、直ぐにプッと吹き出した。

「ロブに掛かると、深刻な話が笑い話になるわ」


『いい友人、いや友馬だろ?・・・まぁ、それはイイとして、セシルは凄い顔してるぞ』

「えっ?」

 慌てて顔を触ってみれば、涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃ。そのまま乾いてしまったようで、ゴワゴワでバリバリだ。

 おまけに瞼は盛大に腫れてしまって、半割のゆで卵くらいの大きさになっている。

「・・・ぅ・・・顔、洗いたいわ・・・」

 顔を背けながら言うセシルは、流石に相手が馬でも、こんな顔は見せたくないのだろう。


『あそこに家があるから、井戸を借りに行くか?』

 見れば人家の明かりは消え、住人が外に出て来ていた。街道から少し入ったところにある家は、農家なのかもしれない。

「そうね、何か食べるものを分けて貰えるかもしれないし・・・お金なら、金貨数枚なら上着の内ポケットに忍ばせてあるから」


 セシルはそう言って、胸を押さえながら話し始めた。

 その口調は、いつもの彼女に戻っている。


「彼から与えられたものは全て、置いてきたつもりだったけど、この金貨の事はすっかり忘れていたわ。それに、今にして思えば、来ている服も装備している盾も、彼のお金で買ってもらったものなんだから、全てなんて置いていかれなかったのよね」

 まさか、素っ裸で逃げ出すわけにもいかなかったし、とセシルは苦笑いを浮かべる。


「一応、今まで溜めていた金貨は、馬1頭と馬具ひと揃い分とかの代金のつもりで置いてきたけど、もしかしたら足りないかも知れないし・・・そうすると私は、馬泥棒なのかもしれないわ」


『あ~~~そりゃもう、逃げるしかないわな。国外逃亡して、捕まらないようにしようぜ。なぁに、そういう生活をしてる人間も多いさ』

「何だか、裏社会で生きる人間になりそうだけど、とりあえずは生活費は稼がないといけないからねぇ」


 捨てられて逃げ出した愛人よりも、馬泥棒の逃亡者の方がマシだと笑い飛ばすロブに、セシルは心から笑って見せた。


「そうね、ロブと一緒なら、笑いながら生きていけそう・・・」

 セシルは泣きはらした顔を、登る朝日に向けた。


 この先には、東列強諸国と呼ばれる国が、数多くある。

 今いるこの辺りは、カナロア王国との国境に近いだろう。

 カナロア王国の他には、パルメリア王国やシュタット公国など、様々な国があって、人口も多い。


 そんな場所で、前を向いて生きて行こう。

 晴れやかな顔で、セシルは一度だけ後ろを振り返った。

(さようなら、ジャスティン。ごめんなさい。ありがとう)

 心の中で呟き、足を踏み出す。


 グゥゥゥ~~~


 その途端、お腹が盛大に鳴った。

「そう言えば、ずっと食べてなかったわ。お腹が空いちゃった」

 セシルはロブと、肩を並べて歩き出した。




 それから、3年の月日が流れた。


 セシルはロブと共に、東列強諸国を渡り歩いた。

 ギルドと呼ばれる依頼斡旋所で、様々な依頼をこなして生活費を稼ぎながら、冒険者として身を立ててゆく。盾術の実践の機会も増え、やがていつしか『黒盾の女戦士』と呼ばれるまでになる。

 その間に、自分と同じ『セシリアの遺物』を持つ者たちと巡り合った。


 ヨウムと言う鳥を連れた『セシリアの遺物・鳥』の絆持ちのアスティー。

 彼女は破天荒な王女で、その髪の色から『紅双刀の女傑』と呼ばれている。


 灰色の大型犬との絆を持つセリフォスは、諸国を放浪していた無頼漢。


 黒猫を連れたシュネルは、腕の良いシーフである。


 セシルは、そんな彼らと幾つもの難事を乗り越えて、今は仲間として信頼の置ける関係を築いていたが、それは別の話になる。


 ある日、北に位置するパルメリア王国の居酒屋で、仲間たちと食事をしているセシルの耳に、酔客たちの会話が漏れ聞こえて来た。


「・・・つうコトは、デュランダルは今、政情不安なのか?」

「いや、そこまでじゃ無いんじゃねぇかなぁ。謀反の計画は、未然に防げたみたいだしな」

「俺が聞いた話じゃ、元皇太子が幽閉されたってコトで・・・」


 セシルは思わず立ち上がり、男たちのテーブルに近づいた。

「その話、詳しく聞かせて。奢るから」

 テーブルにパチンと音を立てて、金貨を1枚置く。

 けれど、男たちからは、それ以上の情報は得られなかった。


 セシルは自分たちのテーブルに戻り、暫く考えてから言った。

「悪いけど、暫く単独行動させて。デュランダルに行くから」

 仲間たちは、セシルの過去をある程度知っている。一緒に行こうかと言ってくれたが、それはセシルが断った。

「気になることを、確かめてくるだけ。終わったら、直ぐに戻るから」


 そしてセシルは、単騎でデュランダルへ向かった。



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