5 隣国の王女
ある日、王都に滞在している時の事だ。
王宮から呼ばれたジャスティンが、セシルに言った。
「毎回、付いてこなくても良いぞ。待っている間、暇だろう?行きたいところや、やりたい事があるなら、セシルの好きなようにしてくれて構わない」
3年もの時が経っても、セシルの王宮内での待遇は変化が無かった。
ジャスティンの命を脅かすような出来事も無く、平穏な日々が続いているので、『古の盾の乙女』としての出番は無いのだ。
当然、セシルが王宮に同伴するのは、元皇太子でリヴェール公の彼が愛人を連れて来ているという認識で、それを周囲に改めさせることが出来ずにいる。
ジャスティンは、家族である国王一家にセシルを紹介したいと思い続けてきたが、状況の変化も無いまま、そのチャンスを逃していた。
国王一家も、セシルの存在を知ってはいたが、敢えてそれに触れないようにしていた。正式に結婚したいと息子が言い出せば、全力で反対するつもりでもある。
だからセシルは、毎回控室で彼を待つ。
3年間ずっと、ぞんざいな扱いを受けながらも、特に気にすることも無く時間を潰していた。
「いいえ、ご一緒させて下さい。やりたい事も行きたいところもありませんし、本を持ってゆくので、待ち時間は苦になりませんから」
ジャスティンの気遣いを受け取りながらも、セシルは穏やかに断った。
「そうか?それなら、良いのだが」
気を悪くすることも無く、ジャスティンは鷹揚に答える。
「ありがとうございます。いつも通り、ご同行させていただきますね」
セシルはにこやかに言って、厩に向かった。
ロブと他に3頭の馬が引く馬車に乗って、ジャスティンとセシルは王宮に向かった。
天才を自称する黒馬は、普段は普通の馬としての仕事をこなす。セシルたちを待つ間は、馬車の待機場所で他の馬たちと簡単な意思疎通をして、様々な情報の断片を集めもしていた。
『しっかり会話できる馬は少ないけど、それでも歳を重ねた馬は、ある程度の人語を解するものなんだ。誰が何処に、どのくらいの頻度で行くのかとかが聞ける。その馬の屋敷内で起こった事を、厩番から聞いたと言って、教えてくれたりもするんだ』
ロブは、馬同士もそれなりに会話らしいことが出来る、と言う。
大事件が起きなくても、『セシリアの遺物』で結ばれたセシルのとの生活を、ロブは楽しんでいるようだった。
けれどその日は、いつもと違っていた。
ジャスティンが国王たちが待つ部屋に入ると、雰囲気が違う。
「ジャスティン、リヴェール公であるそなたに、縁談が持ち込まれた」
開口一番、国王レコルト・デュランダルが告げる。
「そろそろ、正式に結婚をした方が良い年齢でしょう?リチャードの方は、まだ選定中ですが、兄である貴方が先に身を固めておく方が良いと思いますのよ」
王妃グレイスも、にこやかに付け加える。
「・・・いや、私は・・・」
けれどジャスティンは、断りの言葉を口にしようとした。
公的に認められてはいないとは言え、セシルがいるのだから。
けれど国王は、彼の言葉を遮った。
「最後まで聞きなさい。相手はギムレット王国の第7王女、ルヴィニア嬢だ。年は18で、1年前に婚約者を事故で亡くしている。婚儀直前の事だったそうだ。知っての通り、ギムレットはデュランダルの長年に渡る友好国だ。これまでに、何度も婚姻関係を結んでいる」
「ですが、陛下。18ならば、リチャード皇太子のお相手でも良いのでは?」
ジャスティンは、軽く眉を顰めて口を挟んだ。
「それも少し考えたのですが、皇太子妃となれば、条件的に弱い部分があるのですよ」
王妃が、表情も変えずに答える。
現在のギムレット国王は子沢山で、第7王女では持参金などでの折り合いがつかないと見えた。
「皇太子の座を譲っても、そなたは国王の息子であることに変わりはない。国益のために、嫁を貰うのは当たり前だろう。まぁ、こういう事は今までも有ったではないか」
確かにそうだ、とジャスティンは思い出した。
皇太子となってからは、婚約者の候補が途切れた事が無かった。それは周囲が勝手に決めたことで、彼の与り知らぬことだ。
15歳になった頃からは、幾つもの肖像画が届き、いつの間にか婚約者が出来ていたこともあった。けれど様々な事情から、顔を合わせることは無いまま、話が立ち消えていたのだ。
1人の女性以外は。
それは唯一顔を合わせた婚約者で、東の王国カナロアの第1王女だった。
事前の打ち合わせに則って国境近くの町まで行き、やって来た王女との対面式で、ジャスティンは癇癪を起した。
相手の言動一つ一つが癇に障り、その容姿も含めて受け入れがたかったのである。
カナロアの王女は、怒って帰国した。
(・・・会ってみて、婚約破棄になった事もあったな・・・)
だったら、会うところまではしても良いかも知れない。自分の性癖は、向こうも調査済みだろう。だからこそ、カナロア第1王女の事件以降は、縁談の打診も滅多に無くなったのだから。
そして、ジャスティンは思い知った。
セシルの事を知りながら、縁談を勧めて来る両親の考えを。
彼らは、認めるつもりなど全く無いのだ。彼女との結婚を。
いや寧ろ、彼女の存在など、歯牙にもかけていないのだろう。愛人、あるいは妾として、傍にいおくなら良いとさえ思っているのかもしれない。
ジャスティンは、腹の底から大きなため息をついた。
「解りました。会うだけは会う事にします」
帰宅後、ジャスティンはセシルに全て話した。
「・・・と言うわけで、ルヴィニア王女と会う事になった」
肖像画の交換は、既に終わっている。向こうがこちらに来て会うという事は、婚約が成り立ったという事になる。それが王族同士の婚姻への、常識的な流れなのだ。
セシルは悲しむだろうか?
ジャスティンは、窺うように彼女の顔を覗き込んだ。
そうなったらば、婚約が破棄されることもあるのだと、お前だけが妻だと思っているのだと、告げるつもりだった。
けれど、セシルはジャスティンの言葉に、一瞬表情を引き締めただけだった。
「・・・そうですか」
穏やかに答えたセシルは、ただこの時が来たのだと思っていた。
ジャスティンの身分ならば、当然のことだ。もっと早くに、この時が訪れてもおかしくはない。いや寧ろ、今までそんな話が無かった方がおかしいくらいだ。
「セシル・・・俺は・・・」
彼女の反応に驚きながらも、ジャスティンは自分の気持ちに変わりはないと言おうとする。けれどセシルは、それを遮った。
「私は、大丈夫ですから」
微笑んで言う彼女の顔には、微かに諦めが混じっているように見える。
「そうか・・・すまないな。ありがとう、セシル」
ジャスティンは、彼女の身体をそっと抱きしめた。
セシルは、解ってくれている。
彼は、ただ安堵していた。
その夜、セシルは彼の腕の中で、眠れないままずっと考えていた。
(こうなることは、ずっと・・・何時かは、あるだろうと思っていたこと。これから先は、どうなるか解らない・・・けれど)
どんな状況になっても、譲れないものがある。
(私は、『古の盾の乙女』として、彼の傍にいたい・・・でも、それは、難しいかもしれない)
自分自身の存在意義だけは、手放したくは無いと思う。
けれど現状は、厳しい。
どうすれば、良いのか。
セシルは、答えの出ない問いを、カーテン越しに差し込む月明かりを見つめながら、何度も繰り返した。
ひと月後、ルヴィニア・ギムレット王女がデュランダル王国へやって来た。
事実上の婚約成立で、王女はそのまま滞在し、婚姻に向けての準備を行うことになる。
けれどジャスティンは、その間に婚約が破棄される可能性もあると、暢気に構えていた。
そして顔合わせの場に、ギムレットの重臣に囲まれて部屋に入って来た王女は、彼の予想を完全に覆した。
(・・・小柄だな。確か、18歳と言うことだったが・・・)
淡い薄桃色のドレスに、北方系の金髪と菫色の瞳。抜けるほど白い肌と、それを生かす化粧。
どこか寂しげな様子なのは、婚約者を亡くして間もないからだろうか。
けれど精一杯にこやかに、微笑んでいるのが健気だと思う。
(思い通りに行動できないのは、王族の常だからな。特に女性だと、逆らうことなど出来るはずも無いだろう・・・)
ジャスティンは、王女に同情する。
そして、昔の事を思い出した。
(以前婚約した王女は、見た瞬間からその傲慢さや解る顔つきだったし、言動もどこか居丈高な部分が端々に感じられたが・・・)
優雅で完璧な挨拶を終えると、ルヴィニア王女は慎ましく一歩下がって待つ。
ジャスティンも型通りの挨拶を返したが、王女に対する興味が芽生えていた。
王女は宮廷に留まり、周囲は2人の仲が深まるように様々なお膳立てをする。
庭園の散策やお茶会が、毎日のように行われた。
そんな中で、ジャスティンはルヴィニア王女と会話を重ね、次第に彼女に好意を抱くようになった。
セシルにはない魅力を、感じるようになってしまったのだ。
嫋やかで優しく、儚げで素直な王女は、温室咲きの花のようだった。
守ってやりたいと思いたくなる風情は、王女の素の気質なのだろう。高貴な身分でありながら、相手の男性を立てる謙虚な姿勢が自然に現れ、控え目で大人しい性格は、第7王女と言う立場が育てたものかもしれない。
王女に、ジャスティンを惹きつけるものがあったと言うだけの事だ。
そんな日々を、セシルは彼の身辺警護をこなしながら、淡々と送っている。
王宮の中では、さり気なく彼から少し離れた場所で、目に触れないよう充分注意して周囲に気を配る。屋敷と王宮の間の行き来は、馬車に同乗せずに騎馬での追従に留めた。
普段と変わらないセシルの様子に、ジャスティンはホッとする気持ちを隠せない。
(おそらくこのまま、王女と結婚するのかもしれないが・・・セシルなら解ってくれるだろう。王女との婚姻ともなれば、もっと広い領地が与えられるはずだが、今のリヴェール公領はそのままにして貰えれば問題ない)
セシルは、今までと変わらない生活が出来るのだから、と彼は考えている。
そして自分は、時折通えば良いだろうと。
そして婚約披露の舞踏会を数日後に控えた日、ジャスティンはルヴィニア王女と一緒に庭園へ出た。
他愛ない話をしながら、美しい花々に彩られた庭園を歩く2人だが、ふと王女が視線を巡らせた先に、木立の陰にいるセシルがいた。
気配を消し、木の幹に半身を隠しながら、今までのように控えていたセシルだったが、頭上で鳥が鋭く鳴いてしまい、運が悪かったとしか言いようがない。
「あれは・・・あの方は・・・」
ルヴィニアの呟きに、ジャスティンも気づいてしまう。
「あ・・・・彼女は警護の者だ」
けれどルヴィニアは、彼の言葉に少しの間沈黙し、やがておずおずと口を開いた。
「・・・・もしかしたら、セシル・コートと言う方ですか?」
ジャスティンは、思わず身構えてしまうが、王女は申し訳なさそうに続ける。
「こちらへ来る前から、知っておりました。けれど・・・私の父である国王にも、一番上の兄にも、そういう女性がおります。それは仕方が無いことだと、教えられてまいりました」
ジャスティンは、肩の力を抜いた。
王女は俯いているので、その表情は解らない。けれど、感情に任せて非難するような様子はない。
王女は、けれど静かに顔を上げて、悲しそうに言った。
「ですが・・・今、このような時に、彼女の姿を見るのはつろうございます。我儘かもしれませんが、見たくないのです。私は、ジャスティン様を・・・お慕い申し上げておりますので」
最後に彼女は、頬を染めて俯いた。
王女にとっては、精一杯の告白だったのだろう。
「ルヴィニア殿・・・・」
心臓が、キュッと音を立てたような気がした。
可愛らしい、と。
守ってやりたい、と。
けれど、ふと疑問が浮かぶ。
「デュランダル王国に来る前に、私のことも聞いていたのではないのですか?」
セシルの事を知っているなら、自分の性格、癇癪持ちで気難しいことも知っているのではないかと思うジャスティンだ。
「はい・・・正直に申し上げれば、お会いするのも怖かったです。ですから、覚悟をしておりました。けれど、お会いしてお話して、安心いたしました。聞いていた事とは、全く違っておりましたので」
ルヴィニアは、無垢な微笑みを湛えて答えた。
(ああ・・・これは、もう・・・結婚するしかないな)
ルヴィニア王女を、正式な妻として迎え、公式に夫婦となる。
そして彼女を大切に守り、皇太子の兄として生きてゆこう。
幸福感を味わいながらも、彼はセシルの処遇を考えなければならないと思っていた。
王女を部屋に送っていくと、ジャスティンはセシルの元へ向かった。
「セシル、領地の館へ戻ってくれ」
彼は少しだけ申し訳なさそうに、けれどはっきりと告げた。
「え?・・・リヴェールの館へ帰れと?・・・警護は?」
セシルは、いきなり告げられた言葉に、平静を装うことも出来ない。
「当分の間、王宮に滞在しなければならない。色々と忙しくなるし、陛下からもそうするように言われている。王都の屋敷との往復は無くなるし、今の状況では王宮内での身辺は安全だと思う。警護も他の者で大丈夫だ」
彼が忙しくなるのは、婚儀に関するあれやこれやがあるからで、これは婚約から成婚までの流れが確定したという事だ。
そしてジャスティンの安全は、この婚姻が外交上とても重要で、この時期に彼を害するような真似はリスクが高すぎるので保障されている、という事なのだ。
呆然とするセシルに、ジャスティンは優し気な口調で続けた。
「すまないが、王女がお前の姿を見たくないと言うのでな。こんな時期だし、それも当然かと思う。馬車を使って、気を付けて帰ってくれ」
セシルが領地へ帰った後のことは、何も言わない。
けれどセシルは、そこで待てという事なのだと察した。どのくらい待つのか、解らないが。
そして彼の言葉は、『古の盾の乙女』を解任されるのと同じ意味だと理解する。
セシルは、必死に平常心を保ち、何とか答えた。
「解りました・・・」
そしてセシルは、『古の盾の乙女』としての作法通り、右手を胸に当てて腰を屈める。
下げた頭は、いつもよりずっと深かった。




