4 セシリアの遺物
その日は朝から、館中が何となくそわそわしていた。
使用人たちが、侍女頭のキャンドル夫人を筆頭に、早く日常の仕事を片付けたいと思っているような節がある。
ジャスティンが聞いてみると、小太りの侍女頭は申し訳なさそうに答えた。
「村に、今日一日だけの市が立っているのでございます。普段はこの村には立ち寄らない隊商が、橋が落ちて迂回して来ていて、村長の頼みで今日だけ商売をしてくれるようになったのです。かなり大きな隊商なので、品揃えも良いらしく、私どもも少しでも早く買い物に行きたいと思いまして」
成程、とジャスティンは頷いた。
(今日だけ、か・・・セシルを連れて行ってやりたいが、生憎今日は忙しい・・・)
今日中に書き上げて送らなければならない書簡や書類が、何故か今日は多かった。ザっと見積もっても、全て終わらせるのは夕方前になるだろう。
(仕方が無い、セシルだけでも行かせてやろう)
そして彼は、セシルに小遣いだと言って、金貨が入った小袋を渡す。
「好きな物を駆って来るといい。だが、決して危ないことはするなよ。平和な村だからそうそうあるとは思わんが、妙なことに首を突っ込まないようにな。領主の妻らしく、振舞ってくれ」
最期の言葉に少し引っ掛かりを覚えたが、久しぶりの独りの外出を喜ぶセシルだった。
村はずれに立った市は、この村では珍しい程の賑わいを見せていた。
珍しい香辛料や新しい本、ピカピカの鍋や便利そうな調理器具。流行のデザインの服も、この辺りでは手に入らないような食材も全て、村人たちにとってはキラキラ光る宝物のように見えただろう。
けれどセシルには、特に買いたいと思うような品は無かった。強いて言えば新刊の書籍くらいだったが、それだってジャスティンに頼めば王立図書館から借りて来てくれるだろう。
(見て回るだけでも、面白かったから良いんだけど・・・)
ひと通り見て回って、そろそろ帰ろうかと市の外れまで来た時、ふいに声が聞こえたような気がした。
『おい、アンタ、『セシリアの遺物』を持ってるな』
「は?・・・誰?」
聞こえた方角も解らないまま、セシルは辺りを見回す。
そこは柵に囲われた狭い場所の近くで、数頭の馬と牛がのんびりと草を食んでいる。おそらくそれらの家畜も、売り物なのだろうと思われた。
『こっちだ・・・柵の中』
「え?・・・柵の中って?」
人などどこにもいないが、と思いつつ柵の傍まで歩み寄る。
すると1頭の馬が、待っていたように頭を突き出して来た。
『この村に来てから、ずっと感じてたんだ。『セシリアの遺物』を持つ者が、近くにいるってな』
あまり手入れをされていないように見える黒馬は、その鼻面をセシルの胸に軽く押し付けた。
「えっ、馬・・・馬が喋ってるの?そう言う馬がいるなんて、知らなかったんだけど」
呆気に取られて呟くセシルに、馬は小さく溜息をついた。
『ハァ・・・色々とワケがあるんだよ。とりあえず、先ずは見せてくれ』
「あ・・・はい・・・」
この馬が言っているのは、服の下に隠しているペンダントのことだろうか。
よく解らないが、胸の中にあるのはそれだけだ。
セシルは、胸元からチェーンを引っ張り出し、その先についている小さな銀の馬を見せた。
『・・・・これだ』
暫く凝視していた黒馬は、ポツリと呟いた。
何が何だか解らずにいるセシルだが、馬は続けて口早に伝えて来た。
『詳しい説明は、後でする。とりあえずアンタは、俺を買ってくれ。さっき値段交渉していた男がいたんだが、戻ってくると厄介だからな。さあ、さっさと行ってくれ』
セシルは促されて、こちらへ近づいてくる売り手らしい男の方へと足を進めた。
黒馬を引いて館へ帰る道々、人気の無い場所に来ると、不思議な馬は問いかけた。
『聖セシリアって、知ってるか?』
「ええ、歴史の講義で教わったわ。確か『盾の乙女』の2代目の隊長だった女性で、不思議な力を持っていて、長寿だったけど亡くなるまで若々しい乙女のようだったって。伝説みたいな話かと思ってたけど」
養成所にいた頃、当然だが、『盾の乙女』の歴史については学んでいた。当初は、高貴な女性を守護する目的で設立された組織だったのだ。
聖セシリアは、数百年前の伝説的な人物だった筈だ。
『ふぅん・・・俺は人の伝説なんて知らんが、そのセシリアって女性が持っていて、亡くなった後に『セシリアの遺物』って呼ばれるようになったのが、アンタが持っているその馬のペンダントなのさ。俺はそれを、俺の母親から聞いてる』
「・・・はぁ・・・とりあえず自己紹介しておくわ。私は、セシル。貴方は?」
アンタと呼ばれるのは気にならないが、こちらは何と呼べば良いか解らないので、聞いてみた。
『セシル、か。・・・俺は、ロブと言う。母親の祖先は、高貴な方の愛馬で軍馬を務めた漆黒の馬だったそうだ。その血を受け継いだのが、セシリアの愛馬で、それから代々『セシリアの遺物』についての話を伝えて来た』
ロブと名乗った黒馬は、話を続ける。
『セシルが持っているそれは、遺物と絆を結んだ馬と話が出来る代物だ。俺の家系の馬は、その存在を察知する能力があって、巡り合った時に人と絆が結ばれると聞いている。母親の話では、今までに何頭か、持ち主と巡り合った馬がいたそうだ』
セシルは、しげしげと馬のペンダントヘッドを見つめた。
「・・・何だか壮大な話みたいだけど、何で私がこれを持っていたのかも解らないのよね」
養成所に連れてこられる以前の事は、全く覚えていないセシルだ。本当の両親も知らず、落ちこぼれの娼婦として生きて来た身の上である。
「それに、この先これが必要になる状況も、ありそうにないんだけど・・・」
軍馬が必要になるような戦場へ、出るようなことは無いと思う。
『まぁ、良いじゃないか。とりあえず、喋れる馬を愛馬にしてもさ。俺は『セシリアの遺物』を持っている人間としか話せないし、それ以外は普通の馬だぜ』
ロブは普通と言うが、人と普通に話せる知性を持つだけで、充分凄い馬では無いかと思う。
『馬同士なら、普通に意思疎通は出来るから、色々と役に立つこともあるんじゃないかな。『セシリアの遺物』は、他にもあるそうだから、遺物と絆を結んでいる動物同士だと話が出来るそうだ。俺はまだ、会ったことは無いけど』
何だか新しい情報が多すぎて、整理をするのが大変だ。
「ちょっと待って・・・ええと、他にも『セシリアの遺物』があるのね。それってどんな物?これと同じなの?」
『母親から聞いているのは、馬の物は1つだけってことだけだな。他の動物の物が、あるのかもしれないが、俺には解らない。だが、近くにいれば存在は解るって言われた。で俺は、俺に子供が出来たら、それを伝承しなきゃいけないんだ。牡馬だと、凄く難しいんだけどな』
確かにそうかも、とセシルは思う。
馬にとって、父親は常に傍にいる存在ではないのだ。今ロブという存在が、ここにいること自体が、奇跡のようなものかもしれない。
『あ、そうそう。大事なことを言っておかないとな。『セシリアの遺物』は他の誰かの手に渡ると、絆は切れてしまう。だから肌身離さず、常に身につけて置いた方が良い。一時的に外すのは、問題無いと思うけどね。それと、それが遺物であることや、馬と話せるなんて力も、誰にも言わない事。秘密にしておくことだ』
(ジャスティンにも、言うことは出来ないのね・・・)
セシルは、彼にも言えない秘密を抱えてしまったことになった。けれど、これは仕方が無いと思う。
「・・・解ったわ。とりあえず友達として、これからよろしくね、ロブ」
馬の友達なんて初めてだが、これだけ話が出来るなら多分大丈夫だろう。人同士ならここで握手でもするのだろうが、相手は馬なのでそうもいかない。セシルは手を伸ばして、黒馬の首を優しく撫でた。
「ところでロブって、何歳なの?」
ふと思いついたように、セシルが何気なく尋ねた。
『え?・・・5歳馬だな』
「ええぇっ!もっとずっと年を取ってると思ったけど・・・生まれてから5年しか経ってないのに・・・人間の5歳児だって、そこまでこんな風に話せないわ」
驚きのあまり、思わず大声になってしまうセシルだ。
けれどロブは、片目だけでチロリと彼女を眺め、フンと鼻を鳴らした。
『天才、ってコトだな。凄いだろ?』
ドヤ顔を見せた黒馬は、館が近づくとサラリと普通の馬モードになる。
セシルは、妙に楽しい気分になった。
(馬が友達って、何だか面白そうね・・・)
養成所時代も、親しい友人と言える相手はいなかった。ジャスティンに引き取られてからは、気の置けない話し相手さえまだいない。
セシルは軽い足取りで、館の門を潜るのだった。
小遣いの全てを使い、買って来たのは1頭の馬。
流石に、ジャスティンは驚いた。ドレスや宝石などには興味が無さそうだとは解っていたが、珍しいお菓子や小物などもあっただろうに、と思う。
けれど、いかにもセシルらしい買い物だと思い直し、嬉しそうな彼女の顔を見るだけで満足したジャスティンだった。
穏やかな日々は、続いた。
2人が暮らし始めてから半年後に、ロブの情報でジャスティンを陥れる計画が解ったが、それはセシルが事前にこっそりと潰しておいた。そして彼女は、それを彼に伝えることはしなかった。
また彼が癇癪を起しそうな内容でもあったし、未然に防げたなら特に耳に入れる必要は無いと判断したからだ。
表面上は何事も無かったように、日々は流れた。
セシルはロブと一緒に、領地の中を駆け回り、武術の師であるフォースとの鍛錬を続け、己の技量を高めてゆく。
王都にいる間は、『古の盾の乙女』として、王宮内はもとより、街中に出る時も可能な限り彼の傍にいる。
ジャスティンも、王立図書館長の仕事にも慣れ、国王一家との交流も順調だった。
皇太子を辞した直後は、どこか警戒するような目を向けていたリチャード派の貴族たちも、少しずつ落ち着いてくる。寧ろジャスティンが、温和な態度を見せるようになって、彼を見直す貴族もチラホラと出てくるようにもなった。
そんな平和な時間が、3年という年月を刻む。
穏やかで平穏で、互いが常に傍にいるという信頼。
日常は少しずつ当たり前になり、互いを知れば知るほど不安が消えてゆき、慣れや甘えが少しずつ心の中に芽生えてゆく。
それは、まだ若い2人にとって、当然の事だったのかもしれない。
特に、内面に激しい物を持つジャスティンにとっては。




