7 過去を清算して未来へ
セシルは、西へ向かった。
パルメリア王国の西には、ギムレット王国がある。デュランダルとは長年友好国の関係にあり、ジャスティンの結婚相手はギムレットの王女だったことを、セシルは覚えていた。
ギムレットに入ると、隣国の噂は容易く拾えた。
「お気の毒に、ルヴィニア様は離縁されてお戻りになられたんだよ」
「お心を病まれてしまったそうだが、無理も無かろう。お子を流産されたそうだ」
「その原因は、夫である元皇太子だって言うじゃないか」
ギムレットの王都から南へ下り、国境の山脈を越えると、噂話は更に詳しくなる。
「ジャスティン様が、謀反の張本人だって言うな」
「側近に唆されたんじゃないのかねぇ。よくある話じゃないか」
「いや、その側近の独断専行だっていう噂もあるぜ。けど、火のない所に煙は立たぬって言うしな」
「謀反の計画に関わった貴族たちは、処刑されたんだよ。未遂に終わっても、厳しいもんだよなぁ」
「ジャスティン様は、王都の外れにある城に幽閉されたってねぇ」
「ありゃ、城じゃ無くて監獄さ。お偉い方の刑務所みたいなもんだ。まぁ、いずれは引き出されて処刑されるんじゃねぇの?」
王都へ向かう道々、セシルが聞き集めた話は、どうやら本当の事らしかった。
ルヴィニア王女との結婚後、暫くすると彼は時折、酷い癇癪を起していたようだ。周囲から唆されたり、あからさまな追従に、イライラが募っていたのだろう。
「癇癪を起して、臣下を切って捨てたっていうじゃねぇか」
「ああ、それも奥方の目の前でな」
「奥方様はショックで倒れられて、それで流産なさったそうだよ。お可哀そうに」
温室咲きの花のようなルヴィニアは、それ以来、夫が恐怖の対象になったようだ。
怯え、泣き、悲鳴を上げてジャスティンを避ける。
医師も匙を投げ、両国の王同士が相談の上、彼女を離縁して故国へ返すことに決まったのだという。
ジャスティンは、心の隙間に付け込まれたのだろうか。
彼が本心から謀反を企てるとは、思えないセシルである。それとも、3年間の間に、彼が変わってしまったのだろうか。
幽閉中の彼に会えるとは思えないし、会いたいとも思わない。
けれど、王都に入って確認だけはしよう、とセシルは思っていた。
都の大通りを、泰然とした雰囲気で愛馬を進める。
セシルのその姿は凛とした空気を纏い、かつて彼女が『盾の乙女』と言う名の娼婦をしていたとは思えない。
飾り気のない黒い長衣を着用し、大きな盾を背にして黒馬に乗るセシルは、伝説の『古の盾の乙女』そのもののようだった。
けれど街中はどこか騒然としており、人々は奇妙な興奮に包まれているようだ。
(以前は、こんな雰囲気じゃ無かったけど・・・)
セシルがいた頃は、退廃的な部分もあったが、人々はそれなりに活気のある生活をしていたように思う。
「何か、あったのですか?数年前と比べたら、街の雰囲気が変わっているようですが」
セシルは馬を降りて、声高に井戸端会議をしているおかみさん達に声を掛けた。
「ああ、旅の方かね。近頃は、こんな雰囲気なのさ。お貴族様たちの、処刑が続いたんだ。街外れの処刑場でね。見せしめのようなモンなんかね」
「見に行く人も多くてさ、それ以来街の中も何となく殺伐としてるんだよ。で、明日は罪人の元締めって言うか、元皇太子の処刑があるのよ」
「そうそう、謀反を企てた張本人で、奥方様を流産させるような、極悪非道な人物だって噂だわ」
(ジャスティンが!・・・処刑?)
彼は仮にも王族で、現皇太子の兄だ。幽閉ならまだしも、そこまでの処罰になるとは思えない。
セシルはパッと踵を返すと、ロブと協力して更に情報を集める。
そして解った事は、ギムレット王国との関係が原因であるという事だった。
端的に言えば、愛娘を酷い目に遭わせたジャスティンに、ギムレット王が激高したという事らしい。
彼に最大限の処罰を与えなければ、戦争も辞さないという書簡が届いていた。
これはある意味、言いがかりのようなものだが、デュランダルとしては無下には出来ない事情があった。現段階、国力ではギムレット王国の方が大きい。元々デュランダルは、国土も小さく、生産性もあまり高くはない。寧ろ、医療技術や産業技術なども知的財産で、周辺諸国と渡り合ってきた歴史がある。
周辺諸国と比較して兵力も少ない今のデュランダルには、それを補う参謀や司令官の才能も皆無と言って良かった。
「つまり戦争を回避するために、ジャスティンを生贄にするって言う事ね。彼が皇太子の位を譲った後も、警戒はされていたし・・・王女と結婚して、領地も広くなり、ギムレットとの個人的結びつきも強くなって・・・」
セシルは、ロブを相手に話す。
「そこで癇癪持ちに戻ってしまって、皇太子だった頃の彼に戻ったと周囲が・・・多分、国王一家も疑心暗鬼になっていた。だから、ギムレットからの要求を呑むことは、一石二鳥だったのかもしれない」
『人間は、親子でも殺し合う時があるって、聞いた事があるぜ。馬の場合は、聞いた事無いけどな』
ロブとしては、そんな感想を言うしかない。
けれど、聞いておかなければならない事があった。
『セシル・・・どうするつもりだ?』
セシルは暫し考えた後、真っ直ぐにロブの眼を見て告げた。
「ロブ、協力してくれない?」
翌日、街外れの処刑場には、数えきれないほどの民衆が集まっていた。
既に公開処刑に慣れてしまった人々は、観客のようになっている。自分たちが直接何かをされた訳では無いが、国を傾かせかけた大罪人だと信じて、処刑の様子を一目見ようとしている。
そんな中セシルは、比較的人が少ない処刑台の後方に立っていた。
ロブの轡を取り、静かな佇まいでいる彼女に、眼を向ける者はいない。
フッ、と周囲が静かになった。
ゴロゴロ、ゴロゴロ・・・・
馬が引く荷車の、車輪の音が聞こえてくる。
民衆は荷車の上の罪人を見つめながら、固唾を飲むように静まり返った。
「・・・来たな」
「あれが、そうか・・・」
囁き声だけが、微かに耳に届く。
(・・・ジャスティン?)
セシルは、眉を顰めた。
痩せ衰えた身体と、削げた頬。
伸びて絡まった髪と、無精髭。
薄汚れた白いシャツを着ただけの男は、後ろ手に縛られたまま、ぼんやりとした眼差しをしていた。
囚人のように幽閉されていた日々は、彼にどれほどの打撃を与えたのだろう。
その姿は、かつての彼を知るセシルには、別人のように見えた。
虚ろな半眼の眼には、尊厳も希望も崩れ去って、何も映っていないようだ。ただ全てを諦めて、何も感じないように心を閉ざしているのかもしれない。
処刑台の近くまで来て、荷車は止まった。
屈強な男が2人、彼の腕を抱えて荷台からその身体を引きずり下ろす。そのまま処刑台に彼の身体を引き上げ、断首の姿勢を取らせると、男たちは処刑人と入れ違いに段を降りた。
王族貴族の処刑は、断首と決まっている。平民なら絞首刑だが、首を落とす方が苦痛が少ないとされているからだ。
罪状を読み上げる口上が終わった。
民衆が見守る中、処刑人が不気味に光る斧を構える。
頭上高く振り上げられた斧と、腰に力を溜める処刑人。
その時、セシルが動いた。
黒い鳥が低く飛ぶように、処刑台に駆け寄り、一気に跳ぶ。
ガィィィーーーン!
金属同士が強く打ち付け合うような、鋭い音が響いた。
セシルが、処刑台に飛び上がると同時に、大きな盾を振り抜いたのだ。
盾は斧を弾き飛ばし、処刑人は壇上から転げ落ちる。
ガガッガガッ・・・
その時既に、ロブは処刑台に駆け寄っていた。
セシルは渾身の力で、ジャスティンの襟首を掴んで、ロブの背中へその身体を落とす。
そしてそのまま、流れるような動作で黒馬に跨ると、一気に駆け出した。
ロブの気迫は、凄まじかった。
文字通り群衆を蹴り飛ばす勢いで人々の中へ突っ込むと、身体ごと体当たりするように駆け抜ける。
セシルも、片手で彼の身体を落ちないように支えながら、もう片方の手で盾を振るった。
周囲に配備された兵たちは、寧ろ民衆が邪魔になって近づけない。
ロブとセシルは、あっと言う間に群衆を突き破って、遁走した。
道なき道を駆け、丘を越えて森を抜け、セシルたちは西へ向かう。
追手の影すらも見えない逃避行は、ロブの頑張りで数時間にも及んだ。町や村を避け、辿り着いた先は、岩だらけの荒野に流れる川の畔だった。
周囲には、人や獣の気配は無い。
セシルは黒馬から降り、ジャスティンの身体を降ろす。ずるずると滑り落ちるように地面に座った彼に、セシルは川から汲んできた水を差しだした。
「どうぞ」
冷ややかでは無いが、優しくも無い声。
けれどジャスティンは、のろのろと手を伸ばして水を受け取り、喉を鳴らして飲み干した。
そして何とか、周囲を見回すくらいには、精神状態を回復させる。
「・・・・セシル・・・か?」
彼のひび割れた唇から、掠れた声が漏れた。
水と携帯食料を彼に与えると、セシルは傍らの岩に腰を下ろした。ロブは、水を飲みに行っている。
「ここは西の山脈の麓です。追手は、撒くことが出来たと思います」
セシルは、淡々と告げた。
「・・・・・・会えるとは、思わなかったが・・・会いたいと思っていた、ずっと・・・」
口の中のものを飲み込んで、ジャスティンは話し始めた。
「幽閉されていた間、ずっと考えていた。何を間違ったのか、と・・・」
王女と結婚してからの事を話し始めた彼を、セシルは遮った。
「事情はある程度、把握しています。ですから、説明は不要です」
ジャスティンは一瞬鼻白んだが、それでも再び口を開いた。
「・・・何故、俺を助けた?」
「貴方の首が落ちるところを、見たくなかった・・・ただ、それだけの事です。生きている貴方に、言いたかった事があるので。生首やお墓に言うよりも、良いかと思いました」
処刑台に上がる姿を見ても、気の毒にとしか思えなかった。
痛みを伴うような想いは、何も感じなかった。
愛された日々の思い出は、感傷を呼ぶようなものでさえ無くなっている。
そんな自分は冷たい人間なのかもしれないと思うが、それでもあの日、館を出たのは間違っていなかったと確信していた。
自分の知らないセシルが、ここにいる。
ジャスティンは、呆然とした。
非公式ではあったが妻であった彼女とも、『盾の乙女』だった彼女とも違う。
強いて言えば、彼女が目指していた『古の盾の乙女』に近いのかもしれない。
「・・・な・・・何を言いたい・・んだ?」
ジャスティンは、掠れた声で途切れ途切れに言う。
セシルはスッと立ち上がると、水を飲み終わって戻って来たロブの背から袋を降ろして、彼の前に立った。
「先ずは、これを・・・」
差し出された袋を受け取ったジャスティンは、その重さに驚く。
「あの時、置いていった金貨では足りなかったはずですので」
セシルの言葉に、彼は唐突に思い出した。
ジャスティンがリヴェールの館に戻ったのは、王女の婚儀が終わってから数か月後の事だった。それまでずっと、館からの知らせは何もなく、彼自身もその小さな領地の事など思い出しもしなかったのだ。
彼が館に入ると、キャンドル夫人が来て袋を渡す。
「セシル様からの、預かり物でございます」
(そう言えば、セシルの姿が無いな・・・)
不審感を覚えながら袋を開くと、そこには金貨と紙切れが1枚入っていた。
『馬1頭・馬具ひと揃い・衣類・携帯用盾 代金』
「セシルはどうしたっ!」
ジャスティンが怒鳴ると、侍女頭は困ったように答えた。
「ジャスティン様が、ご存じなのでは?もう何カ月も前から、こちらへはお戻りになっておられませんが」
それを聞いた瞬間、ジャスティンは悟った。
彼女は、ここを出て行ったのだ、と。
愛馬と愛用の盾を持って、代金を置いて、二度と戻らないと示唆して、去って行ったのだ、と。
「馬鹿野郎ーーーッ!」
ドサッ!
ジャスティンは、金貨の袋を床に叩きつけた。
「勝手な事を、しやがって!」
一気に頭の中が沸騰し、癇癪が爆発した。
頭の中が白熱し、彼はそれ以降の事を殆ど覚えていなかった。
後になって、部屋中のガラスや鏡が割れ、調度品が粉々になっていたと知る。
(あれが、皇太子の座を譲ってから、最初の癇癪だったな・・・)
そしてそれから、自分は何度も癇癪を起したのだ。
正式な妻であるルヴィニアは、それをずっと知らなかった。知ってしまったのは、懐妊を告げるために彼の部屋を訪れた時の事。
いつの間にか謀反の企ての首謀者にされていた事を知って、癇癪を起したところへ、ルヴィニアはウキウキとやって来た。その目の前で、彼は知らせを持って来た使者を切り殺したのだ。そしてその後。物を投げつけて怒鳴り、暴れ回った。
らしい・・・後になって知ったのだが。
自分が癇癪を起こさなかった期間は、セシルが傍にいた時だ。
そう気が付いたのは、幽閉されてからだった。
そして気づいたのは、ルヴィニアは自分の歯止めにはならなかった、という事。
俯いて黙ってしまったジャスティンに、セシルは言葉を続けた。
「私が貴方から与えられた物、全てに報いるだけの金貨ではありませんが、これからの生活に、少しは役に立つのではないかと思います」
「・・・これからの、生活・・・だと?」
「はい。これからは、貴方が望んでいた『ただのジャスティン』になるわけですから」
(・・・どういう事だ?)
ジャスティンの思考は、空回りした。
確かに自分は、逃亡した死刑囚で、王族でも何でもない。本当の『ただのジャスティン』、いやお尋ね者のジャスティンになってしまっている。これから何をどうすれば良いのか、全く解らない。
「私も、貴方を拉致した罪人になったわけですから、このまま他国へ逃げるつもりです。けれど、その前に・・・言いたかった事をお伝えします」
セシルは、姿勢を正した。
「ジャスティン、私を解放してくれて、ありがとうございました。私は今、多くの仲間と一緒に、自分らしく生きています。これから支えてくれる大切な仲間の元へ帰って、デュランダルにはもう戻りません。どうぞお元気で。さようなら」
「ありがとう」と「さようなら」を、彼の眼を見て告げたかった。
こんな場所に、彼を置き去りにするのは、冷たいのだろう。
けれど、歩いて行ける距離に集落がある。
それを伝えると、セシルはひらりとロブに跨った。
駆け去る彼女の耳に、彼が叫ぶ声が聞こえた。
けれど、振り返らない。
自分を捨てて、尊厳も無視したかつての夫。
かつて熱く激しく自分を愛してくれた彼は、最後の砦だった『古の盾の乙女』として生きることまでも、あっさりと否定した。
だから、自分らしく生きることを選んだ。
そして今、セシルは真っ直ぐに前を見て駆けてゆく。
そんな彼女を乗せて、ロブは誇らしげに疾走するのだった。
ジャスティンのその後を、知る人はいない。
火が点かないように守ってくれていた盾を、自ら捨てた時、癇癪玉は破裂して消えるしかなかった。




