第8話「共犯者」
夜会の喧騒は、ゆっくりと収まっていった。
先ほどまでの混乱が嘘のように、空気は整えられていく。
――まるで、最初から何もなかったかのように。
「……見事でしたな」
年配の貴族が、低く呟いた。
「すべて、計算通りか」
「恐ろしいものだ……」
囁きが、静かに広がる。
その中心で。
レティシア・アルヴェインは、変わらず優雅に立っていた。
乱れ一つない姿勢。
完璧な微笑。
何もなかったかのような、静けさ。
「レティシア」
王太子の声が、届く。
「少し、来い」
「承知いたしました」
短く答え、一礼する。
そのまま、二人は会場を後にした。
⸻
王城の奥。
人の気配が消えた回廊。
足音だけが、静かに響く。
やがて、二人きりになる。
扉が閉まる。
完全な静寂。
――そこでようやく。
「……はあ」
レティシアは、小さく息を吐いた。
ほんのわずか。
完璧な仮面に、ひびが入る。
「お疲れ様」
王太子が、穏やかに言う。
先ほどまでの冷たさはない。
だが、甘さもない。
ただ、対等な声音。
「いえ」
レティシアは、軽く首を振った。
「まだ途中ですもの」
「そうだな」
短い肯定。
そのまま、二人は向かい合う。
距離は近い。
けれど、触れない。
その間にあるのは――
信頼。
「想定通り、すべて吐きましたわ」
レティシアが言う。
「ええ。“物語”まで含めて」
「ああ」
王太子は、わずかに頷いた。
「完璧だった」
その一言に、無駄な感情はない。
評価だけがある。
「……少し、危うい場面もありましたが」
「証言の変化か」
「はい」
「問題ない。あれで“確信”に至った」
淡々としたやり取り。
それはまるで、戦後の報告のようだった。
「しかし」
王太子が、視線を細める。
「改めて確認するが」
「はい」
「君は、最初から“知っていた”のだな」
その問いに。
レティシアは、迷わず答えた。
「ええ」
一切の躊躇なく。
「この世界が、ある“物語”の上に成り立っていることも」
「……」
「そして、自分が“悪役令嬢”と呼ばれる立場であることも」
静かに、言い切る。
重い事実。
だが、声は軽い。
「それを、いつから?」
「……幼い頃には、すでに」
王太子の目が、わずかに細められる。
「随分と早いな」
「ええ」
レティシアは、淡く微笑んだ。
「“破滅の未来”を理解するには、十分すぎる時間でしたわ」
その言葉には、わずかな重みがあった。
だが、それだけ。
それ以上は、何も語らない。
「だからこそ」
続ける。
「準備できましたの」
「準備、か」
「ええ」
視線が、まっすぐに向く。
「“断罪されるための準備”を」
「……なるほどな」
王太子は、ゆっくりと頷いた。
その意味を、完全に理解している顔。
「断罪されることで、相手を引きずり出す」
「はい」
「そして、その断罪を“逆転の起点”にする」
「その通りですわ」
短い沈黙。
そして。
「やはり君は」
王太子が、わずかに笑う。
「最高の“共犯者”だ」
その言葉に。
レティシアは、ほんの少しだけ目を細めた。
「光栄ですわ、殿下」
「堅いな」
「当然です」
即答。
「我々は、“契約関係”ですもの」
はっきりと言い切る。
そこに曖昧さはない。
「互いに利を取り、未来を変えるための協力関係」
「……それだけか?」
王太子が、わずかに踏み込む。
ほんの一歩。
距離が縮まる。
「それ以上を、望まれるのですか?」
レティシアは、動じない。
まっすぐに受け止める。
視線が、ぶつかる。
沈黙。
張り詰めた空気。
やがて。
「……いや」
王太子は、軽く息を吐いた。
「今は、それでいい」
「賢明ですわ」
レティシアは、微笑む。
だが、その目は鋭いままだ。
「感情は、判断を鈍らせますもの」
「違いない」
短く同意。
だが。
その直後。
「だが一つだけ」
「?」
「君がいなければ、ここまでは来られなかった」
まっすぐな言葉。
余計な飾りはない。
それだけに、重い。
「……」
レティシアは、一瞬だけ言葉を失った。
ほんの一瞬。
すぐに戻る。
「それは、お互い様ですわ」
静かに返す。
「殿下が“見て見ぬふり”を続けてくださったからこそ」
「……ふり、か」
「ええ」
わずかに口元を上げる。
「誰よりも早く気づいていながら」
「何も知らない王太子を演じ続ける」
「それができたのは、殿下だけですもの」
評価。
それは、対等なものだった。
「そうだな」
王太子もまた、わずかに笑う。
「おかげで、彼女は完全に油断した」
「ええ」
「“物語通りに進んでいる”と信じて」
「そして」
レティシアが続ける。
「“自分が主人公である”と疑わなかった」
静かな断言。
そこに、情けはない。
⸻
短い沈黙。
やがて。
「……これで、一つ目は終わりだ」
王太子が言う。
「はい」
「だが」
視線が、遠くを向く。
「まだ終わりではない」
「もちろんです」
レティシアも、同じ方向を見る。
「“あの未来”を完全に消すまでは」
空気が、少しだけ重くなる。
「……次の段階に移る」
「承知いたしました」
迷いのない返答。
「準備は?」
「すでに整っておりますわ」
即答。
その速さが、すべてを物語る。
「さすがだな」
「当然です」
わずかな笑み。
「“二度目”ですもの」
その一言に。
王太子の目が、鋭く光る。
「……やはり、そうか」
「ええ」
レティシアは、静かに頷いた。
「一度目では、失敗しました」
淡々とした告白。
「だから今回は」
その瞳に、確かな意思が宿る。
「絶対に、間違えません」
「――私たちは、“一度滅びた未来”をやり直しているのですわ」




