第6話 無職の美少女、女子高生になることが決まりそうです
黒塗りの高級車に揺られること十数分。
窓の外をぼんやり眺めていた俺は、見覚えのある景色が増えてきたことに気づいた。
「あれ、この辺って……」
そう思った直後、車が大きな門をくぐる。
門柱には『白玲学園高等学校』と刻まれていた。
三日前、迷子になっていた麗奈を送り届けた高校だ。
「……家じゃないの?」
「旦那様はこちらにいらっしゃいますので」
「ああ、そういうこと」
てっきり白川家の豪邸にでも連れていかれると思っていた。
車が校舎の前で停まり、運転手に案内されて中へ入る。平日の昼間なので当然授業中らしく、廊下は静かだった。
ジャージ姿で校内を歩いていると、なんとも言えない居心地の悪さがある。しかも今の見た目は女子高生くらいだ。事情を知らない人間からすれば、授業をサボって校内をうろついている生徒にしか見えないだろう。
「こちらです」
運転手が立ち止まった。
目の前の扉には『理事長室』と書かれている。
「……理事長室?」
「はい。どうぞ」
待て。
麗奈の父親に会うんじゃなかったのか。それでどうして理事長室に――。
そこまで考えたところで、一つの可能性が浮かんだ。
「いやいや、まさかな」
扉が開く。
「失礼いたします。お連れしました」
広々とした部屋の奥に立派な机が置かれており、その向こうに座っていた男性がこちらを見て立ち上がる。
そして来客用のソファには、なぜか麗奈がいた。
「あっ、麻由さん!」
「麗奈ちゃん?」
「ごきげんよう。お待ちしておりましたわ」
「いや、ごきげんようじゃなくて……なんでいるの?」
「麻由さんをお呼びしたのですから、わたくしがいるのは当然ではありません?」
何を当たり前のことを、という顔をされた。
俺が困惑していると、奥にいた男性がこちらへ歩いてくる。年齢は五十歳前後だろうか。高そうなスーツを着ているが、表情は思ったより柔らかい。
「君が麗奈を送り届けてくれた子だね。先日は娘が世話になった」
「いえ、別に大したことは……」
「私は白川宗一郎。麗奈の父で、この白玲学園の理事長を務めている」
「…………」
俺は麗奈を見る。
麗奈がにこりと笑った。
「理事長の娘だったの?」
「ええ」
「聞いてないんだけど」
「聞かれませんでしたもの」
それはそうなんだけど。
専属の運転手がいる時点で金持ちだとは思っていたが、まさか父親が学校の理事長とは。
勧められるままソファへ腰を下ろすと、宗一郎さんは改めて頭を下げた。
「麗奈は昔から少々世間知らずなところがあってね。君が一緒に来てくれなければ、どうなっていたことか。本当に感謝している」
「学校まで送っただけですよ。それに、麗奈ちゃんが一人で来ようとしてただけで……」
「それでも親としてはありがたい。何か礼をさせてもらいたいと思っていた」
「お父様、わたくしはちゃんと一人でも辿り着けましたわ」
「麻由さんに送ってもらったのだろう?」
「……あと少しでしたの」
麗奈が不満そうにお菓子を一つ口へ運ぶ。
あと少しどころか、放っておいたら反対方向へ歩いていた気がする。
「それで――」
宗一郎さんの雰囲気が少し変わった。
「君は事情があって、学校へ行きたくても行けないそうだね」
「……え?」
俺は隣を見る。
麗奈がさっと目を逸らした。
「麗奈ちゃん?」
「……少しだけ、お父様にお話しいたしましたの」
「少しだけ?」
「麻由さんには事情があって学校へ行けないことと、行けるのなら行ってみたいと仰っていたことだけですわ。それ以上は何も話しておりません」
確かに三日前、そんなことを話した。
だが、まさか父親にまで伝わっているとは思わなかった。
「事情そのものを聞くつもりはない。麗奈からも、そこは詮索しないでほしいと言われている」
「はあ……」
「そのうえで一つ、提案がある」
宗一郎さんは一度言葉を切ると、ごく普通のことを提案するような口調で続けた。
「君さえよければ、白玲学園に通ってみないか?」
「…………はい?」
聞き間違いかと思った。
「この学校に?」
「そうだ」
「私が?」
「ああ」
「いや、無理ですよ」
即答した。
つい今朝まで、それについて調べていたのだ。
「私、その……戸籍とか、いろいろ曖昧なんです。身分を証明できるものもないし、前の学校の書類も用意できません。それに一人暮らしで、保護者もいなくて……」
戸籍が曖昧というのも、かなり苦しい言い方だ。
本当は曖昧どころか、花川麻由という人間の戸籍そのものが存在しない。
さすがにこれを聞けば無理だと言われる。
そう思ったのだが、宗一郎さんは特に驚いた様子も見せなかった。
「戸籍については、さすがに私にもどうこうできるものではない」
「ですよね」
そこはさすがに理事長でも無理らしい。
「ただ、現在住んでいる住所だけは教えてもらえるかな?」
「住所ですか?」
「ああ。それが確認できれば、本来入学に必要となる学校側の手続きについては、ある程度こちらで何とかしよう」
「……そんなことできるんですか?」
「私立校だからこそ融通を利かせられる部分もある。それに――」
宗一郎さんが麗奈を見る。
その瞬間、麗奈が慌てた。
「お父様!」
「まだ何も言っていないが?」
「絶対に余計なことを仰るお顔をしていましたわ!」
「そうか?」
「そうですわ!」
宗一郎さんは困ったように笑っている。
そのやり取りを見て、なんとなく察した。
「……麗奈ちゃん、もしかして私をこの学校に入れてほしいって頼んだ?」
「えっ」
麗奈の動きが止まった。
「…………」
「麗奈ちゃん?」
「お父様」
「なんだ?」
「言ってはいけませんわよ」
「麗奈から相談された」
「お父様!」
即座に裏切られていた。
「君には何か事情があるようだから、どうにかできないかとな」
「それは言わないでくださいませ!」
「事実だろう?」
「そうですけれど!」
麗奈は顔を赤くして父親を睨んだあと、恥ずかしそうに俺を見る。
「だって……麻由さん、行けるのなら学校へ行ってみたいと仰っていたでしょう?」
「言ったけど」
「でしたら、わたくしの学校へ来ればいいと思いましたの。そうすれば……またお会いできますし」
最後のほうだけ、少し声が小さくなる。
「それに、麻由さんとは……お友達になれたらと思っておりますから」
「友達……」
三十五歳の俺が女子高生から友達になりたいと言われている。
冷静に考えると、とんでもなく妙な状況だ。
それでも、悪い気はしなかった。
「麗奈がここまで誰かを気に入るのは珍しくてね」
「お父様!それは言わなくてもよろしいでしょう!」
「娘の願いくらい叶えてやりたいのが親というものだろう」
「……もしかして、娘に甘いですか?」
「否定はしない」
即答だった。
「もう、お父様!」
麗奈がますます顔を赤くする。
どうやらこの理事長、かなりの親馬鹿らしい。
だが、そんな二人を見ながらも、俺の頭の中では別のことがぐるぐる回っていた。
今朝まで、どうにもならないと思っていた。
戸籍もない。必要な書類も用意できない。だから高校生活なんて諦めるしかない。
それが突然、学校の理事長本人から「ある程度はこちらで何とかする」と言われている。
もちろん問題が全部消えたわけではない。
むしろ冷静に考えれば、怪しいところだらけだ。
「どうかな?」
「うーん……」
本来なら、一度家に帰ってじっくり考えるべきだろう。
住所を教えて大丈夫なのか。
本当に入学できるのか。
そもそも三十五歳の男が女子高生として学校へ通っていいのか。
考えることはいくらでもある。
ただ――。
今の俺は酒が入っていた。
黒塗りの高級車に乗るときですら緩んでいた警戒心が、ここへ来て急に仕事を始めるはずもない。
「まあ……いっか」
「え?」
「お願いします。通ってみたいです、この学校」
口にしてから、自分でもずいぶん簡単に決めたものだと思った。
だが、麗奈の表情が一気に明るくなる。
「本当ですの!?」
「う、うん」
「でしたら、一緒に学校へ通えますわね!」
「まだ入学できるって決まったわけじゃないでしょ」
「お父様なら大丈夫ですわ」
「ずいぶん信用されてますね」
「娘の期待には応えないとな」
親子そろって話が早い。
俺は小さく笑いながら、ソファの背もたれに身体を預けた。
まあ、細かいことは酒が抜けてから考えればいいか。
今日だけで何度目になるか分からないその結論に、俺は何の疑問も抱かなかった。




