第53話 明かされ始める秘密【挿絵あり】
宿泊学習が終わってから、しばらく経った休日のこと。
「……さて、そろそろ行くか」
俺は玄関の鏡で身だしなみを確認すると、財布とスマホ、それから運転免許証を持って家を出た。
今日の目的は、運転免許証の更新である。
少し前に届いた更新のお知らせを見て、そろそろ行かなければと思っていたのだが、学校生活や宿泊学習で忙しく、ついつい後回しにしてしまっていた。
……いや、待てよ。
普通、三十五歳の無職が学校生活で忙しいって、どういう状況なんだ?
自分で考えておいて何だが、なかなか意味の分からない人生を送っている気がする。
ちなみに、今日の俺は花川麻由ではない。花川正由である。
当然といえば当然だ。免許証に記載されているのは花川正由という名前であり、写真だって男の俺なのだから。
もし麻由の姿で更新に行ったら、受付の時点で大騒ぎになるに決まっている。しかも、今日は新しい免許証用の写真も撮られる。
……さすがに、麻由の顔で免許証を作るわけにはいかないよな。
そんなわけで、今朝は酒を一滴も飲んでいない。
最近は麻由として過ごす時間が増えていたせいか、こうして男の姿で外出することに、少しばかり新鮮さを感じてしまう。
……いやいや、こっちが本来の俺だからな?
俺は自分にそう言い聞かせながら、駅へ向かった。
ちなみに、俺は車を持っていない。免許証は持っているものの、会社が倒産してからというもの、車を購入する余裕なんてあるはずもなかった。
そのため、今日は電車に乗って隣町の免許センターまで行くことになる。
……免許更新のために電車に乗るって、何だか妙な気分だな。
☆☆
休日の免許センターは、思っていた以上に混雑していた。
建物の中には更新手続きを待つ人たちが列を作っており、俺も案内表示に従って受付へ向かった。
免許証と更新のお知らせを提出し、必要な書類を記入する。その後の視力検査も問題なく終わり、手続きは順調に進んでいった。
……うん。実に平和だ。
最近は学校で正体がバレそうになったり、宿泊学習で男子から告白されたり、俺と同じ体質の館長に出会ったりと、何かと騒がしい日々を送っていた。
それに比べれば、免許証の更新なんて普通の休日である。
そう思いながら次の窓口へ向かおうとしたとき、少し離れた受付に妙に小柄な人影が見えた。
「……ん?」
最初は、親に付き添われて来た小学生かと思った。
ところが、その少女は一人で係員と話している。落ち着いた色合いの私服に、肩のあたりで揺れる黒髪。遠目にも分かるほど小柄で、顔立ちも幼い。
……あれ?
俺は思わず足を止めた。
あの子、どこかで見たような……。
いや、待て。
あれって、もしかして……。
以前、都市伝説研究部のみんなと調査した、深夜のコンビニで大量の酒を買い込む謎の少女ではないだろうか。
あの夜、少女は住宅街の曲がり角で忽然と姿を消し、その直後に水瀬千尋先生が現れたのである。
……まさかな。
俺は改めて少女を見つめた。
背格好も雰囲気も、あのときの少女によく似ている。ただ、夜だったこともあり、顔をはっきり確認できたわけではない。
そんなことを考えていると、少女が係員へ免許証らしきものを差し出した。
「……えっ?」
係員が驚いたような声を上げる。
手元の書類と少女の顔を交互に見比べ、何かを確認しているらしい。近くにいた別の係員まで、不思議そうに少女を見ていた。
……そりゃ驚くよな。
どう見ても小学生くらいの女の子が、免許更新に来ているのだから。
しかし、当の本人はまったく動じていなかった。
係員からの質問にも落ち着いて答え、確認が終わると、何事もなかったように次の手続きへ進んでいく。
……すごいな、あの子。
周囲からあれだけ不思議そうな目で見られているのに、まるで気にしていない。
俺なんて、麻由の姿で外出し始めた頃は、人目が気になって仕方なかったというのに。
……まあ、今では制服を着て学校に通ってるんだけどさ。
人間、慣れって怖いな。
少女はその後も、視力検査や写真撮影の案内を受け、次々と手続きを進めていった。
そのたびに係員が一瞬驚いたような反応を見せるのだが、本人は実に堂々としている。
……あれ、絶対慣れてるだろ。
俺は自分の番号が呼ばれるまでの間、少女の様子を眺めていた。
……そういえば。
免許証を更新するということは、当然、本人確認のために名前を確認されるはずだ。
もし免許証に書かれた名前を見ることができれば、あの少女が誰なのか分かるかもしれない。
水瀬千尋。
その名前が書かれていれば、俺の疑いはほぼ確信に変わる。
……ちょっとだけ、確認してみるか。
俺は少女が次の窓口へ移動するのに合わせ、さりげなく近づこうとした。
ところが、その瞬間。
「次の方、こちらへどうぞ」
「あっ、はい!」
少女は係員に呼ばれ、さっさと奥へ進んでしまった。
……あっ。
結局、免許証を見るどころか、名前を呼ばれる場面にすら遭遇できなかった。
その後も何度か姿を見かけたが、こちらの手続きと順番が合わず、近づく機会はなかった。
……まあ、そうだよな。
そもそも、他人の免許証をこっそり確認しようとしている時点で、あまり褒められた行動ではない。
以前、水瀬先生にも言われたではないか。
『お互いが話せると思ったときでいいのよ』
俺だって、自分の正体を知られるのは怖い。相手にも同じような事情があるのなら、無理に踏み込むべきではないのかもしれない。
……今日は免許更新に来たんだ。
俺は小さく息を吐き、自分の手続きに集中することにした。
☆☆
その後、写真撮影も無事に終わった。
係員の指示に従って椅子に座り、正面を向いて撮影してもらったのだが、出来上がった写真を見た瞬間、思わず微妙な気持ちになった。
……うん。見事に普通のおっさんだな。
いや、当たり前なんだけど。
最近は鏡を見るたびに長い黒髪の美少女が映っていることの方が多かったので、こうして自分の男の顔を写真で見ると、妙に現実を突きつけられた気分になる。
……免許更新に来ただけなのに、何で精神的なダメージを受けてるんだ、俺。
気を取り直して更新時講習を受け、交通安全についての説明を聞いたあと、新しい免許証を受け取った。
「……よし。無事終了っと」
これで当分、更新の心配をする必要はない。
俺が免許証を財布へしまい、建物の出口へ向かっていると、少し先から声が聞こえてきた。
「……うん。終わったよ」
何気なく視線を向けると、そこには先ほどの少女がいた。
どうやら、スマホで誰かと電話をしているらしい。
「おじいちゃん、もう終わったよ。うん、外で待ってるね」
そう言って電話を切ると、少女はスマホをしまい、出口へ向かって歩き始めた。
……おじいちゃん?
どうやら、祖父に迎えを頼んでいるらしい。
見た目は小学生くらいでも、免許更新に来ている以上、実際には大人なのだろう。それでも、おじいちゃんに送り迎えをしてもらっているというのは、何だか微笑ましい話である。
……いいなあ、家族仲がよさそうで。
俺なんて、休日に一緒に出かける相手すらろくにいないんだから。
……自分で言ってて悲しくなってきた。
☆☆
建物の外へ出ると、初夏の陽射しが眩しかった。
午前中から続いていた免許更新の手続きも終わり、ようやく自由の身である。
「……さて、帰るか」
そう呟いたものの、何となく喉が渇いていた。
俺は建物の脇にある自動販売機へ向かい、冷たい缶コーヒーを一本購入した。
プシュッと音を立てて缶を開け、ひと口飲む。
「……ふう。うまい」
冷たいコーヒーが、火照った身体に心地よい。
俺は缶を片手に、駐車場の方へ目を向けた。
すると、少し離れた乗降スペースの近くに、先ほどの少女が立っているのが見えた。
どうやら、迎えを待っているらしい。
……それにしても、どことなく似てるんだよな。
あの夜、コンビニで酒を買っていた少女が消えた直後に現れた水瀬先生に……。
もし、二人が同一人物だったとしたら……。
……いや、やめよう。
さっき、自分で深入りしないと決めたばかりじゃないか。
俺は残りのコーヒーを飲みながら、駅へ向かおうとした。
そのときだった。
駐車場の入口から、一台の車がゆっくりと入ってきた。
車は少女の近くにある乗降スペースへ進み、静かに停車する。
……ああ、お迎えが来たのか。
少女は車に近づくと、助手席のドアを開けて乗り込んだ。
俺は何気なく運転席へ目を向けた。
そこに座っていたのは、六十代くらいに見える、落ち着いた雰囲気の男性だった。
……ん?
俺は缶コーヒーを持ったまま、思わず動きを止めた。
……あれ?
何だか、見覚えが……。
男性は助手席の少女に向かって穏やかに微笑み、何かを話しかけている。
その横顔を見た瞬間、俺の頭の中に宿泊学習での出来事が一気によみがえった。
……館長!?
間違いない。
宿泊学習で知り合った、あの水瀬勇蔵館長である。
……いやいやいや、ちょっと待て!
何で館長がここにいるんだ!?
しかも、あの少女を迎えに来たってことは……。
俺は助手席の少女と運転席の館長を交互に見つめた。
水瀬先生と同じ名字の館長。
深夜のコンビニで大量の酒を買い、曲がり角で姿を消した少女。
そして、その直後に現れた水瀬千尋先生。
……おいおい。
これ、どう考えても偶然じゃないだろ!?
さっきまで、他人の秘密に深入りするのはやめようと思っていた。
だが、ここまで来ると話は別である。
……知りたい。
ものすごく知りたい!
俺の中にある真相が知りたいメーターは、今まさに振り切れようとしていた。
……いや、もう振り切れてるわ!
俺は慌てて財布を取り出した。
中には、宿泊学習の帰り際に館長から渡された名刺が入っている。
何か困ったことがあったら、いつでも相談しておいで。
館長は確かにそう言ってくれた。
……いや、別に困ってるわけじゃないんだけどさ。
俺は名刺に記載された電話番号を確認すると、スマホに入力した。
……ちょっとだけ。
ちょっとだけ、確かめさせてもらおう。
発信ボタンを押す。
数秒後。
停車中の車の中で、館長が胸元からスマホを取り出すのが見えた。
……出た!
館長は画面を確認すると、電話を耳に当てた。
「はい、もしもし?」
スマホから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
……本当に出た!
俺は思わず息を呑んだ。
そして、電話をかけながら車の方へ目を向けた、その瞬間。
運転席の館長も、ふとこちらを見た。
「…………」
「…………」
目が合った。
……あ。
そういえば、宿泊学習の夜。
俺が落とした免許証を、館長に見られていたんだった。
あの免許証には、男の俺の顔写真が載っていた。
……覚えてる、よな?
いや、覚えてない可能性だってある。
何しろ、あのときは夜だったし、写真を見たのも一瞬だったはずだ。
しかし、今の俺はその写真と同じ顔で、館長に電話をかけている。
……これ、どうなるんだ?
俺はスマホを耳に当てたまま、運転席の館長を見つめた。
館長もまた、こちらをじっと見ていた。




