第51話 川下りのはずが、ラブコメイベントの連続です!?【挿絵あり】
ようやくバスが停車したとき、俺は心の底から安堵していた。
「はーい!皆さん、到着しました!足元に気をつけて降りてくださいね!」
「わあー!川だ!」
「まあ!とても綺麗なところですわね!」
遥と麗奈は早速、目の前に広がる景色に歓声を上げていた。
山々に囲まれた川は透き通っていて、陽の光を反射しながらきらきらと輝いている。
……胃の調子さえよければ、俺だって素直に感動できたんだけどな。
「麻由ちゃん、大丈夫?まだ顔色悪いよ?」
「う、うん……外の空気を吸ったら、少し楽になったかも……」
二人に心配をかけまいと笑ってみせたが、正直なところ、まだ胃のあたりが落ち着かない。
そんな俺のもとへ、館長が近づいてきた。
「すみません、少し体調を確認してもよろしいですか?先ほどバスの中で気分が悪そうでしたので」
「あっ、はい!」
館長は俺を少し離れた場所へ案内すると、周囲に聞こえない声で話しかけてきた。
「……麻由ちゃん、やっぱり気分が悪いみたいだね」
「……そちらこそ、大丈夫なんですか?」
「実はね、昨日あのあと、ちょっと飲みすぎちゃってさ。そのうえ今朝もこの姿を保つために飲んだから、いつもよりきついんだよね」
「……ああ、なるほど……」
……いや、なるほどじゃないだろ。
この人、俺とまったく同じことをしているじゃないか。
館長は苦笑すると、小さな袋を取り出した。
「こうなることも想定して、念のために用意しておいたんだ」
中に入っていたのは、酔い止めとウコン入りの小さなドリンクだった。
「えっ!?これ、もらっていいんですか?」
「もちろん。ただ、すぐに効くとは限らないし、気分的に楽になる程度かもしれないけどね」
……ありがたい!
「ありがとうございます!本当に助かります!」
「ふふっ。お互い、今日は大変そうだからね。無理だけはしないように」
「……はい!」
俺は素直に頷き、遥たちのもとへ戻った。
☆☆
「それでは皆さん!いよいよラフティングを始めます!」
川岸に集まった俺たちは、安全説明を受けたあと、ボートへ乗り込むことになった。
川岸には何台もの大型ボートが並んでおり、それぞれに十人ほどの生徒が乗れるようになっていた。
俺たちは案内に従い、館長が担当するボートへと向かった。
「わあー!思っていたより大きいね!」
「これなら皆さんで一緒に楽しめそうですわ!」
遥と麗奈は楽しそうに話しながら、先に乗り込んでいく。
俺もそのあとに続こうとしたところで、思わぬ人物と目が合ってしまった。
「あっ……花川さん」
「……あ」
そこにいたのは、山田だった。
昨日の夜、俺に告白してきた男子生徒である。
ちなみに、昨日の時点では名前すら知らなかったのだが、部屋に戻ったあと、遥のおかげでようやく山田という名前だと判明したのである。
……いやあ、名前を知っておいてよかった。
とはいえ、昨日の今日で同じボートに乗ることになるとは思わなかった。告白のこともあって、どうにも気まずい。
「よ、よろしくね……花川さん」
「う、うん……よろしく……」
しかも、乗り込む順番の関係で、俺は山田のすぐ隣に座ることになってしまった。
……神様。何か俺、悪いことしましたか?
「皆さん、準備はいいですかー?」
「はーい!」
元気な返事とともに、ボートはゆっくり岸を離れた。
最初は穏やかな流れだった。周囲には緑豊かな山々が広がり、水面には青空が映り込んでいる。
「わあー!気持ちいい!」
「本当に素晴らしい景色ですわね!」
遥と麗奈はすっかり夢中になっていた。
俺も少しずつ気分が落ち着き、ようやく景色を楽しむ余裕が生まれてきた。
……おお。意外と大丈夫じゃないか。
「この先、少し流れが速くなりますよー!しっかりつかまってくださいね!」
館長の声が響いた。
前方を見ると、川幅が狭くなり、水面に白い波が立っている。
……ん?少し?
あれが?
次の瞬間、ボートが大きく上下に揺れた。
「うわああっ!?」
思わず身体が傾き、俺は隣にいた山田の腕にしがみついてしまった。
「わっ!花川さん!?」
「ご、ごめん!」
「だ、大丈夫!しっかりつかまって!」
山田が慌てて俺を支えてくれる。
しかし、どうやらこれは始まりにすぎなかったらしい。
「次の波、来ますよー!」
「えっ!?ちょっ、待っ……!」
ボートが再び大きく跳ね、冷たい水しぶきが顔にかかった。
「きゃははっ!すごーい!」
「まあ!冷たいですわ!」
遥と麗奈は大はしゃぎである。
一方、俺は揺れるたびに胃の中が妙な動きをしていて、それどころではなかった。
「花川さん、ちょっと顔色悪そうだけど……大丈夫?」
「う、うん……何とか……」
「無理しないでね」
「ありがとう……」
……いい奴だな、山田。
そう思った矢先、またしてもボートが揺れた。
「うわっ!?」
身体のバランスを崩し、山田の方へ倒れ込んでしまった。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて身体を起こすと、山田は顔を真っ赤にして固まっていた。
どうやら今の拍子に、俺の胸元が山田の腕に押し当たってしまったらしい。
……いやいやいや!事故だからな!?
「わ、わああっ!ご、ごめん!花川さん!」
「えっ!?う、ううん!気にしてないから!」
なぜか山田の方が必死に謝ってきた。
ぶつかったのは俺の方からだったが、気まずさをごまかすように前を向いた。
しかし、川の流れはこちらの事情など一切考慮してくれない。
「次は少し大きな波が来ますよー!」
……また!?
俺が必死にボートの縁をつかんだ、その瞬間。
「うわっ!?」
不意の揺れに身体が傾き、俺はまたしても山田の方へ倒れ込んだ。
「花川さん!?」
山田が反射的にこちらを向く。
そして、ほんの一瞬。
俺の唇が山田の頬に触れてしまった。
「…………」
「…………」
……え?
……今、何が起きた?
山田は目を見開いたまま、完全に固まっている。
……いやいやいやいや!
何だ、このピタゴラ式ラブコメは!?
揺れるたびにイベントが発生するって、どういう仕組みだよ!
「ご、ごめん!山田君!今のは事故だから!」
「う、うん!わ、分かってる!」
山田は真っ赤な顔で頷いた。
……頼むから、これ以上は勘弁してくれ。
こっちだって、恥ずかしさで消えてしまいたいんだよ!
☆☆
その後、ボートは少し流れの穏やかな場所へ入った。
「ふう……すごかったねー!」
「ええ!とても刺激的でしたわ!」
遥と麗奈は満足そうに笑っている。
俺はようやく揺れが落ち着いたことに安堵していた。
そんなとき、隣に座る山田が、周囲には聞こえないくらいの小さな声で話しかけてきた。
「あの……花川さん」
「えっ?」
「昨日のことなんだけど……」
「……うん?」
「昨日、断られてからもずっと考えてたんだ。花川さんを困らせたくはないんだけど……」
山田は一度言葉を切り、真剣な表情で続けた。
「……やっぱり、まだ諦めきれないんだ。もう少しだけ、僕にもチャンスをもらえないかな……?」
「…………えっ?」
……おいおい。
今!?このタイミングで!?
「もちろん、すぐに返事がほしいわけじゃなくて……」
山田がそこまで言いかけたときだった。
「皆さーん!もうすぐ次の急流ですよー!」
館長の声が響いた。
……え?
また?
前方には、先ほどよりも勢いよく波立つ川が広がっていた。
……あ。これ、無理だ。
「花川さん?」
「……ごめん、山田君……」
「えっ?」
「……ちょっと、今……それどころじゃ……」
胃の奥から、嫌な感覚が込み上げてきた。
俺は慌てて口元を押さえた。
「花川さん!?大丈夫!?」
「……うっ……!」
次の瞬間、ボートが大きく揺れた。
「……お、おろろろ……!」
「は、花川さん!?」
……終わった。
よりによって、俺に告白してくれた山田の目の前で。
しかも、慌てて顔を背けようとしたものの間に合わず、山田のウェットスーツまで汚してしまったのである。
「ご、ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!」
情けなさと申し訳なさで、目に涙が浮かんでくる。
「だ、大丈夫だよ!花川さん!」
ところが、山田は怒るどころか、優しく声をかけてくれた。
「気にしないで!体調悪かったんでしょ?」
「で、でも……服が……!」
「ウェットスーツだし、水で流せば大丈夫だよ!それより、花川さんの方が心配だよ!」
……山田。
お前、どこまでいい奴なんだよ……。
「麻由ちゃん!?どうしたの!?」
「まあ!麻由さん!大丈夫ですの!?」
異変に気づいた遥と麗奈も、心配そうに声をかけてきた。
「ご、ごめん……ちょっと、気持ち悪くなっちゃって……」
「インストラクターさーん!麻由ちゃんが気分悪くなっちゃった!」
遥が慌てて呼びかけると、館長がすぐにこちらを振り返った。
「大丈夫ですか!?」
「……は、はい……」
「この先は流れが緩やかになりますから、もう少しだけ頑張れますか?無理そうならすぐに教えてくださいね」
「……分かりました……」
心配そうな館長に頷きながら、俺はそっと息を吐いた。
不思議なことに、一度吐いてしまったせいか、さっきまでの気持ち悪さが少し和らいでいる。
「……あの、何だか少し楽になりました……」
「本当?よかったー!」
「ですが、まだ油断は禁物ですわ!」
遥と麗奈がほっとしたように笑った。山田も安心した表情を浮かべている。
……ああ。みんな、本当に優しいな。
それにしても、昨日告白してきた相手に、今日もう一度告白され、その直後に盛大に吐いてしまうなんて、いったいどんな青春だよ。
しかも、山田は嫌な顔ひとつせず、最後まで俺のことを心配してくれた。
……本当に、いい奴なんだよなあ。
だからこそ、何だか余計に申し訳なくなってしまう。
俺は小さくため息をつきながら、ゆっくりと流れる川を眺めた。




