第48話 同じ体質でも、生き方はこんなに違うらしい【挿絵あり】
……終わった。
俺は財布を握りしめたまま、目の前の若い女性を呆然と見つめていた。
「キミも、同類なんだね」
その一言で、今まで必死に隠してきた秘密が、すべて崩れ去ったような気がした。
酒を飲むと女の子になることも、本当は三十五歳の男であることも、全部バレてしまったのである。
白玲学園に入ってから、俺は何度も危ない目に遭いながら、どうにか女子高生として生活してきた。麗奈や遥たちと仲良くなり、都市伝説研究部にも入って、今日だって楽しい宿泊学習を過ごしていたのに。
……もう、みんなと一緒にいられなくなるのかな。
そう考えた途端、胸の奥から何かがこみ上げてきた。
「……うっ……」
視界がじわりと滲み、頬を涙が伝っていく。
……おいおい、泣くなよ、俺!
三十五歳の男だぞ?こんなところで泣いてどうする!
しかし、一度溢れ始めた涙は止まらなかった。
「……ご、ごめんなさい……ひっく……」
「あらら、ちょっと待って。そんなに泣かないでよ」
女性は困ったように眉を下げ、ポケットからハンカチを取り出した。
「別に責めるつもりじゃないんだ。キミの秘密を誰かに話そうとも思ってないよ」
「……ほ、本当……ですか……?」
「もちろん。むしろ、同じ体質の人に会えて嬉しかったくらいだからね」
差し出されたハンカチで目元を押さえながら、俺は恐る恐る顔を上げた。
そういえば、この人もさっき、俺の目の前で男性の姿に戻っていた。しかも、ビールを飲むと再び若い女性になったのである。
俺は改めて女性の顔を見つめた。
「……あの、もしかして……」
「うん?」
「……昼間の館長さん……ですよね?」
女性は一瞬きょとんとしたあと、苦笑した。
「ああ、やっぱり見られてたか。そうだよ。大正解」
「……や、やっぱり!」
つまり、白髪交じりの六十代くらいの男性館長と、昼間、佐々木が酒の匂いに気づいた若い女性スタッフは、同一人物だったのだ。
何ともややこしい話である。
「とりあえず、少し座ろうか。キミ、顔色もよくないしね」
俺は女性の姿をした館長に促され、広場のベンチへ腰を下ろした。夜風に当たっているうちに、ようやく涙も落ち着いてくる。
「それで、ボクからも確認してもいいかな?キミ、本当は女子高生じゃないんだよね?」
ここまできて、下手な嘘をついても仕方がないだろう。俺は少し迷ったあと、覚悟を決めて口を開いた。
「……はい。本当は花川正由っていう、三十五歳の男です」
「なるほど。さっきの免許証はキミのものだったんだね」
「……今は花川麻由って名前で、白玲学園に通っています……」
「麻由ちゃんか。いい名前だね」
館長は穏やかに微笑んだ。
「それにしても、もう一度高校生活を送っているなんて、なかなか思い切ったことをしたね」
「……はい……」
冷静に考えれば、三十五歳の無職男性が女子高生として学校に通っているのだから、相当無茶な話である。
「……あの、館長さんも、私と同じ体質なんですよね?」
「そうだね。お酒を飲むと女性になるという点では、同じみたいだ」
「……どうして、そんな身体になったんですか?」
俺が尋ねると、隣に座る館長は少しだけ表情を曇らせた。
「原因はボクにも分からないんだ。ただ、初めてこうなった日のことは、今でも覚えているよ」
そう言って夜空を見上げると、静かに話し始めた。
☆☆
「ボクにはね、昔、娘がいたんだ。明るくて、よく笑う子だったよ。仕事から帰ると、いつも玄関まで迎えに来てくれてね」
「……娘さん、ですか?」
「うん。でも、病気になってしまってね。いろいろ手を尽くしたんだけど……助からなかった」
「…………」
俺は何も言えなかった。
「娘がいなくなってからは、何をしていても気持ちが晴れなくてね。そんなある日、家でお酒を飲んでいたら、突然、若い女性の姿になったんだ」
慌てて鏡を見たこと、アルコールが抜けた頃には男性に戻っていたこと、もう一度酒を飲むと再び女性になったこと。
聞けば聞くほど、俺とそっくりだった。
「原因は結局分からなかった。でも、あるとき気づいたんだ。この姿、どことなく娘に似ているなって」
「……えっ?」
「目元とか、笑ったときの雰囲気とかね。そっくりというわけじゃないけど、面影があるんだ。それで、ふと思ったんだよ。もし娘が大人になっていたら、こんな女性になっていたのかもしれないって」
その言葉に、俺は思わず館長の顔を見つめた。
「もちろん、本当にそうだったかは分からない。でも、そう思うようになってから、この姿を大切にしたいと感じるようになったんだ」
館長は穏やかに微笑んだ。
「だから決めたんだよ。娘が生きられなかった、その先の人生を、せめてこの姿で生きてみようって」
「……娘さんとして、ですか?」
「そうだね。娘本人になれるわけじゃないけど、あの子が経験できなかったことを、この姿で経験してみたいと思ったんだ」
……すごいな。
同じような身体になった人でも、こんなに受け止め方が違うのか。
俺なんて、女の子になれたのが嬉しくて、調子に乗って高校生活を始めてしまったというのに。
「……何だか、すみません」
「ん?どうして謝るんだい?」
「……私なんて、ただ女の子になれたのが嬉しくて、学校にまで通い始めちゃったので……」
すると、館長はおかしそうに笑った。
「別に、理由がなければこの姿で生きちゃいけないなんて決まりはないだろう?麻由ちゃんは、今の生活が楽しいんだよね?」
「……はい。すごく楽しいです」
「だったら、それでいいじゃないか。ボクにはボクの理由があるし、麻由ちゃんには麻由ちゃんの理由がある。それぞれ、自分の人生を楽しめばいいんだよ」
「……ありがとうございます」
俺は素直に頭を下げた。
☆☆
「……そういえば、館長さん」
「うん?」
「この施設には、何十年も年を取らない女性スタッフがいるっていう噂があるんですけど……」
「ああ、その話か。どうやら生徒たちの間で広まっているらしいね」
館長はおかしそうに笑った。
「……その姿って、昔からずっと変わらないんですか?」
これは、ずっと気になっていたことだった。
もし何十年も経ってなお、今と同じ姿でいられるのだとしたら、俺の身体もそうなのだろうか。
「もし本当にボクと同じ体質なら、その姿は成長しないと思うよ」
「……えっ?」
「ボクは何十年もこの姿で過ごしているけど、見た目はほとんど変わっていないんだ。男の姿は年相応に年を取っているのに、こっちの姿だけは昔のままなんだよ」
「……ほ、本当ですか!?」
俺は思わず自分の手を見下ろした。
ということは、俺が四十歳になっても五十歳になっても、酒を飲めば今と同じ麻由の姿のままということなのか……。
「ただし、見た目が変わらないからといって、身体の時間まで止まっているわけじゃないよ。ちゃんと生きている身体なんだ」
「……どういうことですか?」
「お腹も空くし、疲れるし、病気にもなる。実際、ボクはこの女性の姿で結婚して、子供も産んでいるからね」
「……へえ、そうなんですか……」
俺は何気なく頷いた。
そして、数秒遅れて言葉の意味を理解した。
「…………え?」
結婚して、子供を産んだ?
……ん?
ちょっと待て。
「……こ、子供って……館長さんが……?」
「うん。ボクが産んだ子だよ」
「えええええええええっ!?」
静まり返った広場に、俺の叫び声が響き渡った。
「ちょっ、麻由ちゃん!声が大きいって!」
「す、すみません!」
俺は慌てて口を押さえた。
……いや、でも!
これは驚くだろ!
酒を飲んで女性になるだけでも十分おかしいのに、まさかその身体で子供まで産めるなんて!
「……に、妊娠できたんですか……?」
「できたよ。ボク自身も驚いたけどね。それに、妊娠している間は男の姿に戻ることもなかったんだ。お酒を飲まなくても、ずっと女性のままだったよ」
「…………!」
その言葉を聞いた瞬間、俺はある出来事を思い出した。
……そういえば、生理のときもそうだったじゃないか。
あの数日間、俺は酒を飲まなくても麻由の姿でいられた。普段より妙におしとやかになってしまったことまで、今でもはっきり覚えている。
……ということは、妊娠したときにも同じようなことが起こるのか?
俺は思わず自分のお腹を見下ろした。
……いやいやいや!
何を考えてるんだ、俺!
そもそも、そんな予定はまったくないだろ!
「……でも、旦那さんは館長さんの秘密を知ってるんですか?」
「もちろん。ボクが本当は男だってことも、お酒を飲むと女性になることも、全部知っているよ」
「……えっ!?全部ですか!?」
「うん。最初は驚いていたけど、ちゃんと受け入れてくれたんだ。あの人は、いろいろな生き方を尊重してくれる人だからね」
館長は少し嬉しそうに微笑んだ。
「もちろん、最初から何もかも簡単だったわけじゃないよ。何度も話し合ったし、お互いに戸惑うこともあった。でも、今ではこれがボクたちの普通なんだ」
「……へえ……」
……すごい旦那さんだなあ。
普通なら、そんな秘密を打ち明けられたら、どう受け止めればいいのか分からなくなるだろう。それなのに、全部知ったうえで一緒に生きることを選んだらしい。
「……でも、館長さんって、男性の姿でも仕事をしてますよね?」
「そうだね」
「……旦那さんとは、どういうふうに接してるんですか?」
俺が尋ねると、館長は少しおかしそうに笑った。
「ボクが男の姿でいるときは、旦那は『お義父さん』って呼ぶんだ。女性の姿でいるときは、ちゃんと妻として接してくれるよ」
「…………」
……なるほど。
いや、なるほどなのか?
同じ人が、あるときはお義父さんで、あるときは妻になるわけだ。
……何だ、その複雑な家庭環境!
「……旦那さん、ものすごく心が広いですね……」
「そうでしょ?ボクの自慢の夫だよ」
館長は照れくさそうに笑った。
「娘が大人になっていたら、結婚して子供を産んでいたかもしれない。だから、ボクもこの姿でそういう幸せを経験できて嬉しかったんだ。今でも、娘が生きられなかった人生を、娘として歩んでいるつもりだよ」
「……そうなんですね」
俺は静かに頷いた。
亡くなった娘さんへの思いを大切にしながら、その姿で新しい家族を作り、今も生きている。
この人にとって、女性の姿で過ごす時間は、決して一時的なものではないのだ。
……俺とは、随分違うな。
けれど、麻由として過ごす時間が俺にとって大切になっていることも、間違いではない。
麗奈や遥と出会い、みんなと笑い合い、今まで知らなかった世界を経験している。
この人のように何十年も先のことまでは考えられないけれど、少なくとも今の生活は大切にしたい。
☆☆
ふとスマホの時間を確認すると、かなり時間が経っていた。
「……あっ!流石に戻らないとマズいかも……」
俺は慌てて立ち上がった。
そうだった。今は宿泊学習の真っ最中なのである。部屋には麗奈たちが眠っているし、朝まで麻由の姿でいられるかどうかという問題も、まだ解決していない。
「そうだね。もう遅いし、早く戻ったほうがいいよ」
館長も立ち上がり、俺の顔を見て少し眉をひそめた。
「それに麻由ちゃん、あまり顔色がよくないね。お酒を飲みすぎたんじゃないか?」
「……うっ……」
俺は思わず視線を逸らした。
「……ちょっと、いろいろ事情がありまして……」
「まあ、そうだろうね。でも、無理はしないほうがいいよ。身体は大切にしないと」
「……はい……」
俺は素直に頷いた。
実際、今日は朝からかなり無茶をしている。これ以上飲むのは、さすがに身体が心配だった。
俺が借りたハンカチを返そうとすると、館長は軽く手を振った。
「それは持っていていいよ。今度会ったときに返してくれれば」
「……ありがとうございます」
俺はハンカチを丁寧に畳み、ポケットへしまった。
「それじゃあ、おやすみ。麻由ちゃん」
「……はい。おやすみなさい……」
俺が頭を下げ、建物へ向かおうとしたところで、館長がふと思い出したように声をかけてきた。
「ああ、そうだ。ひとつだけ忠告しておくよ」
「……はい?」
「お酒の匂いって、案外周りの人には分かるものだからね。学校生活では気をつけたほうがいいよ」
「…………っ!」
……うっ。
思い当たる節がありすぎる。
特に佐々木カレンだ。あいつの嗅覚は尋常じゃない。今日だって、クイズラリーのあとに館長の酒の匂いを嗅ぎ取っていたくらいである。
今のところ俺の飲酒には気づいていないようだが、あの鋭い嗅覚を考えると、今後は特に気をつけなければならないだろう。
「……そ、そうですね。気をつけます」
「まあ、ボクも人のことは言えないんだけどね」
「……え?」
館長は肩をすくめ、楽しそうに笑った。
「この姿で働いていると、周りからは『仕事中なのにお酒を飲んでいる女性スタッフ』だと思われているみたいだからさ」
「…………」
……いや、それでいいのか!?
確かに、酒を飲まなければ女性の姿を保てないのだから仕方がない部分もあるだろう。
しかし、そんな噂が立っているのに、よく平然と仕事を続けられるものだ。
……この人、結構神経太いな!
館長はそんな俺の心境など知る由もなく、軽く手を振った。
「じゃあ、今度こそおやすみ。残りの宿泊学習も楽しんでおいで」
「……はい!おやすみなさい!」
俺はもう一度頭を下げ、静かな建物へ戻った。
……それにしても、不思議な夜だったなあ。
秘密がバレて、何もかも終わったと思った。ところが、実際には自分と同じ体質の人に出会い、その人の人生まで聞かせてもらうことになったのである。
しかも、結婚して子供までいるとは。
……いやあ、世の中は広いなあ。
俺なんて、酒を飲んで女子高生になれるだけで人生がひっくり返った気分になっていたのに、その先にはまだまだ想像もつかない世界があるらしい。
もっとも、今の俺には、そんな遠い未来のことを考える余裕はない。
何しろ、これから戻る部屋には四人の女子高生が眠っているのだ。
そして、朝まで麻由の姿でいられるという保証は、どこにもないのである。
……頼むぞ、俺の身体。
俺は祈るような気持ちで、二階へ続く階段を上っていった。
【更新時間についてのお知らせ】
最終回までの執筆が完了しましたので、次回から更新時間を以前の朝7時10分・夜19時10分の1日2回に戻します。
物語もいよいよ終盤となりますが、最後までお楽しみいただければ幸いです!




