第47話 酒も正体も、まとめてバレてしまいました【挿絵あり】
消灯時間になり、部屋の明かりが落とされた。
「それでは皆さん、おやすみなさいませ!」
「おやすみー!麻由ちゃん、また明日ね!」
「うん、おやすみ。麗奈ちゃんも、遥ちゃんも!」
「……お、おやすみなさい……」
すでに眠っていた佐々木に続き、ほかの三人も次第に静かになっていった。
窓から差し込む月明かりが畳を淡く照らし、しばらくすると、あちこちの布団から静かな寝息が聞こえ始める。
どうやら、みんな眠ってしまったらしい。
……さて、俺はどうしたものか。
仰向けになって天井を見つめながら、何度目か分からないため息をつく。
身体は疲れている。朝からバスに揺られ、カレーを作り、クイズラリーで歩き回り、風呂ではのぼせた。おまけに夕食後には男子から告白までされたのだから、今日は本当に盛りだくさんだった。
普通なら、布団に入った途端に眠ってしまってもおかしくない。
ところが、俺の頭は妙にはっきりしていた。
……寝ている間に、元の姿へ戻ったらどうしよう。
これが怖くて仕方ないのである。
今朝は普段より多めに酒を飲み、夕方にも追加した。それでも、朝まで麻由の姿でいられる保証なんてどこにもない。
もし眠っている間に効果が切れたら、隣で眠っている麗奈たちは、朝起きた瞬間に見知らぬ三十五歳の男と対面することになる。
……想像しただけで恐ろしい。
女子生徒の宿泊部屋に男が紛れ込んでいたとなれば、大騒ぎどころでは済まないだろう。先生を呼ばれ、警察沙汰になり、俺は必死に事情を説明することになる。
もっとも、酒を飲むと女子高生になるなんて説明を、誰が信じてくれるのかという問題があるのだが。
……駄目だ。考えれば考えるほど眠れなくなる。
俺は寝返りを打ち、枕元のリュックへ目を向けた。
中には、まだ予備が残っている。
☆☆
それからしばらくして、俺は布団の中でこっそり缶を口に運んでいた。
もちろん、エナジードリンクに偽装したビールである。
さっきから少しずつ飲んでいるのだが、これがもう、とんでもなくまずい。炭酸はすっかり抜け、朝から持ち歩いていたせいで生ぬるくなっている。
以前の俺なら、こんな状態のビールを出されたら文句の一つも言っていただろう。
それでも飲んでいるのは、少しでも酒の効果を長持ちさせたいからだ。
しかし、いくら必要だからといって、身体が平気なわけではない。
「……うっ」
また胃のあたりがむかついてきた。
朝からずっと酒が入っている状態なのだ。途中で食事もしているとはいえ、さすがに負担が大きいらしい。
頭は重いし、胃は気持ち悪い。おまけに口の中には、ぬるいビールの嫌な味が残っている。
……水が飲みたい。
できれば冷たい水を飲んで、それから少し夜風に当たりたいところだ。
俺は缶をリュックに戻し、そっと身体を起こした。
消灯後は部屋から出ないように言われているが、今のままでは気持ち悪くて眠るどころではない。水を買って少し休んだら、すぐ戻ってこよう。
そう決めて財布を取り出したところで、隣の布団が目に入った。
遥が気持ちよさそうに眠っている。
普段はあんなに元気いっぱいなのに、眠っているとずいぶん静かだ。隣の麗奈も穏やかな寝顔をしており、ハニーブラウンの髪が枕の上に広がっている。
……おお、天使が二人。
さらに視線を向けると、眼鏡を外した柴田も、いつも眠そうな佐々木も、すっかり夢の中だった。
……何だよ、この部屋。天使しかいないじゃないか。
俺は思わず頬を緩めたが、すぐに我に返った。
……いや、見惚れてる場合じゃない!
この天使たちの隣で、朝になったら男に戻っているかもしれないんだぞ!
俺はみんなを起こさないように立ち上がり、そっと襖を開けた。
☆☆
夜の廊下は、昼間とは別の建物のように静まり返っていた。
俺は足音を忍ばせながら階段を下り、一階の自動販売機で水を買った。冷たいペットボトルを手にすると、それだけで少し安心する。
さっそくキャップを開けて一口飲んだ。
「……はあ、生き返る」
ただの水が、こんなに美味しく感じるとは。
もう一口飲んでから、建物の外にある広場へ続く扉を開けた。
外へ出ると、涼しい風が頬を撫でた。山の夜は思っていた以上に冷え込むらしく、昼間の暑さが嘘のようだ。
俺は大きく息を吸い、ゆっくり吐き出した。
……ああ、気持ちいい。
これなら少し休めば、気分もよくなりそうだ。
そう思いながら広場を見渡したとき、奥のベンチに人影があることに気づいた。
……あれ?誰かいる。
先生だったらまずいと思い、慌てて近くの植え込みに身を寄せる。
ベンチに座っていたのは、スウェット姿の女性だった。二十代から三十代くらいに見える、すっきりとした顔立ちの人で、スマホを眺めながらくつろいでいる。
その顔には見覚えがあった。
……あの人、昼間のスタッフさんじゃないか?
クイズラリーのゴールで、お茶を配ってくれた女性だ。
佐々木が、一瞬お酒の匂いがしたと言っていた相手でもある。
今は制服ではなくスウェット姿だから、もう仕事は終わったのだろう。こんな時間に一人で何をしているのかは分からないが、休憩中なら邪魔しないほうがよさそうだ。
俺が部屋へ戻ろうか迷っていた、そのときだった。
ベンチに座る女性の姿が、ふいに変わり始めた。
「……えっ?」
背が伸び、肩幅が広くなり、顔立ちが変わっていく。長かった髪も短くなり、ほんのわずかな時間で、そこには一人の男性が座っていた。
俺は思わず植え込みの陰にしゃがみ込んだ。
……今の、まさか。
自分自身が何度も経験していることだから、何が起きたのかは分かる。
問題は、目の前でそれが起きたという事実だ。
しかも、その男性の顔を見て、俺はさらに驚いた。
……館長!?
昼間、玄関ホールで館内の説明をしてくれた、白髪交じりの男性館長だった。
あの若い女性スタッフと館長が、同じ人物だったとは。
俺が息を潜めていると、館長は自分の手を見下ろし、小さく呟いた。
「……あら、切れちゃったか」
そして、ベンチの横に置いてあった袋から缶ビールを取り出し、慣れた手つきで開けた。
プシュッという音が、静かな広場に響く。
館長はそのまま缶に口をつけ、何口か飲んだ。
すると、再び身体が変わり始めた。
背丈が低くなり、肩幅が狭まり、顔立ちも若返っていく。髪が伸び、ほどなくして、さっきまでの女性スタッフの姿に戻ってしまった。
女性は何事もなかったように缶を脇へ置き、再びスマホを操作し始めた。
……間違いない。
この人も、俺と同じような体質なんだ。
酒の効果が切れると男性の姿に戻り、飲めば女性の姿になる。細かい仕組みまで同じかは分からないが、少なくとも今見た限りでは、俺とそっくりだった。
それにしても、館長が女性スタッフだったとはなあ。
そういえば、昼間の館内説明が終わってから、館長の姿を一度も見ていない気がする。
カレー作りのときも、クイズラリーのときも、食堂で夕食を食べたときも、ほかのスタッフはたくさん見かけたのに、館長だけは見かけなかった。
……なるほど。ずっと女性スタッフとして働いていたのかもしれない。
そして、遥が話していた『何十年も年を取らない女性』の都市伝説。
……あれ?
ちょっと待てよ。
噂になっている女性が、この人だとしたら……。
……何十年も年を取らないって、どういうことだ?
確かに、女性の姿は若く見える。
もし何十年も前から同じ女性の姿で働いているのなら、どうして今もあんなに若いんだ?
俺の場合、麻由の姿になれば十六歳くらいに見えるけど、それが何十年も続いたらどうなるのかなんて、考えたこともなかった。
……まさか、あの姿のまま年を取らないのか?
いや、そんなことがあるのだろうか。
もっとも、酒を飲んで女子高生になっている俺が、今さら常識を持ち出すのもおかしな話ではある。
……この人、いったい何者なんだ?
俺はベンチの女性を見つめた。
水瀬先生以外にも、自分と似たような秘密を持つ人がいたなんて。
しかも、こんな宿泊学習の最中に出会うとは思わなかった。
……ちょっと話を聞いてみたい気もするが、今は消灯時間を過ぎている。
何より、こちらから声をかければ、自分の秘密まで明かすことになりかねない。
俺が迷っていた、そのときだった。
パッ!
「ひゃっ!?」
突然、頭上の照明が点灯した。
どうやら人感センサーが反応したらしい。植え込みの陰に隠れていたつもりだったのに、俺の立っている場所が一気に明るくなってしまった。
……まずい!
「あら?」
ベンチの女性が顔を上げた。
そして、こちらに気づくと、不思議そうに首を傾げる。
「こんな時間にどうしたの?」
「……あ、あの!」
俺は慌てて姿勢を正した。
「す、すみません!ちょっと喉が渇いて、水を買いに……」
手に持っていたペットボトルを見せると、女性は小さく頷いた。
「ああ、そうなんだ。でも、消灯時間は過ぎているでしょう?早くお部屋へ戻らないと」
「は、はい!すぐ戻ります!」
よかった。どうやら、普通に注意されるだけで済みそうだ。
俺は頭を下げ、その場を離れようとした。
ところが。
「……ねえ、キミ」
「……はい?」
女性がスマホを置き、ゆっくりと立ち上がった。
「見てた?」
「…………っ!」
ヒュッ、と喉が鳴った。
……気づかれた!
「え、えっと……その……」
否定しようにも、何と言えばいいのか分からない。
女性は俺の反応を見て、何かを察したらしい。少し困ったように笑いながら、こちらへ近づいてきた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫だから」
「ひ、ひぃ……!ご、ごめんなさい!そんなつもりじゃ……!」
俺は慌てて頭を下げた。
その拍子に、ポケットへ入れていた財布が滑り落ちた。
「あっ!」
地面に落ちた財布が開き、中から一枚のカードが飛び出す。
……しまった!
急いで拾おうとしたが、女性のほうが先にそれを見つけた。
「ん?免許証?」
「…………っ!」
……ああああ!
よりによって、それかよ!
地面に落ちていたのは、花川正由の運転免許証だった。
もちろん、顔写真も名前も、三十五歳の男のものだ。
女性は不思議そうに首を傾げる。
「今日泊まる宿泊学習の生徒は高校一年生だよね?どうして免許証なんて持っているの?」
「あ、あの……これは、その……!」
俺は慌てて免許証を拾い、財布に押し込んだ。
「兄のです!ちょっと預かってまして!」
……また兄かよ!
竹内に説明したときといい、俺は困るとすぐ架空の兄を登場させるらしい。
「お兄さんの免許証?」
「は、はい!」
「ふうん……」
女性はそれ以上何も言わず、俺の顔をじっと見つめていた。
……頼む。納得してくれ。
だが、次の瞬間、女性がふと鼻を動かした。
「あれ……?」
「……え?」
「それに、……この匂い」
女性は少しだけ顔を近づけ、確かめるように尋ねてきた。
「もしかして、今お酒が入っているの?」
「…………っ!?」
……バレた!
そりゃそうだ。さっきまで、あのぬるいビールをちびちび飲んでいたのだから。
しかも朝からずっと酒が入った状態である。自分では気づかなくても、相当匂っているのかもしれない。
「ち、違います!これは……!」
とっさに否定しかけたが、うまい言い訳が浮かばない。
目の前の女性は、ついさっきビールを飲んで姿が変わったばかりなのだ。そんな相手に酒の匂いをごまかそうとしても、無理があるだろう。
女性はしばらく俺を見つめていたが、やがて何かに気づいたように目を細めた。
「……ああ、なるほど」
「……え?」
女性の視線が、俺の財布へ向けられる。
それから、俺の顔へ戻った。
「免許証を持っている高校一年生の女の子。それに、お酒の匂い……」
「…………」
……まずい。
この人、察しがいい。
女性は小さく頷くと、納得したように微笑んだ。
「そういうことね……」
「……な、何がですか……?」
俺は最後の望みをかけて、とぼけてみた。
しかし、女性はそんな俺の反応を見て、ますます確信を深めたらしい。
「キミも、同類なんだね」
「…………っ!」
……終わった。
今の一言で、完全に分かった。
この人には、酒のことだけでなく、俺の正体まで見抜かれてしまったのだ。
いや、考えてみれば当然かもしれない。
自分と同じような体質の人間が、酒の匂いをさせながら男の免許証を持っていたら、俺だって疑うだろう。
それでも、まさかこんなにあっさり見破られるとは思わなかった。
女性は穏やかに微笑んでいる。
怒っている様子はないし、むしろ少し嬉しそうにさえ見えた。
しかし、俺にはその笑顔を見て安心する余裕などなかった。
……酒も、正体も、両方バレた。
俺は財布を握りしめたまま、目の前の女性を呆然と見つめるしかなかった。




