第45話 三十五歳、二度目の青春で初めて告白されました【挿絵あり】
「……はあ。ようやく落ち着いた」
大浴場から戻った俺は、部屋の隅に腰を下ろして大きく息を吐いた。
さっきは本当にひどい目に遭った。せっかくの大浴場だからと長湯した結果、見事にのぼせてしまったのである。
麗奈と遥に支えられて浴場を出たあと、しばらく涼しい場所で休んでいたおかげで、今はすっかり気分もよくなっていた。
「麻由さん、本当にもう大丈夫ですの?」
「うん。心配かけてごめんね、麗奈ちゃん」
「いいえ!お元気になられて何よりですわ!」
麗奈は安心したように微笑んだ。
「もう!麻由ちゃん、無理しちゃ駄目だよ?」
「うん。反省してるよ」
「……次からは、早めに上がりなよ」
佐々木がスマホから目を離さずに言った。
「……はい」
……ごもっともです。
あのとき一番冷静だったのは佐々木だった。俺の顔色が悪くなっていることにも、真っ先に気づいてくれたのである。
何だかんだで、よく周囲を見ている子なんだよな。
「……あ、あの……お水、飲みますか……?」
柴田が心配そうにペットボトルを差し出してくれた。
「あっ、ありがとう、柴田さん!」
「……い、いえ……」
俺がお礼を言うと、柴田は少し照れくさそうに微笑んだ。
……みんな優しいなあ。
ただ、今夜はまだ終わっていない。このあと夕食を食べ、消灯時間になれば、四人と同じ部屋で眠ることになるのだ。
俺は手元の水を一口飲み、窓の外へ目を向けた。
☆☆
夕食は一階の食堂で、ほかの班の生徒たちと一緒に食べることになった。
昼間は自分たちでカレーを作ったが、夕食は施設の人たちが用意してくれたものだ。ご飯に味噌汁、焼き魚や煮物などが並び、なかなか豪華な献立である。
「まあ!とっても美味しそうですわ!」
「お腹すいたー!」
麗奈と遥が嬉しそうに声を上げる。
俺も席に着き、さっそく食事を始めた。昼間はあれだけカレーを食べたというのに、クイズラリーで歩き回ったせいか、意外とお腹が空いている。
「……美味しい」
佐々木が焼き魚を一口食べ、ぽつりと呟いた。
「おっ、佐々木さんが褒めた!」
「……何?」
「いや、佐々木さんって料理上手だから、味にも厳しいのかなって!」
「……普通に美味しいものは美味しいでしょ」
「そ、そうだね!」
……正論だ。
佐々木はそれ以上何も言わず、黙々と食事を続け、俺もそれにならって箸を進めた。
☆☆
夕食を終えると、消灯時間までは自由時間になった。
施設の決められた範囲内であれば、ほかの班の友達と話したり、部屋でのんびり過ごしたりしてもいいらしい。
「麻由さん、そろそろお部屋へ戻りませんこと?」
「うん、そうだね」
「私も戻ろうかな!まだ時間あるし、みんなでお話ししようよ!」
遥の提案に麗奈が嬉しそうに頷き、俺たちは五人揃って食堂を出た。
廊下には夕食を終えた生徒たちが行き交い、あちこちから楽しそうな話し声が聞こえてくる。
こういう雰囲気、懐かしいなあ。
昔の高校生活でも、宿泊行事の夜は妙にわくわくしたものだ。普段とは違う場所で友達と一緒に過ごすだけで、何だか特別な気分になるのである。
「あっ!麗奈!」
そんなことを考えていると、前方から聞き覚えのある声がした。
振り返ると、金髪の女子生徒がこちらへ歩いてきていた。
「七原さん!」
「よっ、花川!」
七原愛である。いつもの勝気な笑みを浮かべ、どこか得意げな様子だった。
「ふふっ。ごきげんよう、愛さん!」
「へへっ!麗奈、今日のクイズラリー、どうだった?」
「とても楽しかったですわ!」
「そっかそっか!」
七原は満足そうに頷くと、わざとらしく胸を張った。
「まあ、あたしたちの班が優勝だったけどね!」
「あはは、そうだったね!」
そういえば、クイズラリーのあとには結果発表と、ちょっとした表彰式があったのだ。
各班の正解数とゴールまでの時間をもとに順位が発表され、見事一位に輝いたのが七原の班だった。
代表として先生から表彰されていた七原は、やたらと麗奈のほうを見ていた。いかにも『どうよ!』と言いたげな顔で。
対する麗奈は、そんな対抗心などまったく気づいていない様子で、誰よりも嬉しそうに拍手していたのである。
「愛さん、改めまして、おめでとうございます!」
麗奈がにっこりと微笑んだ。
「さすがですわ!クイズラリーで一位を取られるなんて、本当に素晴らしいですわね!」
「へへっ!でしょ?」
七原はますます得意げになった。
「あたし、こういうの結構得意なんだよね!みんなを引っ張っていくのも嫌いじゃないし!」
「まあ!とても頼もしいですわ!」
「そ、そう?まあ、当然だけどね!」
……嬉しそうだなあ。
麗奈に褒められるたびに、七原の表情がどんどん明るくなっていく。
中学時代から麗奈をライバル視しているらしいが、こうして見ると、単純に褒めてもらいたいだけなんじゃないかと思えてくる。
「でも、麗奈たちの班も結構頑張ったんでしょ?」
「ええ!皆さんのおかげで、とても楽しく回れましたわ!ただ、わたくしが何度か道を間違えてしまいまして……」
「えっ、また迷ったの?」
七原が目を丸くした。
「ふふっ。お恥ずかしいですわ」
「……あんた、昔から変わんないねえ」
七原は呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。
「でもまあ、今回はあたしの勝ちってことで!」
「はい!愛さんの勝利ですわ!次の機会には、わたくしたちも負けないよう頑張りますわね!」
「おっ、いいじゃん!望むところだよ!」
七原がにやりと笑う。
……本当に仲がいいな、この二人。
……可愛らしい奴だなあ。
そう思っていると、廊下の向こうから女子生徒たちの声がした。
「愛ちゃーん!そろそろ部屋戻ろー!」
「あっ、うん!」
七原が振り返ると、そこには同じ班らしい女子生徒たちが待っていた。
「じゃあ、あたし行くね!」
「はい!おやすみなさい、愛さん!」
「まだ寝ないって!」
七原は笑いながら手を振り、仲間たちのところへ駆け寄っていった。
……あいつ、本当に不良になりきれてないよなあ。
金髪で制服を着崩して、普段はあんなに強気なのに、友達に呼ばれたら素直に返事をするし、麗奈に褒められればすぐ嬉しそうになる。
根っこの部分が、どうにも純粋なのである。
俺は小さく笑い、みんなと一緒に歩き始めた。
☆☆
「……あの、花川さん」
「ん?」
階段へ向かおうとしたところで、不意に後ろから声をかけられた。
振り返ると、そこには同じクラスの男子生徒が立っていた。顔には見覚えがあるが、普段それほど話す相手ではない。
「あっ、どうしたの?」
「えっと……ちょっと話、いいかな?」
「うん?いいけど」
俺が首を傾げると、男子はちらりと麗奈たちへ目を向けた。
「いや、その……ここではちょっと……少しだけ、二人で話せない?」
「……え?」
わざわざ二人で?
何か相談事だろうかと思っていると、隣にいた佐々木が小さくため息をついた。
「……ほら、先戻るよ」
「えっ?麻由ちゃんは?」
「……いいから。行くよ」
佐々木はそれだけ言うと、麗奈と柴田にも声をかけた。
「まあ?カレンさん?」
「……部屋、戻ろ」
麗奈は少し不思議そうにしていたが、すぐに頷いた。
「分かりましたわ!」
「じゃあ、麻由ちゃん!私たち先に部屋行ってるねー!」
「あっ、うん!すぐ戻るね!」
遥が手を振り、四人は階段のほうへ歩いていった。
俺は男子に案内され、少し離れた廊下へ移動した。そこは食堂からも階段からも離れており、周囲にほかの生徒の姿はなかった。
「それで、どうしたの?」
「あのさ、花川さん。俺、前から言いたいことがあって……」
「……私に?」
「うん」
男子は一度、大きく息を吸うと、真剣な顔でこちらを見つめてきた。
「俺、花川さんのことが好きなんだ」
「…………」
……ん?
「……えっ?」
「だから、その……好きです」
俺は思わず固まった。
好き?誰が?誰を?
……えっ、俺を!?
「花川さんが転校してきた日、教室で初めて見たときから、ずっと気になってたんだ」
「…………」
「最初は、その……すごく可愛い子が来たなって思って。でも、話してみたら明るいし、誰にでも優しいし……そういうところも、いいなって思って」
「……そ、そうなんだ」
「それに、前に俺が話しかけたときも、普通に笑って話してくれたでしょ?あのとき、すごく嬉しかったんだ。話してて楽しかったし」
……ちょっと待て。
話しかけられたとき?
いつだ?
転校してから、クラスの男子とは何度か話している。授業の合間に雑談したり、ちょっとした質問に答えたり。それくらいの交流なら普通にあったはずだが、どのときの話なのか思い出せない。
というか、本当に申し訳ないんだけど。
……俺、君の名前が分からないんだよなあ!
顔には見覚えがあるし、同じクラスなのも間違いない。ただ、転校してからまだそれほど日が経っていないうえに、毎日いろいろなことが起こりすぎている。
クラスメイト全員の名前を覚えるところまでは、なかなか手が回っていなかったのだ。
……いや、今さら名前なんて聞けないだろ!
こんな真剣な顔で告白してくれている相手に、『ところでお名前は?』なんて言えるわけがない。
「だから、もっと仲良くなりたいって思ってたんだ」
男子は照れくさそうに笑った。
「もしよかったら、俺と付き合ってくれないかな?」
「…………っ!」
とうとう来てしまった。
……いや、さっきから告白されてるんだから、来るに決まってるんだけど!
「え、えっと……その……」
俺はしどろもどろになった。
何しろ、俺の中身は三十五歳の男である。今まで男から告白された経験なんて一度もないし、こんなときにどう返事をすればいいのかも分からない。
ただ、目の前の男子が相当勇気を出して声をかけてくれたことは伝わってきた。
それだけに、適当に返事をするわけにはいかない。
俺は改めて相手の顔を見た。
好きか嫌いかと聞かれれば、どちらでもない。そもそも名前すら分からないのだから、恋愛感情なんてあるはずもなかった。
それに、今の俺には普通の高校生とは違う事情がある。そんな状態で、軽い気持ちで付き合うなんて言えるわけがない。
「……あの」
「うん」
「……ごめんなさい」
俺は小さく頭を下げた。
「気持ちは嬉しいんだけど……その、付き合うことはできないかな」
男子は一瞬、言葉を失ったようだった。
それから、少し寂しそうに笑った。
「……そっか。分かった」
「……ごめんね」
「いや、謝らないでよ。俺が勝手に好きになって、勝手に告白しただけだからさ」
男子は慌てて首を横に振ると、少し照れくさそうに笑った。
「ちゃんと返事してくれてありがとう。急に呼び出してごめんね」
「ううん。そんなことないよ」
「……じゃあ、俺、戻るね。おやすみ、花川さん」
「……おやすみなさい」
それだけ言うと、男子は廊下の向こうへ歩いていった。
俺はその後ろ姿を、しばらく黙って見送っていた。
……行っちゃった。
静かな廊下に一人取り残され、ようやく大きく息を吐く。
……いやいやいや。
今、俺、告白されたんだよな?
しかも、男から。
今さらながら、胸のあたりが妙に落ち着かなくなってきた。心臓がさっきからやけに速く動いている。
……何だこれ。
別に、あの男子のことを好きだったわけじゃない。嫌いだったわけでもないし、正直、あまり知らない相手だった。
それなのに、告白されるってだけで、こんなにドキドキするものなのか?
俺は思わず胸元に手を当てた。
付き合いたいと思ったわけではないし、断ったことを後悔しているわけでもない。ただ、誰かが自分のことを好きになって、勇気を出して気持ちを伝えてくれた。
その事実が、思っていた以上に大きかったのだ。
「……やばい……なんかまだドキドキする……」
思わず呟いた。
昔の高校生活では、こんな経験はなかった。誰かから突然告白されるなんて、ドラマや漫画の中だけの話だと思っていたくらいである。
それが今では、転校して間もないというのに、こんなことまで起こってしまった。
三十五歳になってから始まった、二度目の高校生活。
今度こそ、昔とは違う青春を楽しめるかもしれないと思っていたけれど。
……どうやら俺の二度目の青春は、一度目よりもずっと濃い青春になりそうだった。




