第40話 楽しい宿泊学習、俺だけ別の意味で命懸けです【挿絵あり】
宿泊学習当日の朝。
俺はリビングのテーブルに並んだ三本の空き缶を眺め、ため息をついた。
いつもなら二本で済ませるビールを、今日は三本飲んでしまったのである。
何しろ、今回の宿泊学習は一泊二日だ。普段の学校生活なら夕方まで麻由の姿でいられればいい。しかし今回は夜も翌朝も、ずっとこの姿を保たなければならない。
途中で元の男の姿に戻ったら、どうなるか。
……考えたくもない。
「だけど……今日も可愛いなあ……」
鏡には、長い黒髪の少女が映っていた。問題は、その少女が朝から結構酔っ払っていることである。
頬は赤いし、頭もふわふわしている。自分でも無茶だとは分かっていたが、結局、宿泊学習を乗り切る得策は思いつかなかった。
仕方なく、酒の効果を切らさないという作戦を選んだのだ。
リュックには予備の飲み物も入っている。それから、胃の調子を整えるための飲み物も用意した。
竹内と飲んだ帰り、タクシーで吐いてしまった苦い記憶がある。今度はバスで同じ失敗をするわけにはいかない。
「……よし、行こう」
俺は長袖長ズボンの体操服に着替え、リュックを背負った。
☆☆
学校へ向かう道すがら、俺は二週間前の班決めを思い出していた。
あの日、永井先生から五人一組で班を作るよう言われた俺は、真っ先に麗奈と遥のところへ向かった。
「麻由ちゃん!一緒の班になろうね!」
「うん、もちろん!」
「わたくしもご一緒してよろしいですの?」
「当たり前だよ、麗奈ちゃん!」
三人まではあっさり決まった。ところが、残り二人となるとなかなか難しい。
「誰か誘おうよ!」
遥が教室を見回したとき、麗奈が窓際の席に目を向けた。
「あら、萌さんもまだ決まっていないようですわね」
そこには、黒緑眼鏡をかけた女の子が一人で本を読んでいた。彼女は確か、柴田萌。周囲が班決めで騒いでいるのに、背中を丸めてひっそりとしている。
「……ああ、確か柴田さんだよね?」
「ええ。同じ茶道部なんですの。お誘いしてみますわ!」
麗奈は迷わずその席へ歩いていった。
「萌さん!」
「ひゃっ!?」
柴田が肩を跳ねさせ、本から顔を上げた。
「あ、し、白川さん……?」
「よろしければ、わたくしたちと同じ班になりませんこと?」
「……えっ?わ、私が……?」
「もちろんですわ!」
柴田は本を抱きしめ、困ったように視線を泳がせた。
「で、でも……その……私、あまり……」
「よかったら一緒にどうかな、柴田さん?」
「私も歓迎だよ!」
俺と遥が声をかけると、柴田はますます小さくなった。
「……あ、あの……よろしく、お願いします……」
「まあ!ありがとうございます!」
麗奈は嬉しそうだったが、柴田はどう見ても断りきれなかった感じである。
こうして四人になったものの、最後の一人が決まらなかった。
「あら、佐々木さんがまだだったわね」
出席簿を見ていた永井先生が顔を上げた。
「花川さんたちの班、空いてるわよね?佐々木さんに入ってもらいましょう。今日はお休みだから、先生から伝えておくわ」
「えっ、あ、はい……」
……決定しちゃったよ。
佐々木カレン。ピンクメッシュの長いウェーブヘアが印象的な、欠席の多いクラスメイトだ。教室で何度か見かけたが、まともに話したことはない。
どんな子なのかも分からないまま、俺たちの五人班が完成したのだった。
☆☆
「麻由ちゃーん!おはよう!」
校門へ着くと、遥が元気よく手を振ってきた。
「おはよう、遥ちゃん!」
「いよいよだね!楽しみ!」
「うん!そうだね!」
俺も笑顔で答える。……実際には不安でいっぱいだけどな。
校門前には大型バスが並び、長袖長ズボンの体操服を着た一年生たちが集まっていた。
「麻由さん!遥さん!」
ハニーブラウンの髪をハーフアップにまとめた麗奈がやってきた。
「ごきげんよう!わたくし、昨夜は楽しみでなかなか眠れませんでしたの!」
「おはよう、麗奈ちゃん!」
「白川さんもそんなことあるんだ!」
「もちろんですわ!」
麗奈が笑うと、遥もつられて笑った。ただ、遥の言葉にはまだ少し遠慮がある。
麗奈は誰にでも気さくに話しかけるのだが、理事長令嬢という立場のせいで、相手のほうが身構えてしまうのだ。
今回の宿泊学習で、遥とも気兼ねなく冗談を言い合えるようになるといいな。
「あっ、萌さん!」
麗奈が声をかけた先には、リュックの肩紐を握りしめた黒緑眼鏡の柴田萌がいた。
「おはようございます、萌さん!」
「お、おはようございます……」
柴田は小さく頭を下げた。どうやら、今日も緊張しているらしい。
☆☆
「はーい!一年二組、集合して!」
永井先生の声に、生徒たちが集まっていく。
「出発前に、抜き打ちの手荷物検査をしまーす!」
「…………へ?」
俺の笑顔が固まった。
手荷物検査?今、手荷物検査って言った?
「宿泊学習に必要のないものを持ってきていないか、確認するからね!」
「えーっ!聞いてないですよ!」
「だから抜き打ちなのよ!」
……ここはテーマパークの入場ゲートか何かか!?
さっそく男子の鞄から携帯ゲーム機が見つかった。
「宿泊学習中はゲーム禁止って言ったわよね?」
「バスの中だけでも……」
「駄目です!帰るときまで先生が預かります!」
「ええーっ!」
男子はがっくりと肩を落とした。
……容赦ねえ。
しかし、俺には笑っている余裕がない。リュックには予備のビールを持ってきているのだ。
とはいえ、検査される可能性は考えていた。蓋付きのエナジードリンクの缶に飲み物を入れ替えてある。外見だけなら普通の缶と変わらない。
……落ち着け。大丈夫なはずだ。
「次、花川さん!」
「は、はいっ!」
先生がリュックのファスナーを開けた。
「…………」
そして、ぴたりと動きを止める。
「……花川さん?」
「は、はい!」
「……これ、何?」
リュックの中には、エナジードリンクの缶がぎっしり詰まっていた。
「……えっと、飲み物です!」
「それは見れば分かるわよ!どうしてこんなにあるの!?」
「あ、あはは……水分補給用に……」
「水分補給!?」
先生は呆然と俺を見つめた。
「飲み物は持ってきていいって言ったけど、こんなに飲んだら身体壊すわよ!?」
……ごもっともです。
「エナジードリンクにはカフェインが入ってるのよ。大量に飲んだら危険なんだからね!」
「は、はい……」
「水やお茶もちゃんと飲むこと!具合が悪くなったらすぐ先生に言うのよ?」
「分かりました!」
先生はため息をつき、リュックを閉じた。
「まったく……次の人!」
……助かった。
俺はリュックを抱え、そそくさと列を離れた。
「麻由ちゃん!エナジードリンク、あんなに持ってきたの!?」
遥が目を丸くしている。
「あ、あはは……ちょっとね」
「ちょっとって量じゃなかったよ!?」
「ふふっ。麻由さん、とても楽しみにしていらしたんですのね!」
麗奈はなぜか嬉しそうだった。
……いや、麗奈ちゃん。そういうわけじゃないんだ。
「……あ、あの……」
柴田がおずおずと声をかけてきた。
「……お顔が……少し、赤いですけど……大丈夫、ですか……?」
「えっ!?あ、うん!ちょっと暑くて!」
「……そ、そうですか……」
柴田は心配そうに頷いた。
……この子、意外とよく見てるな。
それにしても、まだ四人しかいない。
「そういえば、佐々木さんは?」
「まだ来てないみたいだね」
遥が辺りを見回す。
「もうすぐ出発ですのに、心配ですわね」
そのときだった。
「……あー、だる……」
背後から、気の抜けた声が聞こえた。
振り返ると、ピンクメッシュの長いウェーブヘアの女子が歩いてきていた。全員と同じ体操服姿なのに、妙に近寄りがたい雰囲気がある。
佐々木カレンだ。
「……あー、いた。おまたせー」
「お待ちしておりましたわ、カレンさん!」
「おはよう、佐々木さん!」
「……ん。おはよ、白川、坂井」
佐々木は柴田にも軽く顎を向けた。
「……柴田もよろしく」
「……よ、よろしくお願いします……」
そして最後に、俺を見る。
「……あんたが噂の転校生?」
「あ、うん!花川麻由です。よろしくね、佐々木さん!」
「……ふーん。よろしく、転校生」
……名前で呼んでくれないのかよ。
佐々木はそれだけ言うと、スマホを取り出した。
七原も見た目は不良っぽいが、話してみると面倒見がいいし、意外と真面目だ。それに比べて佐々木は、本当に周囲に興味がなさそうだった。
「ふふっ。これで五人揃いましたわね!」
麗奈は嬉しそうに微笑んでいる。
……なかなか個性的な班だな。
でも、これも何かの縁だ。宿泊学習が終わる頃には、五人で気軽に笑い合えるようになっていたら嬉しい。柴田や佐々木とも、できれば仲良くなりたい。
……まあ、その前に。俺自身が無事に乗り切らなきゃいけないんだけどな。
すると佐々木が、俺のリュックへ目を向けた。
「……ねえ、転校生」
「えっ?何?」
「さっき先生に怒られてたじゃん。エナドリ、そんなに好きなの?」
見られてた。
「あ、あはは……まあ、ちょっと……」
「……ふーん。変わってんね」
佐々木は欠伸をして、スマホをしまった。
「……さっさとバス乗ろ。だるい」
……この子。
七原より、よっぽど本物の不良っぽいぞ。
こうして、何とも微妙な五人組の宿泊学習が始まった。
いつも本作をお読みいただき、ありがとうございます!
これまで朝7時10分と夜19時10分の1日2話更新を続けてきましたが、今後は毎日19時10分の1日1話更新に変更させていただきます。
更新ペースは少しゆっくりになりますが、これからも楽しく読んでいただけるよう、執筆を続けていきたいと思います。
引き続き、花川麻由たちの物語をよろしくお願いいたします!
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