第39話 高校生活最大の難関、宿泊学習がやってきた!【挿絵あり】
目を覚ました瞬間、頭の奥がずきりと痛んだ。
「……うう、飲みすぎた」
喉は渇いているし、胃も重い。昨日の酒がまだ身体に残っているらしい。軽い二日酔いというやつだ。
昨日は失業手当の手続きをするため職安へ行き、偶然再会した竹内と居酒屋へ入った。酒は飲まないつもりだったのに、注文違いのウーロンハイで麻由の姿になり、そこから結局飲みまくってしまったのである。
しかも、帰り際には酔ってふらついた俺を竹内が支えようとして、またしても俺の胸に竹内の手が当たるという気まずい事故まで起きた。
……あいつ、前にも同じことやらかしてなかったか?
もちろん、わざとじゃないのは分かっている。竹内も慌てて謝っていたし、俺だって転びそうになったところを助けてもらったのだ。
それにしたって、同じ元同僚に二度もこんな事故を起こされるとは思わなかった。
「……今日は流石に学校は休めないな」
洗面所の鏡には、いつもの花川正由が映っていた。昨日は体調不良ということにして欠席したので、今日は元気な顔を見せておきたい。
水を飲んで少し落ち着いたところで、冷蔵庫を開ける。奥に並ぶビール二本を見て、思わずため息が出た。
「昨日あんなに飲んだのに、また飲むのかよ……」
学校へ行くには麻由の姿になる必要がある。だが二日酔いの朝にまで酒を飲むのは、どう考えても身体によくない。
「この高校卒業する前に身体壊すんじゃないか?」
笑い事ではない。水瀬先生にも、今度きちんと相談してみよう。
そう思いながら、気の進まない二本を何とか飲み終えた。途中で身体が小さくなり、長い黒髪が肩を滑り落ちる。鏡に映るのは、今日も可愛らしい花川麻由だった。
「……うん、今日も可愛い」
顔立ちを確かめて、少しだけ気分が上がる。とはいえ頭の重さまでは消えてくれない。
制服に着替えて髪を整えると、鞄を手に取った。麻由としての高校生活は楽しい。麗奈や遥にも会えるのだから、体調さえよければ朝からもっと浮かれていたはずだ。
「よし、行くか!」
俺は自分を励まし、玄関を出た。
☆☆
「麻由ちゃーん!おはよう!」
教室へ入ると、隣の席の坂井遥が真っ先に声をかけてきた。
「おはよう、遥ちゃん」
「昨日休んでたでしょ?大丈夫だった?連絡しようか迷ったんだよ!」
「うん、もう大丈夫。心配かけてごめんね」
「本当?ちょっと顔色悪くない?」
……鋭いな。実際、二日酔いなのだから仕方がない。
「ちょっと寝不足なだけだよ」
「だったら今日は無理しないでね!」
遥の優しさが胸に刺さる。職安へ行ったのは本当だが、そのあと竹内と飲んでいたのも本当だ。体調不良という欠席理由を信じて心配してくれる友達に、何とも申し訳ない。
「麻由さん!」
今度は白川麗奈が自分の席から歩いてきた。ハニーブラウンの髪を揺らし、琥珀色の瞳で俺を見つめる。
「昨日はお休みでしたので、とても心配いたしましたわ。お身体はもうよろしいんですの?」
「うん、元気だよ!」
「本当ですの?少しお顔の色が優れないように見えますけれど……」
「あはは、寝不足なだけだから」
「まあ!それでしたら、今日は早めにお休みになってくださいまし!」
麗奈はほっとしたあと、また少し不安そうな顔になった。
「土曜日はあんなにお元気でしたのに……。もしかして、わたくしがお邪魔して、お疲れになったのではありません?」
「違う違う!麗奈ちゃんと遊んだのはすっごく楽しかったよ!」
「……本当ですの?」
「もちろん!」
「それなら安心いたしましたわ!」
麗奈が嬉しそうに微笑む。土曜日の訪問では色々あったが、一緒に遊んだ時間が楽しかったのは本当だ。
だからこそ、昨日のことが余計に後ろめたい。二人ともこんなに心配してくれているのに、俺は昼間から飲んでいたのである。
……今度こそ飲みすぎには気をつけよう。
そう心に誓ったところで、予鈴が鳴った。
☆☆
「……おはよう、みんな」
教室に入ってきた永井彩未先生を見て、俺は思わず目を丸くした。
いつも明るい先生が、今日は見るからに疲れ切っている。教卓に鞄を置くと、こめかみを押さえて小さくため息をついた。
「おはようございまーす!」
「うっ……みんな、今日はもう少し静かにお願い……」
元気な挨拶に先生が顔をしかめる。
「先生、どうしたんですか?」
「ちょっと頭が痛くてね……」
「風邪ですか?」
「ううん、風邪じゃないんだけど……」
そう言って水筒の水を飲む姿を見て、俺は確信した。
……二日酔いだ。
昨日、居酒屋の出口で永井先生とすれ違っている。私服姿の先生は、月曜日の昼間から飲める喜びを隠そうともしていなかった。
『月曜日の昼過ぎからお酒が飲めるなんて、最高ねえ……!』
あの上機嫌な声が耳によみがえる。なるほど、最高だった結果が今の姿というわけか。
「先生、昨日の午後いませんでしたよね?」
男子生徒が尋ねると、先生の肩がぴくりと動いた。
「え、ええ。ちょっと用事があってね」
「もしかして、お昼からお休みして飲んでたんですか?」
「げっ!?」
……先生、今の反応はまずい。
「げ、月曜日の昼間からそんなことするわけないでしょ!先生だって社会人なのよ!」
「じゃあ何してたんですか?」
「け、研修よ!研修!先生たちだって色々勉強することがあるんだから!」
……嘘つけ。
俺は笑いをこらえて俯いた。昨日の先生は研修どころか、これから飲むぞという気合いに満ちていた。しかも午後から半休を取ったと自分で言っていたじゃないか。
「へえ、研修って大変なんですね」
「そ、そうなのよ。先生も忙しいの!」
先生は何とか話をまとめようとしているが、顔色は相変わらず悪い。
……先生、お互い昨日はたくさん飲みましたね。
心の中でそう呟いた瞬間、先生と目が合った。
「……っ!」
思わず背筋が伸びる。昨日はフードで顔を隠したが、先生のすぐそばを通った。もし気づかれていたら……。
「あら、花川さん」
「は、はいっ!」
「昨日は体調不良でお休みだったわよね。もう大丈夫?」
「あっ、はい!もう大丈夫です!」
……軽い二日酔いだけど。
「そう、よかった。最近体調を崩すことが続いていたから心配だったのよ」
「ありがとうございます!」
先生が優しく笑う。どうやら昨日のことは気づかれていないらしい。
「……あ、そういえば」
ところが先生は、何かを思い出したように首を傾げた。
「昨日、居酒屋で花川さんに似たような子を見かけた気がするんだけど……まさかね」
「…………っ!?」
やっぱり見られてたのか!?
「フードをかぶっていて、男の人と一緒だったような……」
完全に俺と竹内じゃねえか!
「そ、そうなんですか?でも私、昨日はずっと家で寝てましたから……」
必死に平静を装っていると、近くの男子が不思議そうに首を傾げた。
「……あれ?先生、昨日は研修だったんですよね?」
「えっ?そ、そうだけど?」
「何で居酒屋にいたんですか?」
「…………あっ」
先生の表情が固まった。
……先生、自分から言っちゃいましたね。
「やっぱり昨日飲んでたんじゃないですか!」
「ち、違うの!その、研修のあとに……!」
「研修のあと飲みに行ったんですか!?」
「だから、そうじゃなくて!」
教室が笑いに包まれる。先生は顔を赤くして言い訳を重ねるが、ますます墓穴を掘っていた。
……先生、ボロが出ましたね。
もっとも、笑っている場合ではない。俺まで昨日の居酒屋にいたと疑われたら、先生以上に困る。
「で、でも先生!私、本当に昨日は家で寝てましたから!」
「あっ、そうよね!ごめんなさい、きっと人違いだったのね!」
俺と先生の視線が合う。どうやら、これ以上この話を続けたくないという点では意見が一致しているらしい。
「はい!この話はここまで!」
先生は勢いよく手を叩いた。
「そんなことより、今日の一限はホームルームよ!」
「えー、何するんですか?」
「ふふっ。今日はみんなに決めてもらうことがあるの」
先生は黒板に大きく文字を書いた。
『宿泊学習』
「再来週の宿泊学習の班を決めるわよ!」
「マジ!?やったー!」
教室中から歓声が上がった。さっきまで先生をからかっていた男子たちまで、もう班決めの話で盛り上がっている。
「まず班分けの説明をするから、みんな聞いてね!」
「麻由ちゃん!」
隣の遥が目を輝かせた。
「一緒の班になれたらいいね!」
「あ、うん……そうだね」
少し離れた席では、麗奈も嬉しそうにこちらを振り返っている。クラス中が楽しそうだ。俺だって、普通に参加できるなら大歓迎である。
……だが、ちょっと待て。
宿泊学習?宿泊ってことは、泊まるんだよな?
「…………」
俺は黒板を見つめたまま固まった。
普段の学校生活なら、朝から夕方まで麻由の姿でいられれば何とかなる。だが宿泊学習となれば、夜も翌朝もずっとこの姿で過ごさなければならない。
もし夜中に正由へ戻ったら?同じ部屋に麗奈や遥がいたら?朝になって女子の部屋から見知らぬ男が出てきたら?
……終わる。何もかも終わる。
しかも、学校行事に酒を持ち込むわけにもいかない。緊急用のチョコレートだけで乗り切れる保証だってない。
……いや、それ以前に。
風呂は?着替えは?寝るときは?
考えれば考えるほど問題が増えていく。
「麻由ちゃん?どうしたの?」
遥が不思議そうに顔をのぞき込んだ。
「えっ?な、何でもないよ!」
「宿泊学習、楽しみじゃない?」
「も、もちろん楽しみだよ!」
……嘘です。めちゃくちゃ不安です。
昨日は竹内との飲み会で正体がばれそうになり、今日は永井先生に疑われ、今度は宿泊学習である。
……俺の高校生活、イベント多すぎないか?
遥も麗奈も、どんな班になるかと目を輝かせている。その楽しそうな様子を見ると、俺だって一緒に行きたいと思う。せっかくできた友達と、思い出を作れる機会なのだから。
ただし、無事に帰ってこられるなら、の話だ。
みんなのテンションが上がるほど、俺のテンションは下がっていく。
宿泊学習。高校生活の楽しい思い出になるはずの行事。
……頼むから、俺にとって人生最大の修羅場にならないでくれよ。




