第31話 女の子の日なんて聞いてない!
翌朝、俺は冷蔵庫からビールを二本取り出し、朝食の準備を始めた。
「……やっぱり、あの子は水瀬先生なのか?」
昨夜の出来事が、どうにも頭から離れない。
都市伝説研究部の調査で目撃した、深夜のコンビニで大量の酒を買う謎の少女。あの子が曲がり角を曲がった直後、姿を消したのは確かだ。そして、その先にいたのが水瀬千尋先生だった。
しかも先生は、少女が持っていたものとよく似た買い物袋を提げていたのである。
以前、先生は自分にも普通とは違う身体の事情があると話していた。もし俺と似たような体質なら、あの少女と同一人物という可能性もある。
ただし、確証はない。少女が近くの家に入っただけかもしれないし、買い物袋だって偶然似ていただけかもしれない。
「……まあ、考えても仕方ないか」
朝食を済ませ、一本目のビールを開ける。
一口飲むと、すぐに身体が変化し始めた。手足が細くなり、目線が低くなっていく。やがて鏡の中には、見慣れた黒髪の少女が現れた。
「よし。今日も問題なし……っと」
俺は残りのビールを飲み、続けて二本目にも手を伸ばした。学校にいる間、今の姿を保つためである。
ところが、制服に着替えようとしたところで、妙な違和感を覚えた。
「……ん?」
下腹のあたりが、なんとなく重い。身体の奥がじんわりとだるく、腰のあたりまで重たく感じられる。
男の姿で朝食を食べていたときには、何ともなかったはずだ。
「……昨日、夜更かししたからかな」
よく分からなかったが、学校を休むほどでもない。俺は制服に着替え、いつもどおり家を出た。
しかし、学校へ向かう途中から、どうにも調子が悪くなってきた。歩くたびに下腹が重く、ときどき鈍い痛みが走る。腹を壊したときとも違う、妙な不快感だった。
原因が分からないまま白玲学園へ到着した俺は、教室に入るなり自分の席へ腰を下ろした。
「麻由ちゃん、おはよー!」
隣の席から元気な声が飛んできた。坂井遥である。
「あ……おはよう、遥ちゃん」
「ねえねえ、昨日のことなんだけどさ!」
遥は椅子ごとこちらへ身体を向けてきた。
「部長たちとも話したんだけど、次の調査では、あの女の子に直接声をかけてみようってことになったんだ!」
「……声をかける?」
「うん!実際に話を聞けたら、何か分かるかもしれないでしょ?」
俺は少し考えた。
もしあの少女が水瀬先生だったら、どうなるのだろう。先生は健康診断のために学園へ来た医師なので、遥たちとはほとんど面識がないはずだけど……。
もっとも、同一人物だと決まったわけではないのだが。
「でも、あんまりしつこくするのはよくないんじゃない?」
「それは部長も言ってたよ。普通に話しかけてみるだけにしようって。それに、あの子って見た目は小学生くらいだけど、ちゃんと年齢確認してお酒を買ってたんでしょ?」
「うん。そうみたいだね」
「だったら、たぶん成人してる人なんじゃないかな。相手の迷惑にならない程度に、ほどほどに調べようって話になったんだ」
「……なるほどね」
俺は小さくうなずいた。
見た目と実年齢が一致しない人間なら、ここにも一人いる。その点については、遥の考えに賛成だった。
「それでね、もし話を聞けたら――」
「……うっ」
突然、下腹に強い痛みが走った。
思わず机に手をつき、身体を丸める。
「麻由ちゃん!?大丈夫?」
「うん、ちょっとお腹が……」
「ちょっとって顔じゃないよ。保健室、行ったほうがいいんじゃない?」
「いや、そこまでじゃ……」
そう答えたものの、正直、自分でもよく分からなかった。
そんな俺たちのところへ、白川麗奈がやってきた。
「麻由さん、おはようございます!」
「あ……麗奈。おはよう」
「まあ!どうなさいましたの?お顔の色が優れませんわ」
「あ、白川さん。麻由ちゃん、お腹が痛いみたいで……」
遥が説明すると、麗奈は心配そうに俺の顔をのぞき込んだ。
「どのあたりが痛みますの?」
「えっと……この辺かな」
俺は下腹を押さえた。
「朝から何となく重かったんだけど、さっきから痛くなってきて……」
「そうでしたの……」
すると、遥が少し遠慮がちに口を開いた。
「あのさ、麻由ちゃん。腰とかも、だるかったりする?」
「……ああ、うん。なんか重い感じがする」
遥は麗奈のほうを見た。
「白川さん、もしかして……」
「……ええ。わたくしも、少し気になりましたわ」
二人は何やら納得したように顔を見合わせた。
……何だ?俺だけ話についていけていないんだが。
「麻由ちゃん、その……女の子の日だったりしない?」
「…………へ?」
「だから、生理じゃないかなって」
「せ、生理……?」
俺は口を開いたまま固まった。
もちろん、生理というものがあることくらいは知っている。女性には定期的にそういうものがあるということも、一般常識として理解しているつもりだった。
しかし。
……いやいやいや。
俺にも来るのか、それ。
そんなこと、一度も考えたことがなかったぞ。
「麻由さん?もしかして、いつもとは違う感じですの?」
「えっ!?あ、いや、その……」
まずい。どう答えればいいんだ。
今の俺は女子高生ということになっている。生理について何も知らないなんて言えば、さすがに不自然だろう。
「……こういう痛みは、初めてかも」
俺はどうにか言葉を選んだ。
「そうでしたのね。でも、まだ生理と決まったわけではありませんわ」
「そ、そうだよね!」
ただの腹痛という可能性だってある。そもそも、俺の身体が今どういう仕組みになっているのか、自分でもよく分かっていないのだ。
「麻由さん、生理用品はお持ちですの?」
「…………」
持っているわけがない。そんなものが必要になるなんて、考えたこともなかった。
「……持ってない、かな」
「でしたら、わたくしのものをお使いくださいまし。とりあえず、お手洗いへ行きましょう」
「あ、うん……」
俺が立ち上がると、麗奈がそっと腕を支えてくれた。
遥も立ち上がりかけたが、少し迷ったあと、遠慮がちに微笑んだ。
「じゃあ、私はここで待ってるね。麻由ちゃん、何かあったら言ってね」
「うん。ありがとう、遥ちゃん」
遥に見送られ、俺は麗奈と一緒に教室を出た。
女子トイレに着くと、麗奈は鞄から小さなポーチを取り出した。
「麻由さん、こちらをどうぞ」
「……これ?」
「ええ。生理用ナプキンですわ」
「あ、ありがとう……」
受け取ったものの、内心では完全に混乱していた。
……どうするんだ、これ。
いや、何に使うものかは分かる。だが、実際に使った経験なんて当然ない。
「わたくしは外で待っていますわね。何かあったら声をかけてくださいまし」
「う、うん……」
麗奈が離れるのを見届け、俺は個室へ入った。
そして、自分の状態を確かめる。
「…………」
結果は、すぐに分かった。
下着に、赤い汚れがついていたのである。
「……うそだろ」
俺はしばらく、その場で固まっていた。
生理。本当に、生理が来ているらしい。
下腹の痛みといい、今の状態といい、どう考えてもそれらしかった。
「……ここまで本格的なのかよ」
思わず小声で呟いた。
酒を飲めば女の子の姿になる。それだけでも十分に常識外れだというのに、まさか身体の働きまで、ここまで女性に近くなっているとは思わなかった。
俺は手の中の生理用品を見つめた。
……さて、どうしたものか。
麗奈に使い方を聞けば、きっと親切に教えてくれるだろう。だが、今さらそんなことまで尋ねるのは、さすがに気が引ける。
俺はスマホを取り出し、検索画面を開いた。
『生理用ナプキン 使い方』
初心者向けの説明を読みながら、俺は慎重に包装を開けた。
「……なるほど。こうするのか」
どうにか使い方を理解し、服装を整える。
初めてのことなので少々不安だったが、ひとまず何とかなったらしい。
「……ふう」
俺は便座に座り直し、深く息を吐いた。
しかし、安心したのも束の間、すぐに別の疑問が浮かんできた。
……これ、周期はどうなるんだ?
一般的に、生理はある程度の周期で訪れるものだと聞いたことがある。
だが、俺の場合はどうなのだろう。
普段は男の姿で生活していて、酒を飲んでいる間だけ麻由になる。その間にも、身体の中では普通の女性と同じように時間が進んでいるのか。
それとも、麻由でいる時間だけが関係するのか。
そもそも、元の姿に戻ったら、この症状はどうなるんだ?
「…………」
考えれば考えるほど、分からないことが増えていく。
スマホで調べても、当然ながら自分のような体質について説明しているものなど見つからなかった。
もし今後も定期的に来るのなら、準備だって必要になる。それに、この腹痛を抱えたまま一日を過ごせるのかも不安だった。
「……困ったな」
麗奈や遥に聞けば、一般的なことなら教えてくれるだろう。しかし、俺の本当の事情を説明するわけにはいかない。
かといって、一人で考えていても答えが出るはずがなかった。
「……誰か、詳しい人に相談するしかないか」
そう呟いたところで、ふと一人の女性の顔が浮かんだ。
すっきりとした黒髪のショートボブ。知的で落ち着いた雰囲気と、どこか人をからかうような微笑み。
先日の健康診断で出会い、つい昨夜も顔を合わせた人物。
「……水瀬先生」
あの人なら、医者として相談に乗ってくれるかもしれない。
しかも、先生自身も普通とは違う身体の事情を抱えているらしい。俺のような体質について、何か知っている可能性もある。
もちろん、相談するとなれば、どこまで自分の秘密を話すかという問題が出てくる。
昨夜だって、お互いの秘密には踏み込まないまま別れたばかりなのだ。
それでも、今の俺にはほかに適任者が思いつかなかった。
「……昨日の今日で、また水瀬先生か……」
俺は小さくため息をついた。




