第29話 消えた少女と、現れた美人女医
それから数日後の夜。
「……本当にやるんだな、これ」
俺はスマホに表示された時刻を確認し、小さくため息をついた。
午後十時を少し回ったところである。
普段なら自宅でのんびりしている時間だが、今夜は都市伝説研究部の現地調査に参加することになっていた。
調査対象は、深夜のコンビニで大量の酒を買う謎の少女。
以前、俺も見かけたことがある、あの小さな女の子だ。
「麻由ちゃーん!こっちこっち!」
公園の奥から声がした。
植え込みの陰で手を振っているのは坂井遥。その隣には、部長の高瀬真琴先輩、小野寺美咲先輩、藤崎由紀先輩の姿もあった。
「お待たせしました」
「ううん!私たちも来たばっかり!」
全員、今日は私服姿である。
さすがにこの時間に制服で集まれば目立つし、補導でもされたら大変だ。
特に俺の場合、保護者に連絡すると言われても困る。花川麻由の兄として花川正由を呼ばれたところで、どうにもならないのだから。
「それじゃ、始めましょうか」
高瀬部長が声を落とした。
「今日は少女が本当に現れるのか確認するだけよ。危ないことはしないし、遅くなりすぎる前に帰りましょう」
「了解です!」
「遥ちゃん、声が大きい!」
「あっ、ごめんなさい!」
……大丈夫か、この部活。
俺たちは公園の端にある植え込みへ移動した。
そこからなら道路の向こうにあるコンビニの入り口が見える。少女が現れたら、すぐに分かるはずだった。
ただし、問題がひとつある。
「……あの、部長」
「なあに?」
「これ、ものすごく怪しくないですか?」
深夜の公園で、植え込みに身を隠す女子高生五人。
どう考えても不審者の集団である。
「だ、大丈夫よ。周囲には気を配っているから」
「そういう問題ですかね……」
「まあまあ、麻由ちゃん!探偵みたいで楽しいじゃん!」
小野寺先輩は楽しそうだった。
ちなみに、よい子のみんなは真似しないように。
夜中に茂みに隠れて人を観察するなんて、普通に考えて褒められた行為ではない。
そんなことを思いながら、調査が始まった。
最初の十分ほどは、なかなか楽しかった。
客が出入りするたびに、あの人は違う、この人も違うと小声で話し合う。
車が駐車場に入ってくれば全員で身を乗り出し、高瀬部長から目立つと注意される。
まるで秘密基地ごっこである。
しかし、二十分、三十分と経過するにつれ、会話は少なくなっていった。
「……ねえ、遥ちゃん」
「なあに?」
「これ、いつまで待つの?」
「えっと……出てくるまで?」
「……だよね」
当然の答えだった。
そもそも、今日来る保証すらないのだ。
「ふわあ……暇だねえ」
小野寺先輩があくびをした。
「美咲、静かに」
「だって、普通のお客さんしか来ないんだもん」
「それが普通なのよ」
高瀬部長も腕時計を確認している。
一方、藤崎先輩はというと。
「……すぅ」
「ちょっと、由紀!寝ないで!」
「……寝てない」
「今、寝息が聞こえたわよ!」
「……目を閉じて考えてただけ」
……絶対に寝てましたよね。
結局、集合してから一時間近くが経過した。
夜風は肌寒いし、しゃがんでいる足も疲れてきた。何より、ただ待っているだけというのが思った以上につらい。
「……今日は来ないんじゃないかな」
俺が呟くと、高瀬部長もうなずいた。
「そうね。今日はここまでにしましょうか」
「ええー!もう帰るんですか?」
遥が残念そうな声を上げた。
「仕方ないわ。これ以上遅くなるのもよくないもの」
部長の判断はもっともだ。
俺もそろそろ帰りたい。
そう思って立ち上がろうとした、そのときだった。
「……あれ?」
コンビニの前を、小さな人影が横切った。
幼い顔立ちに、小柄な身体。落ち着いた色の私服を着た少女が、コンビニへ入っていく。
俺は思わず目を凝らした。
……間違いない。
「あっ!来た!」
「えっ!?」
「あの子だよ!噂の少女!」
全員が一斉に植え込みから顔を出した。
「うそ。本当に小さい子じゃん」
小野寺先輩が目を丸くする。
「思ったより幼い見わね……小学生かしら……」
高瀬部長も驚いていた。
「どうします、部長!?」
「まずは本当にお酒を買うのか確認しましょう。でも、ここからでは店内が見えないわね」
少し考えたあと、部長は俺たちを見回した。
「誰か一人、普通のお客さんとして店に入って、様子を見てきてもらえないかしら」
「潜入調査ってこと!?」
小野寺先輩の目が輝いた。
そして、なぜか全員の視線が藤崎先輩へ集まった。
「……何?」
「由紀が一番いいんじゃない?私たちの中で一番大人っぽいし!」
「そうね。夜に一人でコンビニにいても違和感が少なそうだわ」
「…………」
藤崎先輩は眉をひそめた。
「……それ、どういう意味よ」
「えっ?」
「私だけ老けてるって言いたいの?」
「違う違う!落ち着いてるって意味!」
小野寺先輩が慌てて弁解する。
藤崎先輩は納得していない様子だったが、結局、小さくため息をついた。
「……分かった。行けばいいんでしょ」
「ありがとう、由紀!」
「……あとでジュースおごって」
そう言い残し、藤崎先輩は公園を出ていった。
俺たちは植え込みの陰から様子を見守る。
数分後、高瀬部長のスマホが震えた。
「あっ、由紀からだわ」
画面を確認した部長の表情が変わった。
「……本当に買っているみたい。ビールを何本もかごに入れているそうよ」
「ええっ!?本当に!?」
「噂どおりじゃん!」
遥と小野寺先輩が興奮する。
俺は思わず苦笑した。
……うん。知ってた。
この前も大量に買ってたからな。
続いて、年齢確認も済ませて普通に会計しているという連絡が届いた。
やはり、あのときと同じだ。
やがて少女が大きな袋を提げてコンビニから出てきた。少し遅れて藤崎先輩も戻ってくる。
「……本当に買ってた」
「ありがとう、由紀。これで噂のひとつは確認できたわね」
高瀬部長は満足そうにうなずいたが、すぐに表情を引き締めた。
「問題はここからよ」
「ここから?」
「少女が途中で突然姿を消すという噂。そちらも確かめたいわ」
……ああ、そうだった。
酒を買うだけなら、見た目と実年齢が違う人ということで説明できる。
しかし、姿が消えるとなれば話は別だ。
「少しだけ様子を見ましょう。無理はしないこと」
俺たちは少女から距離を取り、同じ方向へ歩き始めた。
もちろん、知らない人のあとをつけ回すのはよくない。俺も、何も起きなければすぐに引き返すつもりだった。
少女は大きな袋を持ちながら、住宅街をゆっくり歩いていく。
夜の道路は静かで、時折遠くから車の音が聞こえる程度だった。
「……なんか、雰囲気出てきたね」
小野寺先輩が囁いた。
「美咲、静かに」
「分かってるって」
やがて少女は、前方の曲がり角を右へ曲がった。
「あっ、曲がった!」
「慌てないで。少し間を置きましょう」
高瀬部長の指示に従い、俺たちは普通の速さで角へ向かった。
少女が曲がってから、十数秒ほどだったと思う。
俺たちも同じ角を曲がった。
すると。
「…………あれ?」
遥が足を止めた。
目の前には、街灯に照らされた一本道が伸びていた。
両側には住宅が並び、少し先まで見通せる。
そこを一人の大人の女性が歩いていた。
だが、肝心の少女が見当たらない。
「……いない」
小野寺先輩が呟いた。
「えっ?だって、さっき曲がったばっかりだよね?」
遥が周囲を見回す。
「確かにこの角を曲がったわ。でも……」
高瀬部長も困惑していた。
少女がどこかの家に入った可能性はある。しかし、あれだけ大きな袋を持っていたのに、こんな短時間で姿が見えなくなるものだろうか。
「……うそでしょ」
小野寺先輩の声が震えた。
「……帰ろう」
藤崎先輩がぽつりと言った。
「えっ?由紀?」
「……もう十分調べたでしょ」
普段は眠そうな先輩が、今は妙に真剣な顔をしている。
それを見た小野寺先輩も、急に落ち着かなくなったらしい。
「そ、そうだね!明日も学校あるし!」
「そ、そうですよ!もう帰りましょう!」
遥まで勢いよくうなずいた。
……さっきまであんなに楽しそうだったのに。
「そうね。今日は十分な成果があったわ。詳しいことは学校で整理しましょう」
高瀬部長の言葉で、調査は終了となった。
……というか、最後は完全に怖くなって解散する流れだった気がする。
「それじゃ、麻由ちゃん。また学校でね!」
「うん。またね」
四人は公園のある方向へ戻っていった。
俺の家は反対方向なので、ここでお別れである。
全員の姿が見えなくなったところで、俺は改めて前方の道を見つめた。
「…………ん?」
何かが引っかかった。
少女は確かにこの角を曲がった。
ところが、俺たちが曲がったときには姿がなく、代わりに大人の女性が一人歩いていた。
……いや、待てよ。
俺はその女性の後ろ姿に目を向けた。
普通なら、ただの偶然だと思うだろう。
だが、俺は普通では考えられない身体の事情を抱えている。
それに、つい最近、似たような秘密を持っているらしい人間とも知り合ったばかりだ。
……まさかな。
女性は落ち着いた足取りで歩いていた。
肩のあたりで揺れる黒髪には、どことなく見覚えがある。
俺は少し迷ったあと、足を速めた。
もし知り合いなら声をかければいい。違ったら、そのまま帰ればいいだけだ。
距離が縮まったところで、女性がこちらの足音に気づいたらしい。
ふと立ち止まり、振り返った。
「あら?」
「…………え?」
街灯の光が、その顔を照らした。
すっきりとしたショートボブの黒髪に、整った顔立ち。知的で落ち着いた雰囲気の、美しい女性。
そして、どこか余裕のある微笑み。
俺は思わず立ち止まった。
「……花川さん?」
女性は少し驚いたように瞬きをすると、にっこり笑った。
「まあ、こんな時間にどうしたの?」
「…………」
……おい。
ちょっと待て。
何で、あんたがここにいるんだよ。
「……水瀬、先生?」
俺の目の前に立っていたのは、先日の健康診断で出会った美人女医。
水瀬千尋先生だった。




