第21話 元同僚に、存在しない妹を紹介しました
「違うんだってえええええっ!!」
誰もいないリビングに、俺の叫び声が響き渡った。
スマホには、元同僚の竹内から届いたメッセージが表示されている。
『おまえ、未成年になにやらせてんの?』
違う。断じて違う。さっき玄関にいた女は俺自身なのだ。
とはいえ、そんな説明を信じてもらえるはずもない。どう返事をするべきか悩んでいると、突然チャイムが鳴った。
ピンポーン。
「……まさか」
嫌な予感がした。
竹内が戻ってきたのではないだろうか。
俺は慌てて立ち上がると、脱ぎ捨てていた制服を引っ張り出した。さっきは下着姿で出てしまったが、今度こそまともな格好で対応しなければならない。
ブラウスに袖を通し、スカートをはく。焦ってリボンを結び損ね、余計に時間がかかってしまった。
ピンポーン。
「は、はい!今行きます!」
ようやく身支度を整え、玄関へ向かう。
深呼吸してから扉を開けると、予想どおり竹内が立っていた。
「あ、さっきはごめん。ちょっと気になっちゃってさ」
「い、いえ……何でしょうか?」
できるだけ自然な笑顔を浮かべると、竹内は俺の顔をまじまじと見つめた。
「君、正由とはどういう関係なの?」
来た。
当然聞かれると思っていた質問だが、答えはまだ決まっていない。
知り合いでは不自然だし、親戚というのも説明が面倒そうだ。だったら、いっそのこと家族ということにしてしまおう。
「い、妹です!」
「妹?」
「はい!花川麻由といいます。兄がいつもお世話になっています!」
勢いよく頭を下げると、竹内は目を丸くした。
「へえ、妹さんなんだ。でも、正由に妹なんていたっけ?」
ですよね。
そりゃそうですよね。
何年も付き合いのある相手に、突然妹がいると言われたら不思議に思うに決まっている。
「えっと、兄とは年が離れているので……。あまり人に話していなかったみたいです」
「そうなの?全然知らなかったなあ」
「兄はそういう話、あまりしませんから」
我ながら苦しい言い訳だったが、竹内はひとまず納得してくれたらしい。
「それにしても、ずいぶん若いね。高校生?」
「えっ?」
しまった。そういう問題もあったか。
今の俺はどう見ても十六歳くらいだ。しかし、ここで未成年だと認めれば、さっきのビールについて説明できなくなる。
「い、いえ!こう見えても二十歳は超えてます!」
「ええっ、そうなの?」
「はい!昔から童顔で、よく高校生に間違えられるんです!」
「へえ……全然見えないなあ」
竹内は驚いた様子で俺を見つめた。
そんなに見ないでくれ。自分でも無理があると思っているんだから。
「じゃあ、大学生くらい?」
「ま、まあ、そんなところです!」
「そっかあ。正由も妹さんのこと、もっと話してくれればよかったのに」
「あはは……」
俺は引きつった笑顔を浮かべた。
ああ、ややこしい設定を作ってしまった。
俺には二十歳を超えた妹がいて、名前は花川麻由。しかも、見た目は高校生そのものということになっている。
今後、竹内と顔を合わせるたびに、この設定を守らなければならないのか。
「そうなんだ。で、なんで制服着てるの?」
「…………」
当然の質問だった。
俺は自分の制服を見下ろした。白玲学園の制服は、どう見ても高校の制服である。
どうする。何かうまい言い訳はないか。
「じ、実は、ついさっきまで兄と一緒に飲んでいたんです!」
「うん?」
「それで、昔の制服が懐かしいって話になりまして。せっかくだから久しぶりに着て見せようかなって」
「へえ、そういうことか」
「はい!兄も懐かしがってくれたので、そのまま着ていたんです!」
成人した妹が兄と酒を飲み、昔の制服を引っ張り出して披露する。
そんな兄妹がどこにいるんだ。
ところが竹内は、意外にもあっさりとうなずいた。
「なるほどねえ。兄妹で一緒に飲めるなんて、仲いいんだね」
「そ、そうなんです!」
仲がいいも何も、同じ人間なんですけどね。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えない。
これで何とか切り抜けられそうだと思った、そのときだった。
「でもさ、ひとつ聞いていい?」
「は、はい?」
「さっき、なんで服着てなかったの?」
…………。
当然の質問、第三弾である。
そうだった。制服のことばかり考えていて、肝心な問題を忘れていた。
さっきの俺は下着姿で玄関を開け、しかもビールまで持っていたのだ。
風呂上がりだったと言うか。しかし、髪は濡れていなかった。着替えの途中だったと言うには、あまりにも堂々と酒を飲んでいた。
「あ、あれはですね……」
「うん?」
「私、酔うと服を脱いじゃう癖がありまして……」
言ってしまった。
口にした瞬間、自分でもひどい言い訳だと思った。
「えっ、そうなの?」
「は、はい!お酒を飲むと暑くなっちゃうというか、つい楽な格好になりたくなるというか……」
「へ、へえ……」
「でも、いつもじゃないんですよ!本当にたまになんです!」
何を必死に説明しているんだ、俺は。
これでは普段から酔うたびに服を脱いでいるように聞こえるではないか。
竹内は困ったように笑っていたが、その視線が一瞬だけ俺の胸元へ向いた。
そして、妙に鼻の下が伸びる。
おい。
何を想像しているのか知らないが、顔に出てるぞ。
俺は思わずブラウスの襟元を整えた。
「あの、それで……今日はどういったご用件でしょうか?」
これ以上余計な質問をされないよう、慌てて話題を変える。
「ああ、そうだった。正由にちょっと用があってさ」
「兄に、ですか?」
「うん。会社がなくなってから、あいつがどうしてるか気になってね。近くまで来たから顔でも見ようと思ったんだけど」
その言葉を聞いて、少しだけ胸が温かくなった。
竹内とは会社が倒産して以来、まともに顔を合わせていない。それでも、あいつなりに俺のことを気にかけてくれていたらしい。
だったら、せめて連絡くらいよこしてから来い!
こっちにはこっちの事情があるんだよ!
「兄なら、さっきまで一緒に飲んでいたんですけど、酔いつぶれて寝ちゃいました」
「ああ、そうなんだ」
「はい。もうぐっすりで、起こしてもなかなか起きないと思います」
「ははっ、相変わらずだなあ、あいつ」
竹内は懐かしそうに笑った。
「昔から酒が好きだったもんな。仕事帰りもよく飲みに行ったし」
「そ、そうなんですか?」
「そうそう。あいつ、飲んでるときだけ妙に元気になるんだよ」
知ってる。
本人だからな。
しかし、自分のことを他人から聞かされるというのは、なんとも奇妙な気分だった。
「そっか……じゃあ、今日は帰るわ。また来るから、正由によろしく伝えておいてくれる?」
「はい、分かりました!」
「妹さんにも、さっきは悪かったね」
「い、いえ!こちらこそ、すみませんでした!」
よかった。
どうにか乗り切った。
竹内が帰れば、あとは鍵を閉めて寝るだけだ。俺はほっとしながら、見送りのために一歩前へ出た。
その瞬間だった。
「……あれ?」
ぐらり、と視界が揺れた。
さっきまで緊張していたせいで気づかなかったが、どうやら思っていた以上に酔いが回っていたらしい。
足元がふらつき、体が前へ傾く。
「わっ!」
「おっと!」
竹内が慌てて両手を伸ばした。
俺はそのまま竹内のほうへ倒れかかり、なんとか支えてもらう形になった。
しかし、問題はその手の位置だった。
「…………っ!」
竹内の手が、偶然にも俺の胸のあたりに当たっていたのだ。
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
転ばずに済んだという安心感のあとから、ものすごい恥ずかしさが押し寄せてくる。
竹内も自分の手の位置に気づいたらしく、目を見開いた。
「あっ!ご、ごめん!」
「ひゃっ!?い、いえっ!」
俺は慌てて体勢を立て直し、両腕で胸元を隠した。
顔が熱い。
耳まで真っ赤になっているのが、自分でも分かる。
事故だ。今のは完全に事故である。
俺が勝手によろけて、竹内が反射的に支えてくれただけだ。責めるようなことではない。
頭ではそう理解しているのに、なぜか心臓が落ち着かない。
「だ、大丈夫?どこか痛くなかった?」
「だ、大丈夫です!何ともありません!」
「そ、そっか!本当にごめん!わ、わざとじゃないから!正由には、ま、また来るって言っといて!」
竹内は俺以上に慌てていた。
「は、はいっ!」
「じゃ、じゃあ!」
竹内はそれだけ言い残すと、逃げるように廊下を走っていった。
その背中を見送りながら、俺はしばらく玄関に立ち尽くしていた。
やがて足音が聞こえなくなったところで、そっと扉を閉める。
カチャリと鍵をかけた瞬間、全身から力が抜けた。
「…………はああああ」
俺はその場にしゃがみ込んだ。
疲れた。
学校で千メートル走らされたときより、よほど疲れた気がする。
しかし、それ以上に頭から離れないことがあった。
「……胸、触られた……」
思わず口に出してしまい、さらに顔が熱くなる。
いや、事故だって分かってるんだけどさ。
竹内だぞ。
昔、一緒に仕事をして、居酒屋でくだらない話をしていた、あの竹内だぞ。
そんな男を相手に、どうして俺がこんなに恥ずかしがらなきゃならないんだ。
「くそっ……なんなんだよ、この気持ち……」
自分でもよく分からなかった。
今の体になってから、以前なら何とも思わなかったことに驚いたり、妙に恥ずかしくなったりすることが増えている。
それが体の感覚によるものなのか、それとも単純に慣れていないだけなのか、俺には判断がつかない。
「……忘れたい」
俺はふらふらと立ち上がり、リビングへ戻った。
テーブルの上には、さっき飲みかけたビールが残っていた。
「もう、飲んで忘れたい……!」
俺は缶を手に取り、残っていたビールを飲み干した。
しかし、それだけではどうにも気が収まらない。
冷蔵庫からもう一本取り出し、ソファへ戻る。
「くそっ、竹内のやつ……!今度会ったら絶対文句言ってやる!」
もちろん、あいつは悪くない。俺が勝手によろけただけだ。
それでも、何かに文句を言わなければ落ち着かなかった。
テレビをつけ、適当な番組を眺めながら缶を傾ける。
だが、気づけば画面の内容などまったく頭に入っていなかった。
「……ああもう!忘れろ、俺!」
そう言って、さらに飲む。
いつの間にかテーブルには空き缶が増え、頭の中もすっかりぼんやりしていた。
「ははっ……もう、どうにでもなれってんだ……」
ソファに深くもたれかかり、天井を見上げる。
ところが、しばらくすると胃のあたりが妙に重くなってきた。
「……ん?」
胸の奥から嫌な感覚がこみ上げてくる。
まずい。
これは、まずい。
「うっ……!」
俺は慌てて立ち上がり、口元を押さえてトイレへ駆け込んだ。
「おろろろろろ……!」
結局、今日二度目となる嘔吐をする羽目になった。
「おろろろ……うえええ……!」
こうして俺の記念すべき高校生活初日は、トイレに響く情けない声とともに幕を閉じたのだった。




