第18話 見た目は不良、中身は真面目な女の子
終わった。
俺の二度目の高校生活は、始まってわずか数時間で終わってしまったかもしれない。
校舎裏の木陰で、俺は目の前の金髪少女を見つめたまま固まっていた。明るい金髪に、少し着崩した制服。スカートも規定より短く、植え込みの縁に腰かけて足を組んでいる姿は、いかにも授業をサボっている不良女子高生という感じだった。
そんな少女が、面白そうに俺を見上げている。
「いやあ、びっくりした。急に来たと思ったら、いきなり吐くんだもん。それにしても、朝からビール二本って……すごいこと言うね」
まずい。よりによって、一番聞かれたくない独り言を聞かれてしまった。
聞き間違いだと言い張ることも考えたが、あれだけはっきり口にしてしまった以上、下手な嘘は逆効果だろう。
俺は覚悟を決めると、少女に向かって両手を合わせた。
「あの……お願いだから、今のことは内緒にして!」
「えっ?」
「誰にも言わないでほしいの。本当にお願い!」
少女は驚いたように目を丸くした。初対面の相手に突然頭を下げられれば、当然の反応だろう。しかし、こちらは必死である。今日ようやく入学できたというのに、いきなり飲酒騒ぎを起こすわけにはいかない。
「……そんなに困るんだ?」
「うん。ものすごく」
「ふうん……」
少女はしばらく俺を眺めていたが、やがて口元を緩めた。
「いいよ。誰にも言わない」
「本当!?ありがとう!」
「別に先生に言いつける趣味ないし。それに、花川って意外と大胆なんだね」
「……え?」
「見た目はすごく真面目そうなのに、朝からそんなことしてるなんてさ。ちょっとかっこいいじゃん」
……かっこいい?
朝からビールを飲んで、体育の授業で気持ち悪くなり、校舎裏で吐いた三十五歳の男が?
どこにかっこいい要素があるのか分からないが、少女は妙に感心した様子だった。どうやら、俺の情けない失敗を何か大胆な行動だと勘違いしているらしい。
「……そういえば、私の名前、知ってるの?」
「うん。今日転校してきた花川麻由でしょ? 朝から噂になってたよ。すごい美人が来たって」
照れる。
「えへへ……そうなんだ。キミの名前は?」
「一年三組の七原愛だよ」
「七原さんね。よろしく」
「うん。よろしく、花川」
七原は軽く手を上げると、改めて俺を眺めた。
「それにしても、花川って全然怖がらないね」
「何を?」
「私のこと。ほら、こんな髪だし」
そう言って、自分の金髪を指でつまむ。確かに見た目は少々派手だが、話してみると普通の女の子という印象だった。何より、俺の頼みをあっさり聞いてくれた相手を怖がる理由もない。
「別に怖くないけど」
「えっ……本当?」
「うん。普通に話しやすいよ」
「そ、そっか……」
七原は少し拍子抜けしたような顔をした。
「まあ、花川も結構ぶっ飛んでるしね」
「いや、さっきのは別に……」
「分かってるって」
絶対分かってないだろ。
そう思いながら木の幹から背中を離すと、まだ少し足元がふらついた。
「……っと」
「ちょ、大丈夫!?」
七原が勢いよく立ち上がった。
「無理して動かないほうがいいって!さっきあんなに吐いたんだから!」
「う、うん。大丈夫だよ」
「本当に?まだ気持ち悪いとかない?」
「さっきよりは楽になったかな」
「そっか……よかった」
七原はほっと息を吐いた。
だが、俺と目が合った途端、はっとしたように表情を変えた。
「……って、別に心配してるわけじゃないから!」
「え?」
「ここで倒れられたら面倒じゃん。先生とか来るだろうし」
「ああ、なるほど」
「そういうこと!」
七原は再び植え込みの縁に腰を下ろし、腕を組んだ。
……いや、今のは普通に心配してくれてたよな?
「ありがとう、七原さん」
「だから、別にお礼とかいらないって!」
七原は顔を背けた。
見た目はずいぶん派手だけど、悪い子ではなさそうだ。
「七原さんは授業に戻らなくていいの?」
「別に。一時間くらいサボったって平気だし」
そう言うわりには落ち着かない様子だったが、本人が気にしていないと言うなら、それ以上聞くのも野暮だろう。
「それより花川って、なんか大人っぽいよね。普通の一年生って感じがしない」
そりゃそうだろう。中身は三十五歳の男だからな。
「そうかな?」
「うん。私もそういう雰囲気、ちょっと欲しいかも」
七原は羨ましそうに呟いたあと、照れくさそうに視線を逸らした。
そんな彼女を見ていると、なんだか少し微笑ましくなってくる。見た目は派手でも、話してみれば素直な子なのかもしれない。
そのときだった。
「麻由さーん!どちらにいらっしゃいますのー!」
校舎の向こうから聞き慣れた声が響いてきた。麗奈だ。そういえば、先生を呼びに行ってもらったんだった。
「ここだよー!」
声を返すと、ほどなくして麗奈が校舎の角から姿を現した。
「麻由さん!」
俺を見つけた麗奈はほっとしたように微笑んだが、すぐに心配そうな顔になった。
「お身体は大丈夫ですの?突然いなくなってしまわれたので、わたくし、とても心配いたしましたわ!」
「ごめんね。ちょっと気持ち悪くなっちゃって……実は、吐いちゃった」
「まあ!それは大変ですわ!」
麗奈は慌てて俺の顔を覗き込んだ。
「すぐに保健室へ参りましょう。まだお顔の色もよくありませんもの」
「でも、吐いたら少し楽になったんだ。さっきよりはだいぶ落ち着いたよ」
「それでも安心できませんわ。無理をして倒れてしまったらどうなさいますの?」
麗奈の心配ももっともだった。確かに気分は少し楽になったが、身体にはまだだるさが残っている。朝から無茶をした結果がこれなのだから、我ながら情けない。
「……ありがとう。でも、体育の授業に戻るよ」
「えっ!?麻由さん、まだ運動なさるおつもりですの?」
「いやいや、もう走ったりしないよ。先生に事情を話して、残りは見学させてもらうつもり」
麗奈はしばらく迷っていたが、ようやく小さく頷いた。
「……分かりましたわ。でも、少しでも具合が悪くなったら、すぐに保健室へ行くのですわよ?」
「うん。約束する」
俺が笑って答えると、麗奈もようやく安心したようだった。
そこで初めて、麗奈は隣にいる金髪少女に気づいた。
「……まあ、愛さん?」
「……麗奈?」
七原も驚いたように目を瞬かせる。
「二人とも知り合いなの?」
「ええ。愛さんとは中学校からご一緒ですの」
「へえ、そうなんだ」
「愛さんはとても真面目で、何事にも一生懸命な方ですわ。中学校でも先生方から信頼されていましたのよ」
「ちょっと、麗奈!昔の話はいいってば!」
七原が慌てて遮った。麗奈は不思議そうに首を傾げているが、俺には少しだけ納得できるところがあった。
さっき俺がふらついたとき、七原は真っ先に立ち上がって心配してくれた。
本人は面倒だからだと言っていたが、あれはどう見ても自然に出た行動だった。
もっとも、本人はそんなふうに思われたくないようだったが。
「ところで愛さん。どうしてこちらにいらっしゃいますの?」
麗奈が尋ねると、七原の表情がぴたりと固まった。
「えっ?いや、ちょっと休憩してただけ」
「今は授業中ではありませんこと? 三組は英語の授業だったはずですわ」
「……うん」
「もしかして、愛さんも体調が悪いのですか?」
「違うよ。そうじゃなくて……」
七原はしばらく言葉を探していたが、やがて小さくため息をついた。
「……サボってたの」
「まあ!授業をですの?」
「うん。ちょっとだけね」
「それはいけませんわ!」
「分かってるってば!」
思わず声を上げた七原は、すぐに気まずそうな顔になった。
「……まあ、ちょっと後悔してるけど」
その小さな呟きを聞いて、俺は思わず笑いそうになった。
やっぱり、根は真面目な子なんだろうな。
「……何、花川。なんか笑ってない?」
「ううん。何でもないよ」
「絶対笑ってるじゃん」
七原は少しむっとした顔をしたが、本気で怒っているわけではなさそうだった。
やがて彼女は立ち上がり、スカートについた草を払った。
「……花川たちは体育に戻るんだよね?」
「うん。私は見学だけどね」
「そっか。じゃあ、私もそろそろ戻ろうかな」
「まあ!それがよろしいですわ!」
麗奈が嬉しそうに微笑むと、七原は少し照れくさそうに顔を背けた。
「別に、ここにいても飽きたし。それに、途中からでも出たほうが、あとで面倒じゃないじゃん」
「うん。それがいいと思うよ」
「……花川に言われると、なんか複雑なんだけど」
七原がこちらをちらりと見る。
その視線の意味に気づき、俺は思わず口をつぐんだ。そうだった。この子には朝の失態を知られているんだった。
「……あ、そうだ。花川」
「何?」
「さっきのこと、本当に誰にも言わないから」
七原は麗奈に聞こえないよう、少しだけ声を落とした。
「……ありがとう。助かるよ」
「いいって。そういうの、嫌いじゃないし」
彼女はいたずらっぽく笑った。
「また話そうね、花川」
「うん。こちらこそ」
すると、麗奈が俺たちを交互に見つめ、不思議そうに首を傾げた。
「お二人とも、いつの間にそんなに仲良くなられましたの?」
「まあ、ちょっといろいろあってね」
「いろいろ?」
「うん。ちょっとした秘密」
「まあ!秘密のお話ですのね!」
麗奈はなぜか嬉しそうに目を輝かせた。
いや、そんなに素敵な秘密じゃないんだけど。
七原はそんな俺たちを見て楽しそうに笑うと、校舎へ向かって歩き始めた。
「あ、花川!」
数歩進んだところで、彼女が振り返る。
「今度、もっといろんな話聞かせてよ。花川って、なんか面白そうだし」
「……うん。まあ、機会があれば」
「約束ね!」
そう言って手を振る七原に、俺も軽く手を振り返した。
どうやら彼女の中では、俺は見た目に反して大胆で、少し危ないことにも平気で手を出す女の子になっているらしい。
……勘弁してくれ。
俺はただの三十五歳の元サラリーマンだぞ。しかも今日は、朝から無茶をして体育の授業で吐いてしまった情けない男である。
「麻由さん、参りましょう。先生もお待ちですわ」
「あ、うん。今行くよ」
麗奈に促され、俺はゆっくりと歩き出した。
高校生活初日。麗奈という友達ができたと思ったら、今度は七原愛という少し変わった少女とも知り合ってしまった。
しかも、出会って早々にとんでもない秘密を握られている。




