第13話 朝からビールで初登校!?
月曜日の朝。
目を覚ました俺は、しばらく天井を見つめていた。
「……今日から高校生か」
三十五歳になって、もう一度こんな朝を迎えるとは思わなかった。
しかも男子高校生ではない。
花川麻由、十六歳。
今日から俺は、その名前で白玲学園高等学校へ通う。
顔を洗ってリビングへ向かい、冷蔵庫を開ける。
取り出したのは缶ビール二本。
「…………」
月曜日の朝。
これから出かける人間が、朝食より先にビールを二本。
絵面だけなら完全にヤバい。
「必要なんだから仕方ないよな」
一本では麻由の姿を保てるのは六時間半ほど。二本なら九時間以上だと分かっている。
授業中に突然三十五歳の男へ戻るよりは、朝から二本飲むほうがまだマシだ。
一本目を開ける。
飲んでいるうちに身体の奥が熱くなり、髪が伸び、声が高くなっていく。一本目を空ける頃には、すっかり麻由の姿になっていた。
続けて二本目。
「朝から二本は効くなあ……」
頭が少しふわふわする。
酔いつぶれるほどではないが、起きた直後まで感じていた初登校への緊張はかなり薄れていた。
知らないクラスへ入ることも、十数年ぶりに授業を受けることも、今なら「まあ、なんとかなるだろう」と思える。
「これはこれで悪くないな」
初登校の緊張を酒で抑える女子高生。
絶対に人には言えない。
空き缶を片づけ、制服へ着替える。
シャツに袖を通し、スカートを穿いて鏡の前に立った。
「おお……」
驚くほどぴったりだった。
長い黒髪に白玲学園の制服。
どこからどう見ても普通の女子高生である。
「完璧じゃん」
満足して頷き、自分の息を確認する。
「……酒くさ」
完璧ではなかった。
見た目は女子高生なのに、中身だけでなく吐く息まで三十五歳の酒飲みである。
急いで歯を磨き、マウスウォッシュと口臭ケア用品まで使う。
「これなら大丈夫だろ」
麗奈の家へ行ったときもバレなかったのだから、たぶん問題ない。
鞄を持ち上げたところで、胸元に違和感があった。
「……こっちはまだだったな」
下着問題は解決していない。買いに行こうとは思っていたのだが、麗奈の家に遊びに行ったり、変身の検証をしたりしているうちに、すっかり忘れていた。
制服を着ると、動くたびに胸元が擦れる感覚が少し気になる。
とはいえ今さらどうにもならない。
「今日は我慢するか」
最後に昨日買ったアルコール入りのチョコレートを鞄へ入れる。
一粒で二時間ほど麻由の姿でいられたが、安全を考えて一粒一時間くらいとして見ている。
朝の二本で放課後までは持つはずだが、念のための保険だ。
教科書の横にアルコールチョコ。
「……普通の高校生の鞄じゃないな」
そう呟いて家を出た。
白玲学園へ近づくにつれて、同じ制服を着た生徒が増えてくる。
俺も今日からこの中の一人だ。
そう思いながら歩いていると、妙に視線を感じ始めた。
「…………?」
前を歩いていた女子二人組が、ちらちらこちらを振り返っている。
「ねえ、あの子知ってる?」
「知らない。初めて見る」
少し先では男子たちも俺を見ていた。
「あの子、うちの制服だよな?」
「見たことなくね?」
「転校生?」
やっぱり初めて見る顔だから気になるのだろう。
そう思ったのだが、
「ていうか、めっちゃかわいくない?」
「分かる」
「とりあえず声かけてみなよ」
「なんで俺だよ。お前行けよ」
「無理だって」
「…………」
聞こえてるぞ。
思わず口元が緩みそうになった。
今度は女子の声まで聞こえてくる。
「すごい美人」
「一年かな?」
「絶対見たことないよね」
ちょっと嬉しい。
いや、かなり嬉しい。
麻由の姿がかわいいことは自覚していたが、同じ学校の生徒からこうして注目されるとまた違う。
「まあ……麻由かわいいしな」
誰にも聞こえないように呟く。
気づけば少しだけ姿勢を正して歩いていた。
我ながら単純である。
そのまま校門をくぐり、校舎へ入る。
以前、麗奈を送り届けたときには、まさか自分までこの制服を着て戻ってくるとは思わなかった。
今日は教室へ行く前に理事長室へ来るよう言われている。
扉をノックする。
「どうぞ」
「失礼します」
中へ入ると、宗一郎さんが机の向こうから顔を上げた。
「おはよう、麻由さん」
「おはようございます」
俺の姿を見て、宗一郎さんが頷く。
「制服、よく似合っているね」
「ありがとうございます。サイズもぴったりでした」
勧められてソファへ座ると、宗一郎さんも向かい側へ腰を下ろした。
「いよいよ今日からだね。緊張しているかい?」
「多少は。でも、思ったより平気です」
「それは頼もしいな」
「ちょっと対策してきたので」
「対策?」
「こっちの話です」
朝からビールを二本空けてきましたとは言えない。
「今日から普通に授業へ出ればいいんですよね?」
「ああ。担任にも話は通してある。分からないことがあれば先生に聞きなさい。麗奈も同じクラスだから、あの子を頼ってもいい」
「麗奈ちゃん、張り切ってそうですね」
「昨日からずっと楽しみにしていたよ」
「ああ……やっぱり」
簡単に想像できる。
今日会った瞬間から校内を案内すると言って連れ回されそうだ。
そんなことを考えていると、宗一郎さんが少し表情を和らげた。
「麻由さん。一つ、私からお願いしてもいいかな」
「お願い?」
「ああ。麗奈と、これからも仲良くしてやってほしい」
少し意外な言葉だった。
「麗奈ちゃんと?」
「あの子は昔から、同年代の子と親しくなる機会があまりなくてね」
「そうなんですか?」
「ああ。本人は誰とでも普通に話せるんだが、どうしても周りのほうが遠慮してしまうらしい」
言われて、なんとなく納得した。
白玲学園の理事長の娘で、大きな家に住み、学校への送り迎えには専属の運転手がつく。
麗奈自身はそんなことを鼻にかける性格ではない。むしろ学校まで一人で行こうとして盛大に迷子になるような、ちょっと抜けたところのある女の子だ。
けれど、それを知るには実際に話してみなければならない。
周囲からすれば、白川麗奈という名前や家柄だけで、どうしても一歩引いてしまうのかもしれない。
「もちろん、友人がまったくいないわけではないよ。ただ、あの子が自分から『友達になりたい』と言った相手は、少なくとも私は久しぶりに見た」
「……そうだったんですか」
「君と知り合ってからの麗奈は、ずいぶん楽しそうだった。土曜日も朝から君が来るのを楽しみにしていたよ」
土曜日の麗奈を思い出す。
家へ着いたときからずっと楽しそうだったし、帰ろうとしたときには、眠そうな顔で「もう少し一緒に遊びたかった」とまで言っていた。
あれを思い出すと、少しだけ胸が温かくなる。
「もちろん、親に頼まれたから友人でいろと言うつもりはない。ただ、もし君も麗奈と一緒にいて楽しいと思ってくれているなら――」
「大丈夫ですよ」
気づけば、宗一郎さんの言葉を遮っていた。
「私も麗奈ちゃんといるの、楽しいですから」
これは酒の勢いではない。
世間知らずで、妙なところで頑固で、少し距離感がおかしい。
だけど素直で、一緒にいると退屈しない。
何より、俺自身も麗奈のことをもう友達だと思っている。
「だから、これからも普通に仲良くしますよ」
「そうか。ありがとう」
「お礼を言われるようなことじゃないですよ」
そう答えながら、なんとなく分かった気がした。
どうして宗一郎さんが、身元すらまともに説明できない俺をこの学校へ受け入れてくれたのか。
麗奈を学校まで送り届けた礼もあるだろう。
俺が学校へ行きたいと言ったことも理由の一つだ。
けれど、一番大きいのはたぶん麗奈との関係だ。
麗奈が俺と友達になりたがった。
同じ学校へ通いたいと父親へ頼んだ。
そして宗一郎さんは、そんな娘の願いを叶えたかったのだろう。
「……やっぱり娘に甘いですよね」
思わず口にすると、宗一郎さんは笑った。
「否定はしないよ」
「そこは否定してくださいよ」
「麗奈が嬉しそうなら、父親としては弱くなるものだ」
「筋金入りだ……」
以前も親馬鹿だと思ったが、どうやら想像以上らしい。
「ただし」
宗一郎さんが続ける。
「君を受け入れたことを後悔するつもりもない。せっかくここへ来たのだから、君自身も学校生活を楽しみなさい」
「はい」
その言葉には素直に頷けた。
宗一郎さんが時計を見る。
「そろそろ時間だね。担任の先生が迎えに来ることになっている」
「分かりました」
いよいよか。
このあと教室へ入れば、何十人ものクラスメイトの前で紹介される。
登校中の反応を見る限り、静かに済む気はしない。
それでも、朝から飲んだビールのおかげで緊張はほどよく薄れている。
制服もぴったり。
鞄には非常用のアルコールチョコ。
酒臭さも、たぶん消えている。
「……まあ、なんとかなるか」
少しだけ気分がいい。
花川麻由、十六歳。
本当は花川正由、三十五歳。
俺の二度目の高校生活が、いよいよ始まる。




