第12話 酔っぱらい麻由の大失態
日曜日。
リビングのテーブルには、先ほど買ってきたばかりのアルコール入りチョコレートが置かれていた。
昨日、箱に書かれていた商品名を覚えていたので、買い物のついでに探してみたところ、運よく同じものが見つかった。
「さて、やってみるか」
箱を開けて一粒取り出し、スマホで時刻を確認する。
昨日は麗奈と二粒ずつ食べたおかげで、結果的に白川家で正由へ戻らずに済んだ。ただ、その前にビールを一本飲んでいたため、チョコだけでどれくらい麻由の姿でいられるのかは分からない。
明日から高校へ通う以上、いざというときのためにも確認しておきたかった。
「一個だけ、と」
チョコを口に入れる。
昨日は何も知らずに食べたが、アルコール入りだと分かったうえで味わってみると、甘さの中に独特の風味がある。それが意外と美味しくて、これなら緊急用として持ち歩くのも苦にはならなそうだ。
しばらくして鏡を確認すると、そこにはいつもの麻由がいた。
これでビールや缶チューハイでなくても、アルコールさえ入っていれば麻由になれることは確認できた。
あとは時間だ。
追加で何か口にしては検証にならないので、水だけで過ごす。テレビを見たり、明日から使う教科書を適当にめくったりしていると、二時間ほど経ったところで正由へ戻った。
「二時間くらいか……」
結果をスマホへ記録する。
一度試しただけなので、毎回同じとは限らない。体調や食事で誤差が出る可能性もある。
「念には念を入れて、一個一時間くらいで見といたほうがいいな」
実際より短く考えておけば、ぎりぎりまで頼って失敗することもないだろう。
朝からこれだけで一日を乗り切ろうとすれば何個必要になるか分からないが、学校で予想より早く正由へ戻りそうになったとき、家へ帰るまでの時間を稼ぐくらいなら十分使えそうだ。
「緊急用だな」
思わぬところで便利なものを見つけた。
「よし、検証終了」
必要なことは分かった。
なら、ここから先は実験でもなんでもない。
俺は立ち上がると、そのまま冷蔵庫を開けた。
「じゃあ、飲むか」
今日はもう、ただ酒を楽しむだけだ。
明日はいよいよ白玲学園への初登校。楽しみではあるものの、クラスメイトとうまく話せるのか、授業についていけるのかと考え始めれば、不安はいくらでも出てくる。
そんな気分を紛らわせるように一本目を開け、ソファへ腰を下ろした。
冷えたビールを飲みながらテレビを眺めていると、それだけで少し肩の力が抜ける。一本目を空けたあとは自然と二本目に手が伸び、つまみを食べながらさらにもう一本と続いていった。
最初のうちは明日のことを考えていたはずなのだが、酒が進むにつれて細かな心配はどうでもよくなっていく。
「明日から高校生かあ……」
気づけば麻由の姿でソファにくつろぎ、テーブルには何本もの空き缶が並んでいた。
三十五歳まで普通の会社員だった男が、会社が潰れて一週間もしないうちに女子高生になる。
「人生、何があるか分かんないなあ」
自分で言って笑いながら、また缶を傾ける。
かなり酔っていた。頭は心地よくふわふわしていて、普段なら聞き流すようなテレビのやり取りにまで笑ってしまう。
やがてテレビにも飽き、何となくスマホを手に取った。
カメラを起動すると、画面には頬を赤くした麻由が映る。
「……かわいいな」
素面なら多少は抵抗があるのだが、今は自分の顔を褒めることに何のためらいもない。
髪を片側へ寄せて一枚。少し角度を変えてもう一枚。だんだん楽しくなってくるとウインクまでしてみる。
「おお、いいじゃん」
完全に調子に乗っていた。
何枚か撮っているうちに、今度はモデルみたいな写真を撮ってみたくなり、風呂上がりを気取って胸元をタオルで隠し、髪を少し崩してポーズまで決める。
冷静なときなら途中で我に返っただろうが、今の俺にそんなブレーキは残っていなかった。
そのとき、スマホが震えた。
麗奈からだった。
『麻由さん、昨日撮ったお写真をお送りいたしますわ!』
続けて何枚もの写真が送られてくる。
白川家の庭で二人並んだものや、麗奈の部屋で笑っているもの。シアタールームでお菓子を手にして撮った写真まである。
「おお……」
昨日は意識していなかったが、写真で見ると本当に同年代の友達同士にしか見えない。
中でも二人で並んで笑っている一枚が気に入った。
「麗奈ちゃん、かわいいなあ」
楽しそうに笑っている麗奈を眺め、その隣の麻由へ目を移す。
「俺もかわいいな」
酒が入っているので遠慮がない。
しばらく眺めていると、もう一通メッセージが届いた。
『昨日はとても楽しかったですわ。また一緒にお写真を撮りましょうね』
「そういや、俺も撮ったな」
俺のスマホにも、麗奈と一緒に撮った写真が何枚か残っている。
「送ってあげよ」
写真フォルダを開いて探す。
昨日撮った写真と、ついさっき撮った写真が画面に並んでいる。
ただ、かなり酔っているせいで操作する指が少し怪しい。小さな画像をろくに確認しないまま、それらしい写真を選んで送信した。
「よし」
スマホを置こうとして、送信された画像が目に入る。
「…………ん?」
麗奈との写真なら、当然二人写っているはずだ。
だが画面にいるのは麻由一人。
ついさっき酔った勢いで撮った、胸元をタオルで隠してウインクしている写真だった。
「…………」
一瞬で酔いが醒めたような気がした。
「ちょ、待って!違う違う!」
慌ててスマホを操作するが、すでに遅かった。
既読。
「早いって!」
顔から血の気が引く。
送るつもりだったのは昨日のツーショットだ。よりによって、さっき一人で調子に乗って撮った写真を送ってしまうとは。
どう説明する。
間違えたと言えば済むかもしれないが、なぜこんな写真を撮っていたのかと聞かれたら困る。
俺が頭を抱えている間に、麗奈から返信が届いた。
『まあ!』
「…………」
続きが怖い。
そして次に届いたのは、
『麻由さん、とってもお美しいですわ!』
「……え?」
予想外の反応だった。
『とても素敵なお写真です。麻由さんはこういうお写真も撮られるのですね!』
どうやら純粋に褒めているらしい。
「いや、そうじゃなくて……」
俺は慌てて、
『ごめん!それ間違えて送った!』
と返信した。
すぐに返事が来る。
『そうでしたの? ですが、本当にお美しいですわよ?』
「うわあああ……」
俺はスマホを伏せ、そのままソファへ顔を埋めた。
よりによって明日から毎日顔を合わせる相手に、何を送っているんだ俺は。
「明日、どんな顔して会えばいいんだよ……」
しばらく悶えていると、伏せていたスマホがまた震えた。
恐る恐る確認する。
『麻由さん、明日から一緒に学校へ通えますわね。わたくし、とっても楽しみにしております!』
「…………」
どうやら麗奈は何も気にしていない。
気にしているのは俺だけらしい。
「……まあ、いっか」
明日からは毎日、麗奈ちゃんと学校で会えるのだ。そのときには、この恥ずかしさも少しは薄れているだろう。
アルコール入りチョコという緊急用の保険も手に入ったし、高校生活を始める準備はこれでだいたい整った。
あとは明日の朝、ちゃんと起きるだけ。
俺はそう考えながらテーブルに並んだ空き缶を眺めた。
「……ちょっと飲みすぎたな」
高校生活初日の前日にベロベロになるまで飲んでいる時点で、本当に準備万端と言っていいのかは分からなかった。




