第10話 お嬢様の家で寝てはいけない
黒塗りの高級車に揺られること、しばらく。
「到着いたしましたわ!」
麗奈の弾んだ声とともに、車がゆっくりと停まった。
「ここが麗奈ちゃんの家……」
窓の外を見た俺は、思わず目を瞬いた。
正直、ある程度の覚悟はしていた。
父親は私立高校の理事長。専属の運転手までいる。しかも麗奈本人は「ですわ」「ですの」と、絵に描いたようなお嬢様口調だ。
だから俺の中では、白川家といえば完全に洋風だった。
大きな門の向こうに白い豪邸があって、庭には噴水。玄関まで続く道の両側には綺麗に刈り込まれた植木が並んでいる。
そんな、城みたいな家を想像していた。
ところが。
「思いっきり和風じゃん」
「そうですの?」
「いや、勝手なイメージだけど」
立派な門の向こうにあったのは、とてつもなく大きな日本家屋だった。
瓦屋根に白壁。広い庭には池があり、立派な松まで見える。
旅館と言われても信じる。
いや、その辺の旅館より立派かもしれない。
「どうぞ、麻由さん」
「お、お邪魔します……」
玄関だけで俺の部屋より広い気がする。
麗奈はそんな俺の反応が面白いのか、楽しそうに家の中を案内してくれた。
「こちらが客間ですわ」
「広っ」
「こちらはお父様の書斎です」
「へえ……」
「そして、こちらが――」
「ちょっと待って、麗奈ちゃん」
「はい?」
「今、家のどの辺?」
「廊下ですわ」
「それは分かる」
広すぎて位置関係がまるで分からない。
「一人で歩いたら迷いそうだな」
「まあ。そんなに複雑ではありませんわよ?」
「学校までの道で迷った人に言われてもなあ」
「それとこれとは別ですわ!」
本当だろうか。
そんなやり取りをしながら進み、やがて麗奈が一つの扉を開けた。
「こちらが、わたくしのお部屋です」
「おお……」
そこだけは、俺が想像していた麗奈そのものだった。
明るい色合いでまとめられた部屋。大きなベッドに、棚にはぬいぐるみや可愛らしい小物が並んでいる。
いかにも女の子の部屋だった。
「どうぞ、お入りくださいませ」
「…………」
一瞬、足が止まった。
女子高生の部屋。
三十五歳の男である俺が入っていい場所なのだろうか。
いや。
違う。
俺は自分の姿を見る。
スカートに、細くなった手足。肩から流れる長い黒髪。
今の俺も女子高生。
少なくとも見た目は。
「……俺も女子高生。俺も女子高生」
「麻由さん?」
「なんでもない」
自分に言い聞かせながら部屋へ入る。
こんなに緊張するくらいなら、朝もう一本くらいビールを飲んで、もう少しぽわぽわした状態で来たほうがよかったかもしれない。
いや、それはそれで問題しかない。
それからは二人で、しばらく他愛のない話をした。
学校のこと。好きな食べ物。最近見たテレビ。
麗奈は思っていた以上によく喋った。
「麻由さんが月曜日からいらっしゃったら、まず校内をご案内いたしますわ」
「広いの?」
「それほどでもありませんわ」
「麗奈ちゃん基準は信用できないなあ」
「どういう意味ですの?」
そんな話をしているうちに昼になった。
「お食事の用意ができておりますわ」
案内された部屋へ入り、俺は固まった。
「……料亭?」
「自宅ですわよ?」
「それは知ってる」
目の前には、どう見ても普通の家庭の昼飯ではない料理が並んでいた。
品数が多い。
器からして高そうだ。
「いつも昼からこんなの食べてるの?」
「今日は麻由さんがいらっしゃいますから、少し豪華にしたそうですわ」
「これで少し……」
俺の中の「少し」と白川家の「少し」には、かなり大きな隔たりがあるらしい。
とはいえ料理は文句なしに美味しかった。
すっかり満腹になったあと、麗奈が楽しそうに言った。
「麻由さん、映画をご覧になりません?」
「いいね」
てっきりテレビのある部屋へ行くのかと思った。
ところが連れていかれた先には、大きなスクリーンと何列もの椅子が並んでいた。
「……映画館じゃん」
「シアタールームですわ」
「家にこれ必要?」
「便利ですわよ?」
便利という言葉で片づけていい設備なのだろうか。
俺たちが椅子へ座ると、テーブルには飲み物と一緒にお菓子まで用意された。
クッキーとチョコレート。
「至れり尽くせりだな」
「映画にはお菓子が必要でしょう?」
「それは分かる」
とりあえずチョコを一つ口へ入れる。
「ん……」
思ったより濃厚だった。
口の中でゆっくり溶けていき、ほんの少し変わった風味が広がる。
「これ美味しいな」
「本当ですの?」
「うん。なんか……気分よくなる味」
「気分よくなる味とは何ですの?」
「分かんないけど、そんな感じ」
もう一つ手を伸ばす。
妙に美味しい。
朝から飲んだビールの酔いなんてほとんど感じなくなっていたはずなのに、身体が少しだけ温かくなったような気がした。
「麗奈ちゃんも食べてみなよ」
「では、いただきますわ」
麗奈もチョコを一つ口へ運ぶ。
「まあ。本当ですわ。美味しいですわね」
「でしょ?」
二人で何個かつまんでいるうちに、スクリーンへ映像が映り始めた。
「それで、何見るの?」
「今日は麻由さんと一緒ですから、わたくしのお気に入りにいたしますわ!」
「へえ。どんなの?」
数分後。
「…………」
俺は麗奈を見る。
麗奈はスクリーンを見ている。
目が輝いていた。
画面では、丸っこい動物たちが歌いながら冒険している。
どう見ても小さな子供向けのアニメ映画だった。
「これ好きなの?」
「大好きですわ!」
「そ、そうなんだ」
「この子がとても可愛らしいんですの!」
「へえ……」
白玲学園理事長の娘。
上品なお嬢様。
豪邸住まい。
専属運転手つき。
そんな麗奈が、幼児向けアニメをものすごく真剣に見ている。
「……かわいいな」
「何か仰いました?」
「なんでもない」
映画より、目を輝かせている麗奈を見ているほうが少し面白かった。
だが。
豪華な昼食。
さっき食べたチョコ。
身体を包み込むような座り心地のいい椅子。
暗いシアタールーム。
しばらくすると、どうにも瞼が重くなってきた。
「……なんか眠い」
隣を見る。
さっきまで目を輝かせていた麗奈も、いつの間にか少しぼんやりしていた。
「麗奈ちゃん、眠い?」
「いいえ……まだ……見ておりますわ……」
「目、半分閉じてるけど」
「麻由さんこそ……」
「俺……私は大丈夫……」
全然大丈夫ではなかった。
そこから先の記憶はない。
次に目を開けたとき、スクリーンには何も映っていなかった。
「……ん?」
ぼんやり身体を起こす。
隣を見ると、麗奈も椅子にもたれたまま眠っている。
「二人とも寝ちゃったのか……」
スマホを取り出す。
時刻を確認した。
「…………え?」
夕方前。
一瞬で眠気が吹き飛んだ。
朝、ビールを飲んだのは何時だった。
昨日の実験では、一本で麻由の姿を保てたのは六時間半ほど。
そして今は――。
「やばい」
俺は自分の手を見る。
まだ細い。
髪も長い。
今のところ麻由のままだ。
でも、もういつ戻ってもおかしくない。
「そろそろ男に戻る時間じゃん……」
隣では麗奈が気持ちよさそうに眠っている。
ここは白川家。
俺の家ではない。
そして、追加の酒なんて持ってきていない。
「…………」
一気に血の気が引いた。
このままでは、あと少しで。
白川家のシアタールームに、三十五歳の知らない男が出現する。




