『君だけのヒーロー』
もう、どれくらい走ってきただろう。
雨はとうに上がっていた。だけど俺の視界はまだにじんだままだ。
喉が焼けるほど息を吸い、足が裂けるほど地面を蹴って、ただ一人のために走っていた。
「俺は、お前のヒーローになるって……そう、言ったんだ」
——世界は、いろんな色に染まっていた。
輝くような希望の色もあれば、絶望の影の色もある。
でも、お前がいたから、俺は迷わなかった。
どれだけ孤独でも、お前の“笑顔”が俺のコンパスだった。
中学のとき、お前は誰よりも静かだった。
教室の片隅。窓際の席。ひとりで絵を描いていた。
周りと溶け込めず、誰も声をかけず。
でもなぜか、俺は気になって仕方がなかった。
「なあ、その絵……めっちゃうまいな!」
最初に声をかけたのは、ただの興味だった。
でも、お前が少しだけ笑ったとき、俺は確信した。
——この笑顔を、ずっと守りたい。
それから、俺たちは少しずつ言葉を交わすようになった。
名前、趣味、好きな色、嫌いな食べ物、夢——
少しずつ、少しずつ、心の距離が縮まっていった。
お前は言った。
「私、ヒーローって……ずっと絵の中の存在だと思ってた。でも、タケルは違うね」
「俺が?」
「うん。いつもそばにいてくれる。だから……なんていうか、ヒーローみたいだよ」
その言葉を聞いた時、俺の心に火が灯った。
「なら、俺は本当のヒーローになってやる。……お前だけの、な」
お前は少し目を見開いて、それから、あの時と同じ、静かな笑顔を見せてくれた。
けれど、時は残酷だった。
高校進学を目前にして、お前は引っ越すことになった。
突然のことだった。知らせを聞いたのは、卒業式の前日。
「また、どこかで会えるよね」
お前はそう言った。でも、俺はわかってた。
「どこか」は、「きっと、もう戻れない場所」だって。
だから、俺は約束した。
「どこにいたって、俺はお前の味方だ。ヒーローだ。いつでも駆けつけてやる。……必ず」
それが、俺たちの約束の場所だった。
あれから3年。
手紙も、連絡もないまま。
時だけが過ぎていった。
でも——今日、奇跡のように届いた。
**「会いたい」**という、たった一言のメッセージが。
それだけで十分だった。
何も聞かなくていい。ただ走ればいい。
あの日の約束を果たすために。
駅の階段を駆け上がる。
電車に乗り継ぎ、降りて、また走る。
地図もいらない。心が、ちゃんと覚えてる。
ようやく、懐かしいあの町にたどり着いた。
夕暮れの中、お前はいた。
あの日と同じ、どこか寂しげな目。
だけど俺を見た瞬間、瞳が大きく揺れた。
「……タケル」
「お前のヒーロー、参上ってな」
少し笑って、少し泣いて。
それでも、お前は言ってくれた。
「……ずっと信じてた。誰にも言えないくらい、不安で、怖くて。でも、タケルなら……って」
「だから走ってきたんだ。お前のためだけに」
お前は、病を抱えていた。
笑顔の裏で、ひとり苦しんでいた。
それでも、誰にも頼らず、強くあろうとしていた。
でも、もう大丈夫だ。
「お前が俺のヒーローだったんだよ」
「……え?」
「お前の言葉が、支えが、俺をここまで引っ張ってきた。だから、今度は俺が支える。何があっても」
そう言って、お前の手を握った。
震えていた。細くて、小さな手。
でもそのぬくもりは、世界の何よりあたたかかった。
「これから、どうなるかなんてわからないけど」
「うん」
「でも、一緒ならきっと大丈夫だよな」
「うん……タケルなら、どこまでも行けるよ」
俺は答える。
「いや、“俺たち”なら、だろ?」
「君だけのためのヒーロー」
その言葉は、もうひとりきりのものじゃない。
あの日の約束は、未来を照らす星になった。
限りなく遠い道も、
どこまでも、一緒に歩いていける。
だって俺は——
I’ll be your hero. And you are my hero.
原曲 安室奈美恵 Hero




