表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/22

アクビひとつで歩く町

──ガキのまんまだ、と笑われたのは何年ぶりだろう。


中川の土手に夕陽が沈んでいく。

その光をめがけて小石を蹴ったら、滑って靴まで飛んでいった。

うしろでジョギングしてた大工の頭領かしらに「ったく変わんねぇなぁ、お前は」と苦笑される始末だ。


俺はアクビをひとつ。

落っことしたのは靴だけじゃない。きっと“元気”もどこかに転がっていったんだろう。


「ま、いっか……」


ポケットに手を突っ込んで、久々の帰郷に足を動かす。

変わらない町並み。くすんだ商店街。焼き鳥のにおい。

全部が、どこか優しい。


──ただいま。


そう呟くには、ちょっと照れくさい。けど心の中ではちゃんと言った。


中央広場を通りかかると、聞き覚えのある笑い声がした。

ベンチに座っていたのは、小学生の頃に好きだった彼女。

あの頃からちょっとふっくらしてたけど、今じゃもう堂々たるお母さん。子供の手を引きながら、俺を見て目を見開いた。


「えっ……タカシ?」

「おぉ……マリ? 久しぶりだな」


ぎこちない会話。でも、すぐに笑い合えるのが、昔馴染みってやつだ。


「まさか帰ってくるなんて。東京に骨埋めるんじゃなかったの?」

「ま、それが失敗してさ。田舎もんには向いてなかった」


「変わんないねぇ、ほんとに」


そう言って笑う彼女の目尻には、少しシワがあったけど、それがまた優しさに見えた。


「ねぇ、覚えてる? ゴンパチ池で私にラブレター渡したこと」


「……うっ。忘れたいのに」


「ふふ。今も持ってるんだよ。引っ越しのとき見つけてさ。読み返して笑った」


耳が熱くなる。こっぱずかしい話だ。でもどこか、嬉しかった。


「なーんだ。いいことなんて、何もなかったと思ってたけどな……」


俺はつぶやくように言った。


彼女は、しばらく黙って空を見上げた。


「……いいことなんて、覚えてるかどうかじゃない? あとから気づくもんじゃない?」


「なるほどな」


もう一度、アクビをした。

雲がゆっくり流れていく。ラプソディーでも口ずさもうか。なんとなく、そんな気分だった。


日が落ちかけた取水塔の先には、帝釈天のシルエット。

どこか懐かしいと感じるのは、きっと子供の頃の帰り道と似てるからだ。


俺は歩く。特に目的もなく、ただこの町を。


駅前の立ち食いそば屋はまだあって、店主の顔も変わっていなかった。

「おう、兄ちゃん帰ってたのか。いつもの?」

差し出されたのは、かき揚げそば。学生の頃、小遣い握りしめてよく通った。


一口すすると、昔の味が舌の奥に広がる。

泣きそうになるのは、年のせいか。


夜になっても、この町の灯りは派手じゃない。

だけど、あたたかい。


ふと、自販機の隣でひとりしゃがみ込んでる少年を見つけた。

どうやらコインを落としたらしい。

俺は小銭を取り出して言った。


「ほら。アクビひとつで、ちょっと元気出るよ」


少年はポカンとした顔で俺を見て、少しだけ笑った。


なんだ、俺も誰かにそうしてもらってきたのかもしれないな。

何もないと思ってたこの町は、実はいっぱい“くれた”んだ。


柴又の川辺まで戻ると、星が出ていた。

川の流れが静かに夜を運んでいく。


明日もきっと、こうして終わるんだろう。

同じような風景、同じような一日。

でもその繰り返しが、幸せってやつかもしれない。


俺はようやく気づいた。

なくしてからしか見えないものが、ここにはあったってことに。


夕陽も、ラブレターも、アクビも、かき揚げそばも。


「……ただいま」


今度は、ちゃんと声に出して言った。

この町に、過去の自分に、そして誰より、俺自身に。

原曲 堂島考平 葛飾ラプソディー

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ