『エスケープ』
「ねぇ、あんた、わかっちゃいないよ」
そう言って彼女は笑った。捨て台詞のようでもあり、呪いのようでもあった。
三倉セナは、世界の“正しさ”に飽きていた。誰もが望む役割に順応し、誰もが嫌う汚れ役を避け、誰もが“選ばれる側”であることを夢見ていた。だがセナは違った。舌を売っても、爪を研いでも、彼女はその“選ばれない側”に居続けた。
それが、あの事件のきっかけだった。
彼女が通う私立花宵学園は、表向きは進学率98%の名門校だ。だがその裏では、生徒たちの“適正”をAIが監視し、教師は数値でしか人を評価しない管理社会だった。偏差値、情緒指数、交友関係偏差。全てが「選ばれる」ための材料になっていた。
セナはそこにいた。平均以下の情緒指数を叩き出し、「共感性に難あり」と判定され、誰からも目を逸らされた。
「裏切られるくらいなら、最初から裏切ってやるよ」
セナは自分の部屋に引きこもり、コードを書いた。AIの裏側に潜り込み、“選ばれる”生徒の履歴をすべて覗いた。ある者は家庭環境を偽り、ある者は交友関係をスクリプトで操作し、ある者は試験用のデータを事前にリークしていた。
「へらへら笑って、よくまあ神妙な顔して語れるもんだね」
情報を抜いた夜、セナはひとりで笑った。うすら寒い言葉ばかりが、通知としてスマホに届いた。「大丈夫?」「気にしてないよ」「また今度遊ぼうね」。
どれも嘘だ。覚えない顔とバイバイできるなら、私はもうとっくにこの世にいない。
でも、私はいる。今ここに。
セナは動画を作った。自分の調査記録をもとに、全校生徒の「選ばれた理由」とその裏側を暴く30分の映像。タイトルはこうだ。
『仏の顔も三度まで:学園神話の嘘』
――逃げる、エスケープ。仏のまま。
――跳ねる、スキップ。あっそ、へのかっぱ。
映像はバズった。匿名で投稿した動画は、翌日には教師のスマホにも届き、さらには保護者の間でも回覧された。セナは、それを見て初めて「勝った」と思った。
でも、勝利はあまりにも短かった。
学校側は「外部からのハッキング」と断定し、全生徒に緘口令を敷いた。問題の動画はフェイクだと公表され、真相を知る者たちは皆、口をつぐんだ。
セナは呼び出された。
「愉快な御託のフルコースに、あなたも飽きたのね?」
学園長は冷たい目をしていた。その横には、あの“選ばれた”生徒たち。今でもニコニコ笑うだけの、うわべだけの仮面。
「くだんない僧と踊るくらいなら、悪魔と手繋ぐわ」
セナはつぶやいた。教師たちは何も聞いていないような顔で、退学勧告を渡した。
けれど、それが終わりじゃなかった。
セナは今、路上にいる。退学になったその日から、どこにも居場所はなかった。だが、それでよかった。正しいことをしたとは思っていない。ただ、正しいふりをすることに我慢できなかっただけ。
「どーどー閻魔様さえ喰らってやるわ」
夕暮れの路地裏。セナはノートPCを開いた。そこには学園のAI制御プログラムがある。過去の侵入ログ、セキュリティの盲点、そして操作可能な生徒評価システムのマニュアル。
“おまえが神なら、私はその神を喰らう鬼になる”
セナは自分にそう言い聞かせた。骨の髄までしゃぶり尽くして、この偽善の世界を暴き尽くす。今度こそ匿名じゃない、自分の名前で。
「ねぇ、ギャーギャー言っちゃって、頭を垂れないで」
夜の街を歩く彼女の背に、街灯が影を落とす。誰もいない歩道、誰も見ていない空。
でも、風の中には確かに“逃げなかった者”の足音があった。
その名は三倉セナ。正義ではなく、正直であろうとした少女。
――アンダスタン。アンダスタン。
――ねぇ、あんた、わかっちゃいない。
原曲 ado 阿修羅ちゃん




