第35話 神の回顧録四ー善なる神の憂い編
神様による癇癪により、日乃本は日の光を失った。
自分の大切な友が傷つけられて動揺し、憤慨する気持ちは理解できる。
然し、謝罪どころか何かを言葉を口にする暇など許されずに大御神は姿を消した。
瞬く間に闇に染まる視界、見上げた空に星々が輝いていた。
「やれ、仕方ない・・・」
クリアーレはこうなる事が判っていたかのように呟くと、光の精霊が其れに応えて周囲を明るく照らす。
唯の光球だった姿は人型となり、白いローブを纏いカンテラつきの杖を抱え、クリアーレの傍らでふわふわと浮遊していた。
「コウギョク、今は昼の筈よね?」
馬の暴走に弧護の負傷、そして姿を消した大御神、めくるめく出来事に思わず頭が混乱する。
先刻までと真逆の光景、明白な現実が目の前に広がっていると言うにも拘らずコウギョクに訊ねてしまった。
コウギョクは情けない物を見るような呆れ顔へ変えると、私の脛に前足をかけて見上げては諭すように言い聞かせてくる。
「よいか落ち着け!あの方は太陽の神、それが姿を隠したのだから夜に決まっておろう」
小さな前足で脛をペタペタと叩くと、さも当然の様に原因を語る。
こちらは日乃本の神々の知識など皆無だと言うのにと言う言葉を、事前に聞いていなかった自分にも落ち度を感じて呑み込んだ。
「大御神は何処に身を隠されたと言うの?」
私の問いにコウギョクは首を横に振る。
「まあ落ち着け、おおよそ見当はついておる。これが続けば、外で戦った者や禍が訪れるやもしれぬが、今は弧護様を安全な場所へ送り届ける事が先決じゃ」
コウギョクは鼻を鳴らすと、治療を受ける弧護の許に駆け寄りクリアーレを見つめる。
心配そうな顔のコウギョクの前で水の精霊の治療を終えた弧護を私は抱き上げた。
周囲からは昨晩感じた物と同様の気配。
息を呑み身構えると、さっそく外壁に施された結界に押し寄せる大群が外壁へと衝突しだして騒がしくなる。
幾度となく其れが繰り返されると、仲間の死骸でも踏み台にしたのだろうか、壁を這い上がり神の庭へと這い上がろうとする輩まで現れてきた。
空も同様、円を描くように旋回する細長い何かの影が月明かりで僅かに浮かび上がる。
神様の不在が原因か、それを好機と見做した事は間違いない。
ただ多くの妖達が群れを成して押し寄せてくるこの状況、昨晩とあまりにも酷似している。
神様不在のこの神殿と群れを成して押し寄せた理由に合点がいった気がした。
クリアーレとの再会の直後も大御神は気分を害し、その御身を何処かに隠したのだろう。
「・・・ええ」
自然と神殿に明かりが灯るのが見える。
火の神、華焔様による物だろう。
弧護の身の安全を優先すべきと考えたが、下手に神殿に向かえば敵を招きかねない。
クリアーレが協力の申し出を受けてくれると助かるのだが・・・
変わり者なこの一柱を縋るのは不安しかない。
「コウギョク、弧護様を連れて神殿に戻って」
コウギョクとの対格差は多少あれど、人型に成れない状態でも銜えて運べるはず。
自分でもコウギョクに無理強いしていると思うが、このまま傍に置くよりかマシだろう。
「な!お主、幾ら妾とて神力が抑えられた身で運べるわけなかろう。色々と無茶を言い過ぎじゃ!」
コウギョクは予想通りの猛抗議、それを終えると状況が解っている為か渋々と弧護の首を銜えて引きずり出す。
純白の被毛に土が付き、後ろ足の怪我の治癒を終えていないのか弧護の顔が歪んだ。
「ごめん、後でオアゲを食べさせてあげるから!」
コウギョクは無言で一瞥すると顎を上げ、弧護を気遣いながら神殿の灯りを頼りに歩き出す。
暗闇の中で幾度となくベチャリとぬめり家の有る音が響く、同胞を踏みしめては生き残った者が此の美しい庭に下りたのだろう。
「ふぅ・・・」
刀を構えては心を整え、浅く息を吐く。
隣に立つクリアーレは周囲に視線を泳がせて微動だにしない。
刀を握り直すと、クリアーレの手が私の動きを制した。
「今は日の光を失いし禍つ時。こやつを貸してやろう・・・そうだな名を『光の精霊』とする。こやつを連れてヒノテラスを隠れ家から連れ出せ」
聞き馴染みのある名前に心臓が跳ねる、名付けられた光の精霊は嬉しそうに私の周囲を飛び周った。
やはりクリアーレは私が知る神々と関りが有る。
突如として精霊を貸し与えられ、それに続く言葉に驚くと同時にその意味を理解し驚いた。
「連れ出す・・・あ、ありがとうございます!」
渡りに船とはこの事だ。
何故、勝手に神様の手を煩わす事が出来ないと私は勝手に思い込んでいたのだろう。
穢れ塗れの妖の大群どころか、この神殿を護るうえで此れ以上の適任者は居ないのだから。
「ういすぷ・・・それにしても月の満ち欠けの如く、随分な心持の変わり様じゃのう?」
二匹を抱きかかえて立ち上がると、コウギョクは腑に落ちないらしく訝し気にクリアーレに訊ねる。
クリアーレは何かを思い浮かべるよう視線を傾けると、此方に向き直り私を見ては嬉しそうに笑みを浮かべた。
「昨夜の光景を十分に目に焼き付けさせて貰った。だから、見習わなければと思ってな」
悍ましい程の脅威が迫っているにも拘らず、クリアーレは此の状況を心待ちにしている。
その証か、月が浮かぶ星空の様に輝かせる瞳が朝焼けの如く、淡く紫を帯びていた。
「・・・」
やはり、不安が拭いきれない。
応じて貰えない可能性が高いが、此処は共闘を持ち掛けてクリアーレを監視すべきだろうか。
「もう、何をやっておる!早くせぬか、この妖達は待ってはくれぬぞ!」
コウギョクの酷く焦った声に我に返る、腕の中で前後の足を振り回しながら猛抗議する姿に決断した。。
「頼みます!」
「そう、それで良い・・・」
振り替えず、背後から聞こえたクリアーレの声は低く落ち着いた物。
地鳴りのような穢れを帯びた妖達の呻き声が重なり、クリアーレの言葉は半ばで呑まれていく。
逃げる私の頭上からどろりと穢れが垂れ、地面にできた水溜りから視線を上げると腐臭が漂う鳥が降下してきており刀で斬り払うと焼ける様な熱気と共に頭上で炎が舞った。
「火を纏う鳥・・・ふらり火か。供養を受けぬ哀れな魂の成れの果てじゃ」
甲高い鳴き声をあげ、飛び散る火の粉と穢れと共に更なる一閃を加えると視界が白む程の閃光が放たれた。
「イソイデ・・・」
聞き慣れない声に薄目を開けると、光の精霊が掲げる杖の先に青白い火球が天へと昇っていく姿が見えた。
「ありがとう!」
この上ない味方を得た筈だが消えない不安、心から信じるべきか迷っている。
無我夢中で走る庭園、多くの妖達の呻き声にクリアーレの声が混じった。
妖達の声どころか、草や木々の騒めきさえも止まり、全ての音が一瞬で失われるような錯覚が私達を襲う。
一陣の風が吹き音が世界に戻ると、大御神の庭園には腐臭も死臭も無く、ただ澄んだ空気に満たされていた。
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「なんじゃ?なんじゃアイツ!結界を張れるなら最初からせぬか!」
砂利の上でコウギョクは地団駄を踏んだ。
コウギョクが言う通り、一つの問題は解決したのだが当の本人は未だに私達の前に姿を現さない。
「解るけど落ち着いて。それよりほら、弧護の容態はどう?」
居ない人の文句を聞かされた所で私にはどうしようもない。
興奮気味のコウギョクの鼻から噴き出す鼻息が収まると表情は一転、嘘のように笑みを浮かべる。
「それなら心配は無い、くりあーれが付けてくれた水の精霊とやらが治してくれたぞ」
まるで自分の手柄の様な見事なしたり顔。
「あの、御歓談のところ申し訳ない・・・二人に伝えたい事があるが良いか?」
弧護は静かに体を起こすとふわりと九つの尾を扇の様に広げると落ち着いた口調で私達に訊ねる。
コウギョクは遠いい未来、木の属性の神だった彼女が生み出した分け御霊であり、最後に遺した継承者であるが性質は真逆だ。
「はっ、何なりとぉ」
コウギョクは尻尾を振り、興奮気味な勢いで弧護の言葉に耳をピンと立てながら目を輝かす。
その姿から狐と言うよりも、犬に見えてくる。
その落ち着きのなさに怒る訳でも諫める訳でもなく、ただ真顔で弧護はコウギョクを無言で見つめたまま。
何とも言えない息苦しい空気にコウギョクが意気消沈した所で、最初にと前置きした後に語り出す。
「儂はあの方が此の世界に落ち、五行を司る物として創られた者の唯一の失敗作。それでも捨てずに傍に置いてくださったあの方に恩義がある。あの方は慈悲深く暖かい、万物を照らす御天道様そのものなのじゃ」
先程の癇癪に対する誤解の訂正と自身の大御神への思いを告げる。
やはり二匹の精神の根幹は変わらないのかもしれない。
「当然じゃ。悪くなど思い様が無かろう」
「ええ、勿論です」
光りの精霊と弧護に誘われ、静まり返った神の庭を歩いている。
思うより近い場所にあるな等、暢気な事を口にする者など誰一人居らず。
ひたすらに息遣いと砂利を踏みしめる足音が響く中、ピタリと弧護の足が止まった。
「此処が・・・」
光りの中に浮かぶのは木々の中に聳え立つ黒い岩壁、崩落か落盤か何かを隠すように大岩が鎮座している。
静寂が広がる森の中で弧護は苔生した大岩を見つめると私の腕を滑り降り、狐火の青白い光に照らされながら大岩にゆっくりと歩いて行き立ち止まった。
「この日乃岩戸へ日乃照大御神は御隠れになられている。この万象の狂いはこの小さな島の喪失に始まり世界を狂わせる。本来なら此れは神たる者の務めじゃが・・・紅玉よお主に託そう」
尾が風に揺れ、此方へと振り向く弧護の顔が狐火により照らされると紅色の瞳がコウギョクへと向く。
コウギョクは子狐の姿のまま、目を丸くしたかと思うとニヤリと怪しげに口角を上げた。
太陽を失う事の恐ろしさは理解できる、それが世界を狂わせるとはどう言う事なのだろうか。
弧護の姿は既に負傷して弱った妖狐ではない、神々しささえ感じる。
世界の喪失とは何かと問おうと私が口を開くよりも早く、張り詰めた空気を破壊するコウギョク節が炸裂した。
「ふ・・・ふふっ、此れが妾に課せられた試練と言う訳か!温存してきた甲斐が有ったものよ、これこそ妾に相応しい!」
漸く長く頭を悩ませていた靄が晴れる様に、コウギョクは自身に満ち溢れた声を張り上げ胸を張る。
その覚悟の決まった声を耳にし、弧護は小馬鹿にするかのように鼻で笑った。
「威勢が良いな・・・されど、その様に容易い事ではないぞ」
弧護の足元の苔が青々と足元の岩場に広がっていく。
その背後に何かが怪しく光り、森の雰囲気は一変する。
「コウギョク!」
火球がコウギョクへと降り注ぐ所を抱きかかえては難を逃れる。
湿り気を帯びた滑る岩場を踏みしめると、岩が私ごと貫かんばかりに槍となって襲い掛かった。
それも一振りどころではない、コウギョクを抱えたまま其れを躱すと間髪もいれず氷刃まで飛んでくる。
刀でそれらを掃うと、雑草が蔓となりコウギョクを私から掠め取った。
「成程な・・・一筋縄でいかないと言う訳か」
コウギョクは縛り吊るし上げていた蔓を狐火で焼き切り、一回転すると軽やかに着地する。
「我らは主神より、何人たりと岩戸を開けさせぬよう命じられているのでな」
岩戸の前に鎮座するのは五柱の神々。
凄まれても尚、コウギョクの瞳に灯る火は消えずに鮮やかに燃え盛っていた。
本日も当作品を最後まで読んで頂き誠に有難うございます。
漸く、紅玉の神格化への試練に漕ぎ付けました。
どんな奮闘ぶりが見られるか、次回までゆっくりとお待ちください。
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次週も無事に投稿できれば3月2日20時に更新いたします。




