第二十五話:【煙幕】たぬき屋の連携プレー
第二十五話:【煙幕】たぬき屋の連携プレー
鴨川の川原での大乱闘から、命からがら逃げ延びた国経の荒くれどもは満身創痍だった。着物は破れ、泥だらけの無様な姿になりながらも、奴らは執念深く「たぬき屋」の辻へとたどり着いていた。
「あの役人どもめ、邪魔しやがって……だが、あの琵琶法師を仕掛けた『文字の男』が、この飯屋の周辺にいるってネタは掴んでんだ。炙り出してやる」
貸元の手下がギラついた目でたぬき屋の暖簾をはね上げた。
店内では、熱がすっかり下がった看板娘のお鈴が元気に立ち働き、店主の為蔵が茹で上がった蕎麦を器に盛っていた。そこへ殺気を放つ男たちがドタドタと足を踏み入れる。店内に一瞬で緊張が走った。しかし、当の探されている男は、店先の席で平然と蕎麦をすすっている。
ならず者の親玉が為蔵の前にドカリと足を踏み出した。
「おい、オヤジ。この辺りに『見事な文字を書く、若くて賢い男』がいねえか。隠すと承知しねえぞ」
為蔵がギクリと身を硬くした瞬間、男を守るため、長屋の面々が一斉に動き出した。
「達筆なお人なら、あっしがよく知ってますぜ!」
最初に声を上げたのは、大工の熊ゴロだった。お鈴にいいところを見せようと、ハッタリ顔で無法者の前に立ちはだかる。
「見上げるような大男でよぉ、右目に凄え傷があって、いかにも知恵者って面構えの奴だ!」
すかさず、お鈴がその後に続いた。
「いいえ、熊さん何言ってるの。私が知っているお方は、白髪のひょろひょろとしたお爺さんですよ。文字を書く手がいつも震えていてねぇ」
「何を言うんだお鈴ちゃん、俺の見た奴は……」と熊ゴロがわざとらしく言い争いを始めると、為蔵も「いやいや、小柄な女の旅人だったはずだ」と乗っかる。
ごろつきたちは、全員が真顔で繰り出す嘘の弾幕に「おい! さっきから全員言っている特徴がバラバラじゃねえか!」と頭を抱え、完全に混乱し始めた。
そこへ、手拭いで口を拭いながら、男自身が誰よりも早く立ち上がり、大げさに怒り狂ってみせた。
「おいおい、あんたらもあの詐欺師を探してるのか! 聞いてくれよ、俺なんかあの達筆な男に偽物の巻物を売りつけられて、なけなしの金を全部騙し取られたんだ! 捕まえたら俺にも一発殴らせてくれ!」
男の圧倒的な脱力感と迫真の演技に、ごろつきは「なんだ、こいつはただの騙されたマヌケか」と思い込み、容疑者リストから完全に外してしまった。
無法者の親玉が「口裏を合わせているんじゃねえか」とじろり周囲を睨みつけた、その時だった。
「あーっ! おじちゃんたち!」
男から普段、読み書きや算盤を教わっている長屋の子供・太助が、パタパタと店内に駆け込んできた。太助はヤクザの泥だらけの格好を見てクスクス笑いながら、無邪気な顔でトドメの嘘を放った。
「おじちゃんたちが探してるかっこいいお兄ちゃんなら、さっきお馬さんに乗って、あっちの大きな山の方へ走っていったよ! 急げば追いつくかも!」
「子供は嘘をつかない」と信じ込んでいる無法者たちは、その言葉に完全に釣られた。
「何っ、馬で山へ逃げただと!? 野郎ども追うぞ、遅れるな!」
泥だらけの体で、デタラメな山の方へと全速力で消えていく無法者たち。その背中が見えなくなるのを見計らって、熊ゴロが太助に「よくやった!」と親指を立てた。
静けさが戻ったたぬき屋で、住人たちは一気にあんどの息を漏らした。
「あー、ハラハラした。旦那さん、一体誰にそんなに恨まれてるんだい?」
お鈴が心配そうに覗き込んでくる。熊ゴロは「お鈴ちゃんが心配することねえよ、俺が守ってやるからな!」と鼻の下を伸ばしている。
男は太助の頭をくしゃくしゃと撫でながら、蕎麦の汁をズズッとすすった。
「さあねぇ。でも、みんなの嘘は見事だった。太助、今の嘘は算盤の計算より冴えてたぞ」
「へへん、先生にいつも鍛えられてるからね!」と胸を張る太助。
お上が忘れた民を慈しむという温かい光が、この小さな飯屋には心地よく満ちていた。男はニヤリと笑い、下町の頼もしい大御宝たちの顔を見渡すのだった。




