第二十三話:【悪党】大納言の焦燥
第二十三話:【悪党】大納言の焦燥
贅を尽くした大納言・藤原国経の邸宅は、今や嵐が吹き荒れたような惨状を呈していた。
従者たちは息を殺して部屋の隅で平伏している。
「おのれ……おのれ、下町のドブネズミどもが……!」
国経は白髪を振り乱し、怒りで顔を般若のように歪めて叫んでいた。
数日前から下町を席巻しているあの小気味よい琵琶歌のせいで、国経の宮廷での立場は完全に失墜していた。若き左大臣・藤原時平に、目の前で最愛の若い妻を拉致され、奪われたあの生涯最大の屈辱。宮廷の誰もが腫れ物に触れるように隠してきたその醜聞を、あろうことか下町のど真ん中で朗々と歌い上げられ、民衆の大爆笑の肴にされたのだ。
今日、内裏の廊下を歩いた際、同僚の貴族たちが自分を見てクスクスと袖で口を隠したあの視線――。それを思い出すだけで、国経は血管がはち切れそうなほどの怒りに震えた。
「ただでは済まされんぞ」
国経は円座に座り、隣の脇息を、爪が乗るほど強く握りしめた。
怒りの霧の向こうで、冷徹な計算が頭をもたげる。
一度目の大通り建設計画も、今にして思えば、その男の周到な芝居に踊らされていたのではないか――そんな疑念が、国経の胸に鎌首をもたげ始めていた。
そして二度目の今回は、自分の隠し続けてきた宮廷極秘の醜聞を、どこからか嗅ぎつけて下町民衆に大拡散し、お上の追手まで鮮やかに撒いてみせた。
「……市井に、麻呂の邪魔をする小賢しく立ち回るネズミが確実に一匹いる!」
お上の裏をかき、自分を執拗に、そして徹底的にコケにし続けている黒幕が下町の闇に潜んでいるのだと確信した。
だが、その目的が何なのか、皆目見当もつかない。正体不明の賢いネズミの存在は、国経にとって底知れぬ不気味さであり、国経の自尊心を逆撫でするのだった。
宮廷では若き時平にコケにされ、足元の下町では名もなきネズミに翻弄される。そんな二重の屈辱など、あってたまるか。
「かつてはあの天才・菅原道真すら罠に嵌めて大宰府へ引きずり下ろし、圧殺してやったこの麻呂だぞ……! たかが下町のネズミ一匹、炙り出せぬわけがない!」
道真をハメた過去の成功体験は、国経ではなく時平のものであったにも関わらず、自らのものであるかのように思い込み狂気的な執念を宿らせる。
(どれほど賢かろうが、所詮は名もなき市井の徒。権力という巨大な車輪で踏みつぶしてやればそれまでだ)
国経は立ち上がり、平伏している配下の武者と、下町の裏社会に通じるヤクザ者どもを集めて鋭い目で見下ろし命じたのである。
「下町の長屋を端からすべてひっくり返してでも探し出せ。不届きな歌を歌った琵琶法師、そして――その裏で糸を引いているあの文字の主を、生け捕りにして麻呂の前に引きずり出せ。逆らう者は、一人残らず叩き斬って構わん!」
国経の放った私兵と刺客たちが、ギラついた目を光らせて一斉に動き出した。じわじわと、下町を覆う網が絞られようとしていた。




