第十四話:鬼門のからくり
第十四話:鬼門のからくり
「――いいか、熊ゴロ。しくじるんじゃねえぞ」
夜明け前のたぬき屋の奥部屋。男は卓の上に、数日で書き上げた二枚の偽文書と、布に包まれた妙な小道具を並べ、いつになく低い声で告げた。
◇
その二日前の晩、男はご隠居の庵を訪ねていた。
「ご隠居、国経のお抱えの陰陽師について、知っていることを教えてくれないか」
ご隠居は煙管をくゆらせながら、すぐに答えた。
「安倍播磨守のことか。あやつは宮廷でも指折りの陰陽師だが、一つ大きな癖がある。風水の祟り話を好んで語り、特に『鬼門に呪いの楔を打ち込まれた』という話を十八番にしておる。七十年前に実際にあった公卿の怪死事件を、いつも大袈裟に語るのじゃ。国経はその播磨守を深く信頼しており、祟りや神仏の類いを病的なまでに恐れておる」
「なるほど」
男は目を細め、ニヤリと笑った。
(つまり、播磨守が語りそうな話に合わせて罠を仕掛ければ、国経は必ず引っかかるというわけだ)
翌朝、男は一晩をかけて、もう一枚の古文書を書き上げた。
新たに書き上げた古文書には、播磨守が語りそうな「鬼門の祟り」の文言を、おどろおどろしい役所言葉で書き連ねた。播磨守が七十年前の公卿の話を持ち出した時、この古文書の文言と完璧に符合するように、言葉の一つ一つを慎重に選んで。
◇
熊ゴロ、よく聞け。
「お鈴ちゃんが町外れのご隠居に試してくれた通り、この文字はお上の目をも欺く。だが、国経の旦那を本気で信じ込ませるには、もう一つ『証拠』が必要だ。あいつが一番頼りにしている、お抱えの陰陽師を巻き込むのさ」
男は布を開いた。中から現れたのは、奇妙な文様が朱色でびっしりと書かれた古い呪いの札と、泥にまみれた獣の骨だった。
「熊ゴロ、お前さんたちの腕を見込んで頼みがある。国経の屋敷の書斎にこの偽文書を紛れ込ませ、さらに、屋敷の庭の『北東の角』――鬼門の土の中に、この呪いの骨をこっそり埋めてきてほしいんだ。あいつの屋敷は、今ちょうど屋根瓦の修繕が入っているはずだろ?」
熊ゴロは岩のように頑丈な顎を撫えながら、不敵にニヤリと笑った。
「へっ、お安い御用だ。お上にお袋の形見の長屋を奪われてたまるかってんだ。大工の仲間を引き連れて、お屋敷の屋根から畳の裏まで、綺麗に『お仕事』してきてやるぜ」
◇
数時間後、朝霧が立ち込めるなか、熊ゴロたち下町の大工衆は、道具箱を担いで藤原国経の広大な邸宅へと堂々と乗り込んでいた。もちろん、正規の瓦修繕の職人に紛れての潜入である。
「おい、新入り! そこをもっと景気よく叩け!」
「へいっ、親方!」
熊ゴロの怒鳴り声に合わせ、仲間の職人たちがわざとらしく派手に金槌を響かせる。「トントンカンカン!」と耳を劈く大音が響き渡り、屋敷の守衛たちの目が上空へ引きつけられている隙に、熊ゴロは懐から呪いの骨を取り出すと、大きな身体を低く屈めて屋根の足場から中庭へと降りた。
さすがに身軽な忍者のようにはいかない。ずんぐりとした巨体を庭木に隠しながら、北東の角にある立派な松の木の根元へ這い寄り、職人の力強い手つきで大急ぎで泥を掘って骨を埋め戻した。まずは一つ目の任務完了である。
しかし、本当の難関はここからだった。国経の書斎は、廊下を渡った奥にある。
熊ゴロが大きな足音を殺して廊下の障子に手をかけたその時、運悪く、廊下の向こうから見回りの随身二人組が歩いてくるのが見えた。
(しまっ……!)
隠れる場所などない。熊ゴロが太い首筋に冷や汗を流した瞬間、外の庭の茂みから「にゃあお……、ふぎゃあー!」と、凄まじい猫の喧嘩の声が湧き上がった。外で待機していた長屋の仲間たちが、必死で喉を鳴らして放った渾身の鳴き真似である。
ところが、その鳴き真似があまりにも下手くそで、どう聞いても人間の男が裏声を張り上げているようにしか聞こえない。
「……おい、今の声を聞いたか。猫にしては野太すぎる」
「ああ、人間が猫の真似をしているとしか思えん。怪しい者が庭に潜んでいるぞ、改めよ!」
随身たちが完全に不審がり、刀の柄に手をかけて庭へと引き返していく。
(おいおい、何やってんだアイツら!)
熊ゴロは心の中で突っ込みを入れつつも、この絶好の隙を逃さなかった。大きな身体を必死に縮めて書斎へ滑り込み、机の上にうず高く積まれた公文書の山の、ちょうど真ん中あたりに男の偽文書を職人ならではの器用な手つきでサッと差し込んだ。
任務を果たし、急いで窓から逃げ出そうとしたその時、慌てすぎた熊ゴロの尻が、飾られていた立派な青磁の壺にコツンと当たってしまった。
グラリと傾く高級な壺。
「ひえっ」と声を漏らしながら、熊ゴロは巨体に似合わぬ必死の執念で手を伸ばし、床に激突する寸前で、壺の首をがっしりと両手で掴み取った。冷や汗が滝のように流れる。それを震える手で元の位置に戻すと、再び外へ這い出し、何食わぬ顔で屋根の上へと戻っていった。
下町の大工たちの執念と、どこか抜けた連係プレーにより、お上の牙城のど真ん中に、恐るべき二重の罠が完全に仕掛けられたのである。
◇
その日の夕刻、国経の屋敷の書斎。
何も知らない藤原国経は、ふと机の上の書類の山に、見覚えのない格式高い巻物が混ざっているのを見つけた。
「ん……? これは我が民部省の……」
紐を解き、広げた国経の目が、次の瞬間、驚愕に見開かれた。そこには、紛れもなく自分自身の筆跡と花押で、こう記されていた。
『下町の大通り計画は、一時凍結とする。民の立ち退きは一切免除せよ』
「な、何だこれは……。麻呂はこんなものを書いた覚えはないぞ!?」
国経は我が目を疑い、激しく狼狽した。物の怪に憑かれて知らぬ間に筆を執ったとでも言うのか。しかし、驚くのはまだ早かった。その巻物の裏には、おどろおどろしい役所言葉で、凍結の「本当の理由」が添付されていたのである。
国経は巻物を閉じると、しばらく眉間に皺を寄せたまま考え込んだ。
「……気味の悪い書付ではあるが、麻呂が書いた覚えのないものだ。誰かが誤って書類の山へ紛れ込ませたのであろう。」
自らの筆跡や花押に酷似していることは気にはなった。しかし、そのようなものを人の手で寸分違わず偽れるはずがない――そう思い直すと、国経は小さく鼻を鳴らした。
「くだらぬ。物の怪の類など、あるものか。」
国経は巻物を他の公文書の上へ無造作に置き、再び政務へと意識を戻した。
だが、その何気ない判断が、やがて自らを底知れぬ恐怖へと導く第一歩になることを、この時の国経はまだ知る由もなかった。




