第20話 昔の事9
「だあっ」
「カーズキ、お前本当に可愛いなぁ。お姉ちゃんはお前に首たっけだよ」きゅうっ
「うだあっ」
緊張の糸が切れ至福の時に浸るメリアドール。
お世話をしながらカズキに抱きつき思う存分ゆるふわ乳幼児を満喫していた。
思えばずっと緊張の連続だった彼女。側仕えカステラーデの死に始まる里の残酷な有様はメリアドールの心を急転直下闇に落とした。
そして続くカズキを守りながらの燃える森からの脱出行と追跡者からの逃走劇は更に彼女を心身共に疲弊させていたのである。
正直メリアドールは心身共に限界だったが母親リリフルールとの約束とカズキへの責任を使命感に限界のその先に突き進んできたのだ。
そんな彼女にとってカズキとのスキンシップが至福の時であり心と体の回復には最良の特効薬であったと云える。
だが幸せな時間はそう長くは続かない。
残酷な現実が至るところに存在するこの世界においては間もなく迎える彼女達の運命も至極当たり前の出来事だからである。
ごぶっ
「あっ?」
「だあ、ぶぎゃあ!!!」
メリアドールは一瞬何が起きたか分からなかった。
ただ左下腹部に刺すような痛み。
そして吐血が尋常ならざる事態にある事を悟らせた。
そう、何者かの攻撃を受けている。
間違いなくそれは彼女が細心の注意を払って避けてきた最悪の状況であった。
「ぶぎゃあぶぎゃあぶぎゃあぶぎゃあ」
「ま、さか」
「《《やり過ごせた》》、そう思ったか?」
かつての彼女の行動を嘲笑うかの様な背後から聞こえた低い声。
その声には聞き覚えがあった。
追跡者。
あの温泉地帯で出会った人族優位主義者の声に違いない。
だがおかしい。
文字通り煙に巻いた筈だった。
あれだけ走り振り返ったが後に追跡者の影はなかったのだ。
この渓谷の岩石地帯に入った時点で念の為に潜み偶然にも後から現れた正体不明の黒装束も上手くやり過ごす事が出来た筈だ。
少なくとも温泉地帯の同一人物に見つけられる事は想定に無かったわけで背後の人物が記憶通りの人間なら温泉地帯の煙幕から脱出し自分が振り向いた視界を欺いた事になる。
《《欺いた》》事になるのだ。
「な、何故」
「何故潜む場所が分かったか?」
メリアドールの問いに追跡者が答えたのだがこの場合の彼女の問いは実は二重の意味がある。
一つは追跡者の発言通り発見された理由。
もう一つは背後から伸びる槍の先に対しての疑問だった。
メリアドールは背後から槍のような得物に背中から貫かれている。
それは左腎臓の下を掠め左脇腹から僅かに刃が出ていたのだ。
間違いなく重傷である。
だが問題はその槍の先にあった。
(槍の先に姿が見えない??)
彼女が必死に振り向いたその先に人の姿は無かった。
そればかりか槍の先は空中から伸びておりその持ち手の先が消えている。
《《つまり》》何も無い空中から槍が生えるように現れていたのである。
「簡単だ。ずっと後をついて来たのだからな」
「あ、後をついて、来た?」
「そうだ。こうやってな」
ブウゥーンッ
「!!」
その言葉と同時に姿を現した黒装束の男。
それを見たメリアドールは前世の知識を思い出していた。
《光学迷彩》
つまり透明化である。
(想定するべきだった……)
メリアドールは前世の知識を持ちながらその事に警戒出来なかった自分を恥じた。
この世界には魔法が存在し文化レベルが中世のそれでも現代科学に匹敵かそれ以上の現象を作り出す事が出来る。
その事は知っていたし自身は魔法が使えなくとも母親リリフルールから様々な魔法の実演や注意点の説明を受けていた筈だったのだ。
なのに最悪の窮地に陥ってしまっている。
万全でなかったとしてもその可能性を頭の隅に入れておくべきで、そうしなかったのは全て自分自身の油断が招いた事態。
更に守るべきカズキを危険に晒している事も含め激しい後悔がメリアドールを支配していた。
「それが王子様か?これはこれは大物が釣れたものだ。お前には感謝しなければならないな」
これだ。
男は明らかにメリアドールを泳がせていた。
そしてこの事態こそが男が自分を泳がせていた最大の理由だ。
つまり黒装束の男はメリアドールがカズキを連れて歩いている事を知らなかったのだ。
分からなかったとも云える。
だから小屋から出た彼女を直ぐには攻撃せずカズキの所在を探る為に少しづつ追い込んだのだろう。
そして透明化の魔道具でメリアドールのすぐ背後からその一挙手一投足を観察していたのだ。
「………………っ」
悔しい。
そんな男の手のひらで踊らされラナの実を開けカズキとのスキンシップに明け暮れて癒されていた。
しかも観察する黒装束の男の目の前で!!!
あまりの悔しさと怒りに刺された痛みすら感じなくなるメリアドール。
しかしその感情はカズキに伝わる事になる。
「ぶぎゃあぶぎゃあぶぎゃあぶぎゃあぶぎゃあ」
「カズキ!!」
メリアドールの怒りと血に反応して泣き叫ぶカズキ。
その声は彼女にある覚悟をさせる事となる。
その覚悟はあまりに苛烈でその先の未来は限りなく厳しいものだ。
だがこの状況の彼女に《カズキを救う》その一点において躊躇という文字は皆無であったと云えるだろう。




