13 「反撃開始」
ユウトは座標が示す場所に向かった。都心から少し離れた工業地帯、廃棄された化学工場の敷地内だった。
朝霧の中に佇む古いコンクリートの建物は、まるで時が止まったかのように静寂に包まれている。窓ガラスは割れ、壁には蔦が這い上がり、完全に放棄された施設のように見えた。
「本当にここなのか……?」
ユウトが工場の正面に近づくと、影の中から人影が現れた。
美月だった。
「来てくれたのね」
彼女の声には安堵と、そして深い疲労が滲んでいた。一夜で随分と痩せたように見える。政府との板挟みで、相当苦しんでいたのだろう。
「美月……君は大丈夫なのか? 父親に逆らって」
「私なら心配ない。それより、時間がないの」
美月はユウトの手を取り、工場の裏手に回った。そこには古い貨物用エレベーターがあった。一見すると錆び付いて動かないように見えるが、美月がパネルに手をかざすと、かすかに光った。
「これ、まだ生きてるの?」
「お祖父さんが作ったシステムは、20年経った今でも完璧に動作する。さすがマインド・シンクの開発者ね」
エレベーターがゆっくりと地下に向かって下降していく。地上からは想像できないほど深く潜っていく。
「どうしてこの場所を知ってたんだ?」
「父の資料を調べて発見したの。お祖父さんは政府の研究所とは別に、個人的な研究施設を秘密裏に建設していた」
やがてエレベーターが停止し、扉が開いた。
ユウトは息を呑んだ。
目の前に広がっていたのは、最先端の研究施設だった。天井は高く、壁面には巨大なモニターが並んでいる。中央には球状の装置があり、その周りに複雑な機械が配置されている。すべてが清潔で、まるで昨日まで使われていたかのようだった。
「すごい……これが祖父の研究所なのか」
「入り口のセキュリティは血縁関係による認証システム。あなたにしか開けることができない」
ユウトが中央のコンソールに近づくと、自動的にスクリーンが点灯した。そして、見覚えのある顔がホログラムで現れた。
祖父だった。
『孫よ。この映像を見ているということは、私の懸念が現実となったということだ』
ホログラムの祖父は、写真で見たよりもずっと深刻な表情をしていた。
『マインド・シンクは私が開発した。人類の幸福のためだと信じて。しかし、完成した後に気づいたのだ。この技術は諸刃の剣であることを』
美月がユウトの隣に立った。二人で祖父のメッセージに耳を傾ける。
『システムが悪用されることを防ぐため、私は君たちの血族に宿る能力の意味を研究し続けた。それが君の能力だ、ユウト』
「僕の能力……?」
『君の感情読解能力は、偶然の産物ではない。我々の血族に代々受け継がれてきた特殊な遺伝的特徴が、マインド・シンク技術の発達と共に覚醒したものだ。まるで人類の進化が、この技術への自然な対抗手段を用意していたかのように』
ユウトの膝が震えた。自分の能力が、血族に眠っていた遺伝的な特性が覚醒したものだったなんて。
『私がマインド・シンクを開発していく過程で、君の父親の能力も徐々に強くなっていった。システムが社会に浸透するにつれ、それに対抗するかのように能力が発現した。そして君の世代では、その能力はさらに強力に受け継がれている』
『この研究所には、マインド・シンクの中央システムにアクセスできるバックドアが仕込まれている。君の能力と組み合わせることで、システムの強制機能のみを破壊することが可能だ』
美月が興奮したように声を上げた。
「これよ! これがあれば、プロジェクト・ハーモニーを阻止できる」
『ただし、警告する。この作戦は極めて危険だ。君の能力に過度な負荷がかかり、最悪の場合……』
ホログラムが一瞬途切れた。
『それでも、君が人類の自由のために戦うと決めたなら、私は君を誇りに思う』
メッセージが終わると、研究所の各所から機械音が響いた。システムが起動し始めたのだ。
美月がメインコンピューターを操作すると、巨大なスクリーンにマインド・シンクのシステム構造図が表示された。
「これが全国のマインド・シンクネットワークの全体図。中央制御システムから、全国民のチップに指令が送信される仕組み」
ユウトは図を見つめながら問いかけた。
「でも、どうやって僕の能力でシステムを破壊するんだ?」
「お祖父さんの設計では、あなたの感情操作能力を増幅する装置がここに組み込まれている」
美月が指差したのは、中央の球状装置だった。
「この増幅器を使えば、あなたの能力を全国に拡散できる。一度に数千万人の感情に働きかけることも可能」
「数千万人……?」
ユウトは恐怖を覚えた。これまでせいぜい50人が限界だったのに、そんな規模の能力を使ったら、自分の体は持つのだろうか。
その時、研究所のあちこちから電子音が鳴り響いた。
「何?」
美月がコンピューターを確認すると、顔色が変わった。
「まずい。政府の追跡チームが、この施設を発見した」
スクリーンに映し出されたのは、研究所の上部に展開する政府の特殊部隊だった。黒い装備に身を固めた20名ほどの兵士が、地下への侵入を開始している。
「時間がない。今すぐ作戦を実行しなければ」
しかし、その時だった。研究所の通信システムに、懐かしい声が響いた。
「ユウト! 聞こえるか!」
田島の声だった。
「田島……?」
「俺たちも来たぞ! お前を一人で戦わせるかよ」
スクリーンに映ったのは、クラスメイトたちの顔だった。田島、小林、佐藤、そして他にも数名の同級生が映っている。
美月が驚いて声を上げた。
「どうして彼らが……?」
田島の声が続いた。
「ユウトが俺たちにしてくれたこと、覚えてるぞ。あの時、お前が俺たちの感情を『治して』くれた。おかげで、システムの完全な制御から逃れることができたんだ」
小林も画面に現れた。
「俺たちはもう『従順モード』の人形じゃない。自分の意志で考え、行動できる」
佐藤の顔も見えた。以前美月をいじめていた彼が、今は真剣な表情で画面を見つめている。
「ユウト、お前のおかげで、俺は本当の自分を取り戻せた。今度は俺たちがお前を守る番だ」
ユウトの目に涙が浮かんだ。
「みんな……」
田島が続けた。
「俺たちが政府の特殊部隊を食い止める。その間に、お前は作戦を実行しろ」
美月がコンソールを操作しながら叫んだ。
「でも、危険すぎる! 政府の兵士たちは本物のプロよ」
田島の声に決意が込もっていた。
「それでもやる。これは俺たちの戦争でもある。自分の感情を、自分の人生を取り戻すための戦いだ」
スクリーンに映る同級生たちが、一斉に頷いた。
ユウトは立ち上がった。
「分かった。みんなの気持ちに応える」
彼は中央の球状装置に向かって歩き始めた。
「僕が全国のシステムをハッキングする。みんなを本当の自由にしてみせる」
美月が最終的な作戦計画をユウトに説明した。
「三段階作戦よ。まず第一段階で、お母さんを救出する。クラスメイトたちが陽動作戦を行い、政府の注意を引きつける」
ユウトは頷いた。母親の救出が最優先だった。
「第二段階では、あなたがこの増幅装置を使って、全国のマインド・シンクシステムの中枢に侵入する。サイバー空間での戦いになる」
「そして第三段階?」
「プロジェクト・ハーモニーの完全阻止。全国民のチップから強制機能だけを除去する。人々は自分の感情を取り戻すけど、医療用途などの有益な機能は残る」
ユウトは深く息を吸った。
「リスクは?」
美月の表情が曇った。
「あなたの能力に致命的な負荷がかかる可能性がある。最悪の場合、二度と感情を読み取れなくなるかもしれない。それでも……」
「やる」
ユウトは迷わず答えた。
「僕の能力なんて、みんなの自由に比べたら小さなことだ」
美月が彼の手を握った。
「私も一緒に戦う。父を止めるのも私の責任」
地上からは爆発音が聞こえてきた。クラスメイトたちと政府軍の戦闘が始まったのだ。
ユウトは球状装置に手を当てた。機械が彼の生体反応に反応し、淡い光を放ち始める。
「行くぞ」
彼らの最後の戦いが、今始まろうとしていた。
自由のために。本当の自分でいる権利のために。
そして、愛する人たちのために。




