第82話 Observatory
一瞬だけ俺と村雨さんは警戒レベルを引き上げたが、少し先に見える生存者たちは敵対の意思はなさそうだった。
89式を持つ手の力を少しだけ抜いて、生存者たちへとゆっくり近付いていく。
大きな声を出さなくとも、会話できる距離まで接近すると彼らのほうから声を掛けて来た。
「その恰好、あんたら自衛隊かっ?!」
俺は沈黙を保ち、隣にいる村雨さんが答える。
「はい」
目の前にいる40代と50代と思われる男性2人はその短い返答を聞いて、ほっとしたような表情になった。
「助かった、ようやく来てくれたんですね」
「しっかし、2人だけとは…先遣隊ですか?」
まあ、そう思うよな。彼らからすればようやくやって来た救いの手に見えるんだから。
「私は自衛官ですが、今すぐに救助が来るわけではありません」
村雨さんは希望を抱いていた2人の男性に向かって、ぴしゃりと言い放ち、言葉を続けた。
「残念ながら、本格的な救助は来年の春先を予定しています」
その言葉を聞いて、目の前にいる男性たちは唖然とした。そして、その言葉の意味を理解すると2つの反応が返って来た。
「…そ、そんな、来年の春先って半年以上先じゃないか…」
「クソ、ふざけるな…!どうしてそんなに時間が掛かるんだ!」
1人が村雨さんに掴みかかるような勢いで接近してきたため、俺は2人の間に身体を移動させる。
「な、なんだお前は…自衛官じゃなさそうだが…」
「少し落ち着いてください。あなたは現状をどこまで理解していますか?」
「なんだと?」
訝し気な顔をする男に、俺の後ろにいる村雨さんが説明を始める。
「落ち着いて聞いてください。残念ながらこの災害は日本全土、いえ全世界で起こっているんです。既に日本は政府機能を喪失し、自衛隊は独自に行動している状況です。我々は東京から来ましたが、あそこにはもう生存者はほとんどいないでしょう」
「な、なんだ…って…そ、そんな馬鹿な…」
やはり現状がどうなっているかを正確に理解していなかったらしい。この世界は、既に秩序を失い、人類存亡の危機に瀕している。
「来年の春先まで、何とか持ち堪えてください。私が言えるのはそれだけです…」
村雨さんがうなだれている2人の男性に声を掛ける。そしてそれを聞いた1人がハッとした顔で口を開く。
「そ、それだけって、あんた俺たちを助けてくれるんじゃないのか!?」
「残念ですが、私の任務は生存者を脅かす組織を壊滅させることです。この未曾有の災害を引き起こしたと思われる者たちは、自分たち以外の全ての人間を標的としています」
「あ、あのゾンビたちはバイオテロの仕業だったのか…それで、あんたらはテロリストを追っているのか?」
「はい。昨日か一昨日、この辺りを複数の車両が通りませんでしたか?」
男たちは顔を見合わせるが、すぐに首を横に振った。
「白服でぞろぞろとやって来る連中がいたら警戒してください。おそらく団体行動している場合はそのような格好で統一しているはずです」
俺はそう忠告して、歩き始める。これ以上、構っている暇はない。
村雨さんも軽く頭を下げて、俺に続いて歩き出す。
「お、おい、本当に何もしてくれないってのかよ…」
「クソ、来年の春だとぉ?冬越えなんてできるわけないだろ!」
後ろで声を荒げる2人に、俺は振り返って応える。
「今のうちに物資を探しに行くといいですよ。1カ月で店舗からの収奪はかなり進んでると思いますが、まだ食料や燃料は集められるはずです」
「あのなぁ…市街地はゾンビだらけなんだぞ、俺たちだけで行けるわけがないだろ…?」
「そうだ、あんたらみたいに俺たちは銃なんて持っちゃいないんだ!」
まあ、そうだろうな。だがいちいち生存者を全員助けていては時間がいくらあっても足りはしない。俺は元凶を追わなければならないのだから。
「とにかく来年の春まで生き延びることを考えてください」
「ちっ、クソ。そもそもお前は何者なんだ!自衛官じゃないならその銃を寄こせ!!」
1人が激昂して俺に、いや89式を奪おうと手を伸ばして来た。
腰に掛けたマチェーテを引き抜こうとした瞬間、横から村雨さんが割り込んで来た。手を伸ばして来た男の腕を真横から掴む。
腕を掴まれた男は村雨さんの予想外の力の強さに驚いたのか、すぐに彼女の手を振り払って数歩ほど後退した。
俺はゆっくりとマチェーテを鞘から引き抜いて、男たちに切先を向ける。
「欲しいなら、力尽くで取ってみろ。次は殺す」
男たちは俺と村雨さんを交互に見て、分が悪いと判断したのかそのまま数歩ほど後退って、踵を返して立ち去っていく。
「これからは生存者も脅威になるかもしれないですね、なるべく接触は避けていきましょう」
俺の提案に、立ち去っていく男たちを見ていた村雨さんは頷いて、広域農道を歩き始める。
既に影が伸び始める時間だが、日没まではまだ1時間ほどある。
そのまま盆地の縁を進むように俺たちは進んでいく。
道路沿いには相も変わらず農地と住宅が点々と続いており、生存者も感染者も見当たらない。
アウトブレイクから1カ月、そろそろ自宅で避難生活を続けている人たちも限界が近いだろう。おかげで感染者も少ないのが救いかもしれない。
生存者との遭遇から1時間。盆地を包む山々に太陽が隠れ始めて急速に周囲が暗くなっていく。
俺たちは日が暮れる前に、目的地としていた牛奥見みはらしの丘に到着した。この場所は甲府盆地の東部を広く見渡せる高台になっている。
日が暮れて夜の闇が訪れれば、生存者や元凶たちが使う光源を発見できる可能性が高い。
EMPがこの山梨にどれほどの影響を及ぼしているかは不明だが、確かなのはアウトブレイク前の煌々と輝く夜景を見ることはできないということだろう。




