決勝レース・平地走
「返す返すも、スタートのミスが痛かったですわね」
「どうしてですか? 格好良かったですよ、ウェントスとサイちゃん! こう、ぴょーんって跳んで!」
「ミスのリカバリーとしては良かったと思うけどさ。やっぱり体力の消耗がね……」
観客は大いに沸いたが、本来なら体力の消耗を抑えて堅実にハードルを越えた方がいいに決まっている。
序盤で削れたスタミナが、そのまま最終的な結果に繋がってしまった。
あの場面ではああしなければもっと低い順位に落ち着いていた可能性も高いので、全ては結果論に過ぎないが。
「にしても、サイネリアちゃんにしては思い切った行動だったな。驚いた」
「ですね。サイってば慎重派だから、ああいう場面ではもっともたつきそうなのに……それだけ集中しているのかも」
「そっか。スタート以外は事前に話し合って決めた作戦通りに動いてくれていただけに、悔しい結果だな……」
ハクアとライジンに関しては、予選で見せた走りよりもかなり上方修正をかけたデータを元にしたのだが。
それでも相手の走りが上回ったのだから、あそこまで育て上げたことを素直に称賛する外ない。
「ハインド、サイネリアたちに優勝の可能性は残されているのか?」
「総合優勝か? 総合優勝は確か二戦の順位とタイムを加味して算出されるから、サイネリアちゃんとウェントスの場合――」
「理屈はいい! 結論をくれ!」
「ウェントスが1位、そして障害物走1位だったハクアが2位になったと仮定すると、大体一馬身くらいの差をつけて勝てば可能性があるはずだ」
「むっ……」
ユーミルが黙り込む。
他のみんなも同様で、それだけハクアに一馬身差つけて勝利することの難しさを感じているようだ。
比較的差が出やすい障害物走よりも平地走のタイム差の方が重いとはいえ、今のレースで3位だったことを考えるとそれくらいは必要となる。
「鼻先程度の差では負けでござるかぁ」
「問題ない! ウェントスとサイネリアを信じろ!」
「あら、悲観することはありませんわよ。ねぇ、ハインド?」
「え、何かあるんですか? 師匠」
ヘルシャの意味ありげな視線に、ワルターが不思議そうな顔をする。
「ああ、ちゃんと勝てる可能性はあるよ。ウェントスは親に似て、中々にやんちゃなステータスしているからな。それを活かす戦術もリィズ、セレーネさんと一緒にサイネリアちゃんと話し合ってある」
「おおっ!」
「かなり我慢の必要な戦術だけどね……」
「サイネリアさんが勝気に逸るウェントスをいかに抑えるか、にかかっています」
セレーネさん、リィズが競技場内中央を見ながらそれぞれ心配そうに一人と一頭を見つめる。
それに答えたのは、それまで沈黙を保っていたカームさんで……。
「大丈夫ですよ」
「カームさん?」
「大丈夫です。あの様子を見ていればそれが分かります」
二面あるレース場がこちら側になったことで、出場者たちの姿が先程よりもよく見える。
レーン内、緊張気味で足踏みするウェントスをサイネリアちゃんがそっと撫でていく。
すると再び皇帝が現れる前に、ウェントスは平静さを取り戻して小さく体を振った。
「……そうですね。後はもう本当に、俺たちにできることは一つ」
「応援だな!? では――」
『いよいよであるな、諸君!』
メガホン越しに叫ぼうとしたユーミルの声を遮るように、皇帝が転移魔法でスタート地点に現れる。
ユーミルがそれに驚き、俺のほうにメガホンを向けて息をぽひゅーと吐いた。
『泣いても笑ってもこれが最後となる。観客の皆は、一瞬の勝負を目に焼き付けよ! 参加者の皆は――』
言葉を切って皇帝が拳を振り上げる。
火魔法がその拳の中で滾っているのがここからでも見えた。
『一陣の風となりて駆けよ!』
宣言と共に拳を振り下ろすと、炎が左右に割れてスタートラインをなぞる。
皇帝が転移魔法によって去ると同時にレーンが開き、各馬が一斉に走り出した。
「で、では気を取り直して今度こそ! ウェントス、サイネリアー!」
「サイちゃぁぁぁん! ファイトぉぉぉ!」
息を一杯に吸い込んだ二人が、周囲の誰よりも大きく応援の声を上げる。
他のメンバーは控えめに……。
というのも、勝負をかけるタイミングはまだまだ先である。
終盤までは障害物走序盤のように、足を残すために我慢しなければならない。
「ハインド殿、確か決勝レースのみ――」
「ああ。予選では一周だったトラックを三周するから、スタミナ管理が難しいぞ。とはいえサイネリアちゃんは、例の練習コースで何度も練習してある」
必ず決勝に残るという意志を持って練習に臨んでいたので、それが報われることを祈るのみである。
一周目、全体の20位程度で走るウェントスはサイネリアちゃんの心を読み取ったかのように大人しい。
あの活発なウェントスが力をセーブしながら走る姿に、俺としては少しこみ上げてくるものがある。
二周目、飛ばし過ぎて脱落していく馬を躱しながらウェントスがその時を待つ。
バテた馬が大減速したことで、順位は15位前後にまで上がった。
「さあ、いよいよ三周目……」
「あっ……サイネリアちゃんが鞭を握り直した!」
セレーネさんがそう発言した直後、三週目のラインを越えたところでサイネリアちゃんは動いた。
ピシャッと鼓舞するように叩いた鞭に応え、この時を待っていたと言わんばかりに即座にウェントスの身が沈み込む。
「――加速が始まりましたわ!」
思わず、といった様子でヘルシャがその場で立ち上がる。
ウェントスの最大の長所は、駿馬としては破格の最高速度にある。
ただし加速に関しては並の駿馬と変わらないので、それ相応の距離と残存スタミナが必須だ。
大会参加時のステータス評価によるところのSランクであるそれを活かすために、ここまでサイネリアちゃんとウェントスは必死に抑えた走りをしてきた。
――そして最後の周回、息の長い加速が始まる。
「うぉぉぉぉぉ! 行っけぇぇぇぇぇ!」
「抜いた! あ、また! そ、そのまま行っちゃえぇぇぇ!」
「「「行けぇぇぇ!!」」」
普段は叫ばないようなメンバーまで、手に持った太鼓とチアバルーンを叩きながら一緒になって声を上げる。
過熱気味で応援する俺たちに呼応するように、サイネリアちゃんとウェントスは低い姿勢でグイグイ加速していく。
――わっと歓声が上がり、周囲の観客たちも総立ちとなる。
ウェントスが身を捩るように前へ、前へと加速。
一頭、また一頭と前方の馬を捉え、瞬く間に順位が駆け上がっていく。
加速は全く衰えることなく続いて行き……。
やがて最終コーナーの立ち上がりで、先頭争いをしていたハクアとライジンを捉えた。
「「「――ッ、――ッ!!」」」
もはや自分の声の確認すら難しいほどの大歓声と共に、必死に叫ぶ。
力強く地面を蹴りつけて走る三頭が、最後の直線で横並びとなる。
後方から猛烈な追い上げを見せたウェントスの加速は、衰えることなく――
「!!」
騎手であるサイネリアちゃんが振り落とされそうになるほどの速度を保ったまま、真っ先にゴールラインを駆け抜けた。
その光景に一瞬静まり返る場内だったが、次の瞬間……。
再び爆発的な大歓声に包まれた。
「うおぉぉぉぉ!」
「うあぁぁぁぁ!」
長い距離を走った後、ようやく速度を落とし始めるウェントスを見ながら俺はユーミルと抱き合った。
「――!? それは駄目です! あ、でも私にもしてくれたら許します」
「ぬおっ!? あ、い、今、私はハインドと抱き合って……!?」
「許しますっていうか、もう自分から抱きついてるじゃないか。リィズ……」
リィズに突き飛ばされたことで少し冷静になった俺とユーミルは、その場で他のメンバー全員とハイタッチなどを交わして喜びを分かち合った。
そしてそのハイタッチの交換に、ヘルシャがやけに感動していたことは言うまでもない。