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Episode3、悪評の始まり。

 腰抜け。


 臆病者。


 魔王討伐戦から逃げ出し、迷宮に身を隠した卑怯者。


 かつて羨望の眼差しを向けていた者たちが、今では口を揃えてそう罵った。


 返ってくる言葉は、非難ばかり。


 誰もが英雄の誕生に沸き立つ中、クイだけが、その輪から取り残されていた。


 無理もない。


 クイには、魔王討伐戦への正式な招集が掛かっていたのだから。


 レベル90を超える冒険者。


 その実力は、魔王との決戦においても大きな戦力となるはずだった。


 しかし、クイが迷宮へ足を踏み入れてから、既に一週間以上が経過していた。


 その間、彼は一度たりとも地上へ戻っていない。


 いや、戻れなかったのだ。


 未知の異形との死闘。


 これまで数多の迷宮を攻略し、数え切れないほどの魔物を討伐してきたクイでさえ、経験したことのない戦いだった。


 持てる技術を尽くし、あらゆる手段を試し、それでもなお追い詰められる。


 人生で初めて、文字どおり全てを出し切った。


 そして、ようやく生きて帰った先で待っていたのが、称賛ではなく罵声だった。


  何と戦い、どれほどの死線を越えてきたのかも。


 世間が知っているのは、ただ一つ。


 魔王討伐戦に、クイが姿を現さなかったという事実だけである。


 本来であれば、冒険者資格を剥奪されてもおかしくない重大な事態だった。


 それほどまでに、今回の招集は重い意味を持っていたのである。


 当然、クイも黙って非難を受け入れたわけではなかった。


 迷宮で何が起きたのか。


 どのような魔物と遭遇し、なぜ魔王討伐戦に参加できなかったのか。


 その一部始終を、冒険者協会へと申し立てたのである。


 さらに、迷宮から逃れた冒険者たちの証言も提出されていた。


 しかし、それらを踏まえた協会側の見解は、あまりにも冷ややかなものだった。


「……ですが、貴方は【運搬者(キャリーマン)】ですよね?」


 机を挟んだ向こう側。


 協会職員は書類に目を落としたまま、淡々と言葉を続ける。


「それほどの実力をお持ちなら、通常の迷宮攻略で苦戦するはずがありませんよね?」


「いや……でも! 本当に、今まで見たこともない魔物だったんです!」


 クイは身を乗り出した。


「あいつには、ほとんどのスキルが通用しなかった! それに……レベルだって未知数だったんですよ!」


「……未知数、ですか?」


「は、はい!」


 この世界には、対象の能力を読み取る【スキル】が存在する。


 その名も、【探知(スキャン)】。


 魔物や人間のレベルをはじめ、ステータスを解析することができる、冒険者にとって極めて重要な能力だ。


 もちろん、探知を妨害する手段も存在する。


 だが、レベル92を超えるほどの冒険者ともなれば、そうした妨害に対抗するスキルを備えていることも珍しくない。


 当然、レベル92に到達していたクイも、その一人だった。


 にもかかわらず、あの黒い魔物の能力は読み取れなかった。


 それが何を意味するのか。


 クイ自身、理解していた。


 通常では考えられないほどの、圧倒的な実力差。


 あるいは、魔王に匹敵するほどの存在。


 それほどの相手でなければ、説明がつかない。


「……未知数、ねぇ」


 職員は小さく呟き、ようやく書類から顔を上げた。


「……はい!」


「あのですね、クイさん」


 その声には、呆れにも似た響きが混じっていた。


「貴方のレベルで、未知数なんて有り得ないんですよ」


「…………え?」


「レベル92ですよ? それがどういう意味か、ご自分でも理解されていますよね?」


 クイは言葉に詰まった。


 理解している。


 だからこそ、必死に説明しているのだ。


 しかし、目の前の職員には、その異常さがまるで伝わっていなかった。


「第一、貴方には魔王討伐戦への招集命令が出ていたはずです」


「…………」


 クイは口を閉ざした。


 それは紛れもない事実だった。


 魔王討伐戦への参加を命じられていたにもかかわらず、結果として、その責務を果たせなかった。


「貴方ほどの実力者であれば、通常の迷宮攻略など、一日も掛からずに終えられるはずです。違いますか?」


「それは……」


 否定できなかった。


 実際、これまでの迷宮攻略で、一週間以上も足止めを食らったことなど一度もない。


 ましてや、魔王討伐戦を控えた重要な時期だ。


 協会が問題視するのも、理解できないわけではなかった。


「クイさん。運搬者(キャリーマン)という職業が、なぜ協会から認可を受けた者にしか許されていないのか、お分かりですよね?」


「……はい」


「実力、知識、経験、そして判断力。これら全てを兼ね備えているからこそ、協会は貴方たちに依頼人の命を預けることを認めているのです」


 職員は机の上に置かれた報告書を指先で揃えた。


「そのどれか一つでも欠けていれば、依頼人の命を危険に晒すばかりか、協会そのものの信用にも関わります」


「…………」


「今回の件も同じです」


 淡々とした声が、静かな室内に響く。


「未知の魔物に遭遇したというのであれば、なおさらです。事前の情報収集、危険の予測、撤退の判断。そうした対応を含めて、運搬者(キャリーマン)の責任なのですから」


 クイは膝の上で拳を握り締めた。


 逃げることができたなら、とっくに逃げていた。


 依頼人を守りながら、あの化け物から撤退することなど不可能だった。


 そう言い返したかった。


 だが、職員の言葉を遮ることはできなかった。


「つまり、今回の事態を招いたのは、貴方自身の責任なんですよ」


「…………っ」


 何も言い返せなかった。


 命懸けで戦った。


 依頼人も守った。


 それでも、結果として魔王討伐戦には参加できなかった。


 その事実だけは、どう足掻いても覆せない。


 ――依頼を受けなければよかった。


 結局のところ、その一言に尽きた。


 魔王討伐戦まで、残り一週間。


 転移を使えば、決戦の場へ合流することなど造作もない。


 迷宮攻略を終えてから向かったとしても、十分に間に合う。


 そう考えていた。


 実際、これまでの経験からすれば、決して無謀な判断ではなかったはずだ。


 だが、それはあくまで、何事もなく攻略を終えられた場合の話である。


 未知の魔物。


 通用しないスキル。


 そして、一週間以上にも及んだ死闘。


 そんな事態に陥る可能性を、クイは考えていなかった。


 いや、考えるべきだったのだ。


 どれほど実力に自信があろうと、迷宮では何が起こるか分からない。


 それを誰よりも理解しているはずの自分が、期限の迫った重要な任務を前に、別の依頼を引き受けてしまった。


 依頼人を守ったことに、後悔はない。


 あの場で戦わなければ、彼らは間違いなく命を落としていただろう。


 だが――。


(……最初から、受けなければよかったんだ)


 クイは俯いた。


 どれほど言葉を尽くそうと、魔王討伐戦に参加できなかった事実は変わらない。


 そして、その原因を作ったのは、他でもない自分自身だった。


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