Episode1、|運搬者《キャリーマン》。
冒険者クイ。
この世界には、個人の強さを示す明確な指標が存在する。
それが、【レベル】という概念だ。
魔物を討伐し、経験を積み重ねることで上昇する数値であり、冒険者にとっては実力を示す何よりの証でもある。
そして、この男のレベルは――95。
冒険者の中でも指折り、などという生易しいものではない。
世界屈指の実力者。
それが、クイという男の正体であった。
そんな冒険者たちを取り巻く世界は、かつてないほどの平穏を迎えていた。
今から六年前。
世界を恐怖のどん底へと陥れた魔王が、異世界より召喚された【転生勇者】の手によって討ち滅ぼされたのである。
人類を脅かしていた最大の脅威は去り、長きにわたる戦いは終結した。
しかし、だからといって冒険者という職業が廃れたわけではない。
むしろ、その逆だった。
世界各地には、今なお無数の迷宮が存在している。
迷宮は突如として現れ、攻略されれば消滅する。そして、また別の場所に新たな迷宮が出現する。
その終わりなき循環によって、冒険者たちが仕事に困ることはなかった。
未発見の財宝。
未知なる強敵。
そして、己の限界を超えた先に待つ、さらなる高み。
迷宮には、冒険者たちを惹きつけてやまない魅力が詰まっている。
さらに、レベルを上げることには、もう一つ大きな利点があった。
それは、将来の生活が保障されやすくなるということだ。
高レベルの冒険者ともなれば、その実力を必要とする仕事はいくらでもある。
仮に冒険者を引退したとしても、相応の地位や収入を得ることは難しくない。
つまり、この世界においてレベルとは、単なる強さの指標ではない。
人生そのものを左右する、極めて重要な価値なのである。
だが、冒険者という職業は、決して甘いものではない。
富や名声、華々しい成功。
人々を惹きつける魅力の裏には、常に死の危険が潜んでいる。
どれほど腕に覚えがあろうと、たった一度の判断ミスが命取りになる。それが迷宮という場所だ。
6年前、魔王が討伐されたことで、世界には平穏が訪れた。
しかし、その平穏とは裏腹に、ある深刻な問題が浮き彫りになっていた。
新米冒険者の死亡者数が、年々増加しているのである。
理由は至って単純だった。
知識と経験の不足。
迷宮に潜む魔物の生態も知らず、危険な階層の見極めすらできないまま、目先の報酬に釣られて足を踏み入れる。
そして、帰らぬ人となる。
そんな新米冒険者が後を絶たなかった。
もちろん、仲間を募り、パーティーを結成するという手段もある。
だが、それで安全が保障されるわけではない。
実力差を理由に不当に高い報酬を要求されることもあれば、経験の浅さにつけ込まれ、騙される者もいる。
迷宮の中だけが危険なのではない。
時には、同じ冒険者でさえ警戒しなければならないのだ。
夢を追って迷宮へ挑み、その夢を叶えることなく命を落とす。
それが、この世界における冒険者の現実であった。
しかし、そんな冒険者たちの悩みを解決してくれる職業が存在する。
その名も、【|運搬者《キャリーマン》】。
経験の浅い冒険者を迷宮へと導き、レベル上げを支援することを生業とする、冒険者の専門職である。
もっとも、誰もが簡単に名乗れる職業ではない。
運搬者として活動するには、全ての冒険者を統括する冒険者協会から、正式な認可を受けなければならない。
その資格を得られるのは、名の知れた冒険者ギルドや、数々の実績を積み重ねてきた熟練の冒険者に限られる。
なにしろ、依頼人の命を預かる仕事だ。
迷宮の構造を把握する知識、魔物への対処能力、そして不測の事態にも対応できる実力。
そのどれが欠けても務まらない。
運搬者の仕事は、至って明快である。
依頼人を目的の迷宮へと連れて行き、安全を確保しながらレベル上げを手助けする。
そして、依頼人の成長に貢献すればするほど、その実績は評価され、運搬者としての名声も高まっていく。
当然、実績のある運搬者ほど依頼が集まり、報酬も高額になる。
実力と信用さえあれば、莫大な富を築くことも夢ではない。
つまり、運搬者とは――。
冒険者を育てながら、自らも大金を稼げる職業なのである。
そんな運搬者たちには、一般の冒険者とは一線を画す待遇が用意されている。
その一つが、冒険者酒場に設けられた専用スペースだ。
腕利きの運搬者ともなれば、依頼を求める冒険者たちが列を成すことも珍しくない。
酒場には運搬者の実績や依頼条件が記された専用の掲示板が設置されており、冒険者たちはそれを参考に、自分に合った運搬者を選ぶ仕組みとなっている。
まさに、選ばれた者だけに許された破格の待遇である。
ところが――。
ポツーーーン……。
「…………」
賑やかな酒場の片隅。
そこには、黒い重厚な鎧を身に纏った一人の男が、ぽつんと腰掛けていた。
冒険者クイ。
レベル95を誇る、世界屈指の実力者である。
にもかかわらず、彼の周囲には誰一人として近寄ろうとしない。
他の運搬者たちが依頼人と談笑し、次々と仕事を取り付けていく中、クイだけは相変わらずの閑古鳥。
「…………」
ちらりと周囲を見渡す。
目が合いそうになった冒険者が、慌てて視線を逸らした。
クイは何事もなかったように正面へ向き直る。
……今日も、暇だった。
さて、そんな彼が活動拠点としているのは、世界の西側を治める大国ウスラの管理下にある、ギナーという街だ。
この街は、周辺地域に出没する魔物が比較的少なく、街道の安全もある程度確保されている。
そのため、冒険者としての第一歩を踏み出すには、うってつけの環境だった。
実際、ギナーには多くの新米冒険者が集まり、日々迷宮攻略へと挑んでいる。
当然、彼らを支援する運搬者への需要も高い。
仕事に困ることなど、まずあり得ない土地柄である。
――本来ならば、だが。
「おい……見ろよ。またクイが残ってるぜ」
「ほんとだ。ったく、早くどっか行ってくんねぇかな……酒が不味くなる」
酒場の一角で、二人の冒険者が声を潜めていた。
時折、クイの方へと視線を向けては、嘲るように口元を歪めている。
もっとも、彼らが座っているのは、クイから十分に離れた席だ。
普通であれば、周囲の喧騒に紛れて聞こえるはずもない。
だが、あいにくクイは普通の冒険者ではなかった。
レベル95。
常人を遥かに凌駕する身体能力は、五感にまで及んでいる。
どれほど離れた席で囁かれようと、その声を拾うことなど造作もない。
そして、何より厄介なのが――。
「…………」
クイ自身、そうした会話が気になって仕方がないことだった。
聞かなければいい。
聞こえないふりをすればいい。
頭では分かっている。
それでも、自分の名前が聞こえてしまえば、つい耳を傾けてしまう。
今日こそは、少しぐらい良い話が聞けるかもしれない。
そんな淡い期待を抱いてしまうのだ。
「…………はぁ」
結局、聞こえてくるのは悪口ばかり。
クイは誰にも気付かれないよう、小さく肩を落とした。
魔物の咆哮にも怯まぬ男が、たった数人の陰口に打ちのめされていた。
(俺だって…)




