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Episode11、金迷宮。

 金の迷宮へと向かう道中。


 クイの少し後ろを歩くハミラとハナは、互いに顔を寄せ合っていた。


「ねぇ……本当に金の迷宮で良かったの? いくら報酬が1割だからって……」


 ハミラが声を潜めて尋ねる。


 その表情には、隠しきれない不安が浮かんでいた。


「だ、だって……まさか2つ返事で引き受けてくれるなんて思わなかったんだもん……」


 ハナも困ったように眉を下げる。


 そもそも、金の迷宮は新米冒険者が気軽に挑める場所ではない。


 経験豊富な運搬者でさえ、複数人で挑むことがあるほどの危険地帯だ。


 それを、たった1人で引き受けるというのだから、不安になるのも無理はなかった。


「金の迷宮ってさ……運搬者が何人かで挑むような場所だよね?」


「う、うん……」


「……本当に、あの人1人で大丈夫なのかなぁ」


 2人はちらりと前方へ視線を向けた。


 そこには、黒い重厚な鎧を身に纏い、何事もないように歩くクイの背中があった。


 迷宮へ向かっているというのに、緊張した様子は微塵もない。


 むしろ、散歩にでも出掛けるかのような足取りだった。


「ま、まぁ……報酬は1割だし……」


 ハナが自分に言い聞かせるように呟く。


「ヤバくなったら、逃げよう……」


「……うん、そうしよう」


 2人は小さく頷き合った。


 しかし、そんな会話を交わしている時点で、彼女たちはまだ金の迷宮の恐ろしさを理解していなかった。


 危険になってから逃げればいい。


 そんな悠長な判断が許される場所ではないのだから。


 ーーーー


 ――1階層。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……!」


 荒い呼吸が、迷宮内に響いていた。


 ハミラは地面にへたり込み、全身を小刻みに震わせていた。


 髪も、顔も、衣服も。


 その全てが、黄色く粘ついた液体にまみれている。


 頬を伝う生温かい液体が顎先から滴り落ちても、拭うことすらできなかった。


 目は大きく見開かれ、焦点が定まらない。


 胸が激しく上下し、息を吸おうとするたびに喉が引きつる。


「はっ……あっ……はぁっ……!」


「ハミラ……! ねぇ、しっかりして! ハミラッ!!」


 隣では、ハナが必死に肩を揺さぶっていた。


 だが、返事はない。


 ハミラは何かを訴えようと口を開くものの、漏れるのは途切れ途切れの呼吸ばかりだった。


「ねぇ……お願い、返事してよ……!」


 ハナの声も震えている。


 目の前で何が起きたのか。


 頭では理解しているはずなのに、現実として受け止められない。


「ちょ……何なの……これ……」


 ハナは顔を上げた。


 そして、息を呑む。


 そこに広がっていたのは、まさしく地獄絵図だった。


 砕け散った紫色の甲殻。


 地面を濡らす黄色い体液。


 無残に切り裂かれた巨大な魔物の残骸が、至るところに転がっている。


 その中心で、黒い重厚な鎧を纏った男が剣を振るっていた。


 クイである。


 迫り来る魔物を、次々と斬り伏せていた。


 ――【瞬破蠍(ハイ・ストーカー)】。


 レベル91。


 全長2メートルにも及ぶ巨大な蠍型の魔物であり、全身を硬質な紫色の甲殻が覆っている。


 特に目を引くのは、獲物を捕らえるための巨大なハサミだ。


 ひとたび挟み込まれれば、生身の人間など容易く押し潰されてしまうだろう。


 そんな怪物が、金迷宮の1階層から出現していた。


 事の発端は、ほんのわずかな不注意だった。


 迷宮に足を踏み入れた直後。


 ハミラは、うっかりクイの前へ出てしまったのである。


 その瞬間だった。


 視界の端で、何かが動いた。


 そう認識した時には、既に遅かった。


 眼前いっぱいに広がる、巨大なハサミ。


 迫り来る紫色の甲殻。


 避ける。


 逃げる。


 助けを呼ぶ。


 そのどれもが、頭に浮かぶことすらなかった。


 ただ、理解してしまった。


 ーーー死。


 自分は今、死ぬのだと。


 生まれて初めて味わう、絶対的な死の恐怖だった。


 だが、次の瞬間。


 閃光のような剣閃が、ハミラの眼前を横切った。


 ズバァッ!!


 迫っていた巨大なハサミが、胴体ごと両断される。


 飛び散った黄色い体液が、ハミラの全身へと降り注いだ。


「…………っ」


 悲鳴すら出なかった。


 目の前には、剣を振り抜いたクイの背中。


 そして、左右に崩れ落ちる魔物の巨体。


 自分が助かったのだと理解するまでに、しばらく時間が必要だった。


 しかし、恐怖はそれだけでは終わらなかった。


 クイの戦闘は、なおも続いていたのである。


 巨大なハサミが振り下ろされる。


 クイはそれを難なく受け流し、返す刃で魔物の甲殻を断ち割る。


 別の個体が背後から襲いかかれば、振り向きざまに斬り伏せる。


 その動きには、一切の迷いがなかった。


 まるで、相手がどこから襲いかかり、どのように動くのか、全て分かっているかのようだった。


 だが、ハミラとハナにとっては違う。


 視界を横切る巨大なハサミ。


 耳をつんざく甲殻の破砕音。


 飛び散る体液と、地面に崩れ落ちる魔物の巨体。


 その全てが、恐怖を呼び起こす。


 クイが魔物を倒すたびに、2人は身を強張らせた。


 自分たちに攻撃が向けられているわけではない。


 身体には、傷1つ負っていない。


 それでも。


「……もう、やだ……」


 ハミラの唇から、か細い声が漏れた。


 目の前で繰り広げられる戦闘は、彼女たちの想像していた冒険とは、あまりにもかけ離れていた。


 肉体は無事でも、精神が耐えられない。


 レベル95のクイにとっては、ただの戦闘。


 しかし、レベル10の2人にとっては、生きた心地のしない地獄そのものだった。


 瞬破蠍(ハイ・ストーカー)。


 その名は、魔物図鑑にも記されている。


 しかし、実際に目撃した冒険者は極めて少なく、経験豊富な者でさえ、その存在を疑うほどの希少な魔物だった。


 理由は、その異常なまでの速度にある。


 瞬きする間に間合いを詰め、獲物の命を刈り取る。


 気配を察知した時には、既に巨大なハサミが眼前へ迫っている。


 回避する暇も、防御を固める余裕もない。


 ましてや、相手の動きを見極めてから対処するなど、並の冒険者には到底不可能だった。


 その姿を目にした者が、次の瞬間まで生きていられる保証はない。


 だからこそ、図鑑に記録されていながらも、その存在を疑われる。


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