Kill me……②
勇者と聖女を預かることになった翌日、俺は朝から憂鬱だった。
昨日のあれが、あまりにもひどかったからだ。助けるつもりで「もらい受ける」などと口走り、魔王さんには供物だと受け取られ、聖女のミラに至っては、俺たちの顔を見ただけで気を失った。何ひとつ伝わらないまま、ただ二人を怯えさせて一日が終わった。だから今日こそはきちんと話すのだと、俺は自分に言い聞かせていた。
魔王城で与えられた俺の部屋は、無駄に広い。黒い石壁に重たいカーテン、天蓋つきの寝台。元の世界のビジネスホテルとは比べものにならない上等さだが、その豪奢な部屋に猟奇グロのバンドマンが四人も車座になっていると、内装が余計に場違いに見えた。
「で、ここで話すのか」
ハヤトが椅子に浅く腰かけ、落ち着かなげに部屋を見回した。
「魔王さんたちの前じゃ話しづらいこともあるだろ」
「俺たちが別の世界から来た、って話?」
俺は黙って頷いた。本当は別の世界から来たただの人間であること、二人を傷つける気はないこと、それでも魔族には魔族の事情があること。そういう込み入った話は、勇者エレンと聖女ミラ、二人だけに、内々に聞かせたかった。
昨日連れてこられたとき、二人はあまりにもボロボロだった。だから魔王さんに頼んで、身を清めさせ、傷の手当てをし、まともな服を着せたうえで連れてきてもらうことにしていた。縄や枷も、逃げられない最低限でいい、できるだけ緩く、と念を押した。そのはずだった。
扉が叩かれ、魔族の侍女に伴われて二人が入ってきた瞬間、俺たちは全員、言葉を失った。
汚れは落ちている。髪も整えられ、傷も手当てされている。そこまではいい。問題は、二人が着せられていたものだった。白と黒の薄い布地に、金具と細い紐で飾りをあしらった、肌を隠すどころか強調するためとしか思えない仕立て。肩も脚も心許なく、胸元も腰まわりも布が足りていない。丁寧に整えられているぶん、かえって生々しい。その上、手首には手枷、足首には足枷が残されたままで、二人とも顔を真っ赤にして俯いている。
性奴隷、という言葉が頭をよぎって、俺は本気で天を仰ぎたくなった。違う。断じて、そういう意味で頼んだのではない。
「……レイジ」
ハヤトが、声だけで俺を責めてきた。
「俺は普通の服を頼んだ」
「じゃあ、なんでこうなってんだよ」
「知るか」
シンジが気まずそうに目を逸らし、シンイチが短く「まずいな」とだけ言う。本当に、まずかった。
エレンが唇を噛みしめ、こちらを睨んだまま肩を震わせた。
「やはり……そういうことか」
「違う」
「くっ……殺せ!」
「殺さないし、そういうことでもない」
何度この問答を繰り返すのか、自分でも嫌になる。ミラのほうはもう声も出せないようで、俯いたまま、白い肩を小さく震わせていた。怖がらせたくなくて場所まで用意したのに、何もかも裏目に出ている。
どうしたものかと言葉を探していると、シンジが一歩前に出た。こういうとき、シンジは存外うまく喋る。声は柔らかいし、人見知りもしない。場をほぐす役としては、メンバーで一番向いている。役割としては、間違っていなかった。
ただ、見た目が間違いすぎていた。
腐乱死体じみたメイク、額に突き刺さった太い釘、血の跡、手にはご丁寧に血糊のこびりついたドラムスティック。そんな男が、精いっぱい優しい声を作った。
「怖がらなくていいから。俺たち、そういうつもりじゃなくて――」
「ひっ」
ミラの喉から、引きつった悲鳴が漏れた。シンジが足を止める。
「あ、いや……近づかないほうがいい?」
ミラはもう答えるどころではなかった。震えだけが、見ているこちらが苦しくなるほど激しくなっていく。
そして、床にぽたりと音がした。
最初は水かと思った。だが、ミラの足元から薄く湯気が立っているのを見て、俺は察し、すぐに視線を逸らした。これはだめだ。完全に。恐怖に耐えきれなかったのだろう。彼女は、もう限界だったのだ。
エレンがそれに気づき、怒りと羞恥で顔を真っ赤にした。
「見るな!」
「見てない! ……誰も見るな!」
ハヤトが慌てて壁を向き、シンイチは最初から見ていない。シンジだけが両手を上げたまま固まった。
「俺、何もしてないよな?」
「何もしてないが、絵面が最悪だ」
もう、この場で話を続けるのは無理だった。俺は侍女に、二人をいったん戻してくれと頼み、魔王さんへの言伝を託した。
「俺たちが頼んだのは、こういう格好じゃない。普通の服だ。寒くなくて、恥ずかしくなくて、ちゃんと動ける服。拘束も最低限でいい」
「普通……でございますか」
侍女が、その言葉の意味を測りかねるように首をかしげた。
「捕虜としての?」
「人としての」
言ってから、しまったと思った。魔族の前で「人」という言葉をどう扱うべきか、まだ俺には分からない。だが侍女は気に留めた様子もなく、承知いたしました、と頭を下げた。
連れ出される間際、エレンが俺を睨んだ。
「今さら、善人ぶるつもりか」
「ぶってない。段取りを間違えただけだ」
「段取り……?」
「こっちの話だ」
ミラは最後まで、一度もこちらを見なかった。
二人が出ていき、部屋には俺たち四人だけが残された。ひどく重い沈黙だった。シンジが額の釘を押さえながら、ぽつりと呟く。
「……俺、優しく話しかけただけなんだけどな」
「分かってる」
「でも漏らされた」
「言うな」
「結構ショックなんだけど」
「言うなって」
ハヤトが両手で顔を覆った。
「これ、俺たちが保護してるんだよな?」
「そのはずだ」
「全然、そう見えないんだけど」
まったくその通りだった。シンイチが、低く言う。
「服からだな」
話し合い以前の問題だった。まず服。次に部屋。その次に、距離の取り方。四人で囲むのもよくないし、特にシンジは、悪いが一番後ろにいてもらったほうがいい。本人の人柄はともかく、頭に釘の刺さった大男が優しく近づいてくる時点で、誰だって怖いに決まっている。
俺は椅子に深く沈んで、長い息を吐いた。事情を説明する、たったそれだけのことが、どうしてこんなに難しいのか。魔王城に来てからというもの、俺たちはずっと誤解されっぱなしだ。魔族からは冥府の四候と崇められ、人間からは冥府の魔と恐れられ、そして俺たち自身は、帰り方も分からないまま、落ちないグロメイクを貼りつけた四十代のバンドマンとして、ただ右往左往しているだけだった。
「次、どうすんの」
ハヤトが聞いてきた。
「魔王さんに頼む。今度こそ、普通の服で、普通の部屋で、普通に話す」
「普通って、ずいぶん遠いな」
本当にその通りだった。この世界に来てから、普通はどんどん遠ざかっていく。それでも、やるしかない。俺は立ち上がった。
「行ってくる」
「ちゃんと説明してこいよ。普通の服って」
俺は部屋を出た。まずは魔王さんに、普通の服とは何かを説明しなければならない。異世界に来てから、これがいちばん難しい打ち合わせになりそうな気がした。




