戦のあと
戦が終わった。
いや、終わったというより勝手に終わってくれた、というほうが正しい。俺たちは音を鳴らしていただけで、あとは全部寝起きのギャルがやってのけた。三万の軍勢は一人も欠けることなく、ただ丘の向こうへ逃げ帰っていった。
あとに残されたのは、踏み荒らされた平原と、呆然と立ち尽くす魔族の軍。そして、大あくびをしている魔神が一人。
「ふわぁ……なんか、疲れた」
少女はその場にぺたんと座り込んだ。魔族の神が、地べたに。
「ねー、それより。約束、覚えてる?」
「約束?」
「音楽ぅ! 戦、終わらせてあげたじゃん。だから、もっと聴かせてって話。ほら、早く、早く!」
こいつの中では、戦の決着よりそっちが本題らしかった。
俺はステージを見下ろした。ハヤトもシンジもシンイチも、まだこの状況に頭が追いついていない顔をしている。無理もない。ついさっき、三万の軍勢と伝説の魔神を、同時に目にしたのだ。
「……レイジ」
ハヤトが、かすれた声で言った。
「これ、断ったらどうなると思う?」
「あの三万と同じ目に遭うんじゃないか」
「だよなあ」
結論はすぐに出た。
俺たちは、ステージの上で、あらためて楽器を構え直した。客はたった一人。だが、機嫌を損ねたら世界がどうにかなりかねない、最悪に厄介な客だ。
「よし。もう一曲いくぞ」
俺がそう言うと、少女はぱあっと顔を輝かせた。地べたに座ったまま、子どもみたいに足をばたつかせる。
「やった! じゃあ、さっきの! あの、うるさいやつ!」
「うるさいやつ、な」
シンジがカウントを取る。俺たちは、逃げ帰る軍勢の背中に向けて、二曲目を叩きつけた。魔神のアンコールに応えるという、前代未聞のライブだった。
♮ ♮ ♮
その日から、少女は当たり前のように魔王城に居ついた。
名前をラギというらしい。何百年だか何千年だか眠っていた魔神で、俺たちの音で目を覚まし、そのまま俺たちの音を気に入って離れなくなった。
魔族たちにとっては、大事件だった。伝承にしか出てこない魔神が実際に城にいる。しかも、四候の音に惹かれて顕現し、四候の言うことを聞いている。おかげで、俺たちへの信仰はまた一段、おかしな方向へ跳ね上がった。訂正するのはとっくに諦めていた。
もっとも、当のラギ本人は神らしいことは何一つしなかった。
毎日、俺たちに演奏をねだり、飯を食い、昼寝をして、また演奏をねだる。城の子どもらと転がって遊び、ロザリアの訓練を横から眺めては「ぬるいんだよなー」と好き放題に評する。威厳など、かけらもなかった。
だが、誰も文句は言えなかった。
なにしろ、あの三万の軍勢を指一本触れずに追い返した化け物だ。機嫌よくしていてもらうに越したことはない。城じゅうが、腫れ物に触るように、しかし妙に馴染んだ様子でこの自堕落な魔神を受け入れていた。
用心棒としては、これ以上ないほど頼もしい。手はかかるが。
♮ ♮ ♮
戦からしばらく経った頃。ロザリアが前線の報せを持って戻ってきた。
「人間側に、動きはありません」
どこか拍子抜けした声だった。
「あれ以来、国境の向こうへ退いたきりです。斥候によれば、聖王国は今、国内が相当に荒れているとか。『神に選ばれた我らが、なぜ魔族の邪神に敗れたのか』と。民が、教会に問いはじめているそうです」
俺は、なるほどと思った。
神の名のもとに攻めてきた連中が、魔族の神に無様に追い返された。しかも、その神は人間を一人も殺さなかった。穢れた魔族のはずが、神を連れ慈悲まで見せた。どちらが悪者か、民が疑いはじめるのも、無理はなかった。
「大神官は?」
エレンが口を挟んだ。
「あの男はどうしている」
「それが……表に出てこないそうです」
ロザリアの声がわずかに曇った。
「あれだけ戦を煽っていた男が、敗戦のあとはぴたりと沈黙している、と」
エレンの眉が寄った。
「……らしくないな。あの男なら、すぐに次の手を打ってくるはずだ。『邪神を退ける、新たな神託があった』とでも言って。それが、黙っている」
「考えてるんだろ」
俺は言った。
「次の手を」
エレンは北の空へ目をやった。その横顔から、この城に来た頃の追い詰められた色はもう消えていた。だが、警戒だけはまだ解いていなかった。
戦は終わった。今回の戦は。
だが戦争そのものが終わったわけではない。北のどこかで、あの男が次の絵図を描いている。それだけは確かだった。
まあ、それでも。
誰も死なずに済んだ。城には飯があって、間抜けな魔神が昼寝をして、俺たちの音を待つ客がいる。
先のことは、また先で考えればいい。
俺は、ギターを担ぎ直した。今日も、ラギのアンコールが待っている。




