伝染 PANDEMIC①
ことの起こりは、『Violate』だった。
あの英語詞が、魔族たちのあいだで「冥府の祝詞」ということになってしまってから、俺は、すっかり味を占めていた。歌詞の意味を、エレンとミラに知られたくない。だったら、英語で歌えばいい。意味が分からなければ、二人が青ざめることもない。
名案だと思った。だから、それからの定期ライブでは、英語詞の曲ばかりを選んで演奏した。
しばらくは、うまくいっていた。エレンもミラも、英語の歌詞には首をかしげるばかり。意味が分からないから、傷つきようがない。魔族は魔族で、いつも通り高揚して、勝手に強くなっていく。誰も損をしない、完璧な運用だと思っていた。
その副作用に気づいたのは、ある朝のことだった。
城を歩いていると、訓練場のほうから、威勢のいい声が聞こえてきた。魔族の兵士たちが、剣を打ち合いながら、声を張り上げている。
「fuckin'! キル・ユー!」
「いいぞ、もっとだ! キル・ミー!」
殺してやる、殺してくれ。それが、気合の掛け声になっていた。爽やかな汗とともに、物騒な言葉が、訓練場に飛び交っている。
嫌な予感がした。その予感は、的中した。
中庭では、子どもたちが輪になって、歌っていた。
「ノー・ゴッド! ノー・ライト! ノー・ゴッド! ノー・ライト!」
神はいない、光もない。それを、手をつないで、楽しげに合唱している。実に、のどかな光景だった。のどかな光景のはずだった。
厨房では、料理長が、配膳の魔族に指示を飛ばしていた。
「その皿は、あちらだ。fuckin' シット、急げ」
「シット! 承知!」
糞、糞、と言い合いながら、和やかに働いている。
城のどこへ行っても、この調子だった。すれ違う魔族の半分が、にこやかに、最低の言葉を口にしている。意味さえ知らなければ、さぞ、神聖な響きに聞こえるのだろう。
極めつけは、ザントだった。広間ですれ違いざま、宰相はそれはもう恭しく、俺に頭を下げて、こう言った。
「四候様。fuckin'、ご機嫌うるわしゅう」
俺は、天を仰いだ。
fuckin'。確かに、その単語は、うちの歌詞に、ないわけではない。だが、こんなに、そこらじゅうに溢れるほど、使った覚えはない。
元凶は、ハヤトだ。
あいつには、昔から、悪い癖がある。英語詞の曲をやっているとき、歌詞が飛ぶと、とっさに「fuckin'」で間を埋めるのだ。Aメロをど忘れすれば fuckin'、サビの入りをしくじれば fuckin'。本人は、それでロックに乗り切ったつもりでいる。おかげで、うちの英語の曲のライブ音源には、本来ありもしない場所に、やたらと fuckin' が生えている。
しかも、性質が悪いことに、あいつ、その一語だけは、妙に発音がいい。
歌詞は飛ぶくせに、間に合わせで放り込む fuckin' の、やけにこなれた響き。どこでそんな色気を仕込んだのか知らないが、肝心の歌詞は覚えられないくせに、その一語の発音だけは、二十年かけて、完璧に磨き上げていた。
だから、魔族たちが覚えた fuckin' も、無駄に発音がいい。ザントのそれも、妙に堂に入っていた。聞き取りやすいせいで、余計に、たちが悪い。
はあ。
俺は、ため息をついた。
部屋に戻ると、当のハヤトたちが、のんきに茶を飲んでいた。
「よお、レイジ。浮かない顔だな」
「お前ら、知ってるか。城のみんな、変な英語、覚えてるぞ。しかも、キルミーだの、シットだの、よりどりみどりだ」
「ああ、あれな」ハヤトが、けらけら笑った。「さっき、子どもに『fuckin'、あそぼ』って言われたわ。腰抜かすかと思った」
「笑い事じゃない。あの fuckin'、半分はお前のせいだからな」
「俺?」
「英語の曲で歌詞飛んだとき、いつも fuckin' で埋めてるだろうが。あれが、全部、伝染してんだよ。しかも、発音だけ無駄にいいから、綺麗にうつってる」
ハヤトは、しばらくきょとんとしてから、まんざらでもなさそうに、鼻の下を伸ばした。
「そりゃ、まあ。発音は、こだわってるからな」
「こだわってんの、fuckin' だけだろうが!」
ハヤトは、ばつが悪そうに、黙って茶をすすった。
シンジが、果物を齧りながら言った。
「でも、どうすんの、これ。城じゅう、あの調子だよ。俺、さっき廊下で、すれ違う魔族みんなに『キル・ミー』って言われたぞ。にこにこしながら。あれ、地味に、心にくるな……」
この世界の人間が聞いたところで、なんとも思わないだろう。英語なんて、この世界には存在しない言葉だ。魔族にとっても、ただのありがたい音の連なりでしかない。
困るのは、意味が分かる、俺たち四人だけなのだ。
にこにこした魔族に「殺してくれ」と挨拶され、子どもに「神はいない」と合唱され、宰相に最上級の敬意とともに「fuckin'」と頭を下げられる。その一つ一つの意味が、俺たちにだけは、はっきり分かってしまう。誰も悪気がないぶん、よけいに、こたえる。
「……精神的に、きついな」
シンイチが、静かに茶を置いて、ぼそりと言った。
「自業自得だ」
ぐうの音も出なかった。
俺が蒔いた種だった。半分は、ハヤトが撒いた種でもあったが、とにかく、うちのバンドが蒔いた種だ。意味を隠そうとした小細工が、城じゅうに伝染して、とんでもない形で戻ってきている。
なんとか、しなければならない。この、おかしな祝詞ブームを、終わらせる方法を。
俺は、頭を抱えたまま、知恵を絞りはじめた。




