2 陽編 おかえりなさいませ旦那様
馬車がギルフォード伯爵邸に着くと、
屋敷から使用人たちが数名迎え出る。
いつもと変わらない。
馬車から降り、侍女に荷物を預けた。
執事から、このひと月の報告を聞きながら
屋敷のへと向かう。
いつもと変わらない。
屋敷の広間に入る。
「おかえりなさいませ、旦那様」
・・・。
いつもと違う明るい声。
突然、朝日がさしてきたような声に
一瞬思考を巡らす。
そうだ、“妻”がいたのだった。
「ああ、君か」
それだけ言って、
足を止めることもなく通り過ぎた。
そしていつも通り、
まずは汗を流すために、浴室へ向かった。
湯船につかりながら、
目を閉じると、なぜか
「おかえりなさいませ 旦那様」
が、頭の中でもう一度流れた。
不思議だ。
聞きなれない明るい声に脳が反応したのだろうか。
風呂から出て一人で夕食をとる。
すると、
「せっかくですから」と
執事がソフィアの分も向かいに用意する。
通常の夕食にしては遅い時間だったが
ソフィアは
「お疲れのところ、ご一緒させていただいても
大丈夫でしょうか?」遠慮がちに聞いてきた。
視線も合わさずに
「別に構わない」
仕事の時も、昼食は仲間と食事をしているし・・
そう短く答える。
その後のソフィアは、
あまりしゃべらないように
気を付けている様子だったが、
侍女や執事が彼女ににこやかに話しかけ、
気を配っているのがわかる。
一か月で使用人と少しは仲良くなれたようだ。
使用人とうまくやれるのなら、
今後は何の問題もないだろう。
この契約はうまくいきそうだ。
そんなことを考えながら食事を終え、
今日は早めに部屋に入り休むこととした。
明日は久しぶりの休日だ。
翌朝。
一か月の連勤で疲れがたまっていたのか、
すこし遅くまでベッドでまどろんでいると、
庭の方から声が聞こえる。
『ナタリー、この辺にどうかしら?』
『きっと素敵よ!』
『そうそう』
『奥様。とてもいいアイデアですね』
『私たちも気分が明るくなります』
何やら屋敷の雰囲気が以前より明るい。
その時、
コンコン。
「お目覚めでしょうか。旦那様」
侍女長のベルだ。落ち着いた声で話す。
「今朝の朝食はこちらに準備いたしますか?」
ん?
そんな質問をされたのは初めてだ。
すぐに返事が頭に浮かばず、
“どうした?”
そんな顔をしていたのだろうか。
ベルはフレデリックの表情を見て
「奥様から、
旦那様はお疲れだろうから、お食事をお部屋で
召し上がられるようにしてはどうかと。
お声かけいただきまして・・・」
と安心感のある優しい笑みを浮かべる。
どんなに疲れていても、
今まで部屋で食事をすることはなかった。
別にこだわりがあったわけではなく、
子供の時から、そういうものだと。
思っていたから。
断る理由もなく、
「そうか、では。ここで食べてみるか」
と答えていた。
なんとなく、すぐに着替えたりするのが面倒で、
その提案を受け入れることにした。
「それがようございます。」
にこりとわらって、
ベルは侍女に指示を出すために部屋を後にした。
その後は
すこしベッドに横たわってだらだらしている間に、
部屋のテーブルに一人分の朝食が準備された。
入れたてのコーヒーの香りが頭をすっきりさせる。
ふむ。悪くない。
私と使用人だけの生活なら、
こんな朝食と出会うことは無かっただろう。
これは、お飾り妻効果だ。
残っていた疲れがとれ、食欲がわいてきた。
ますます、自分の提案に満足する。
食事のあと
着替えを済ませ、先ほど声がしていた庭のあたりを
散歩してみる。
屋敷のわきの広い芝生が広がる庭園。
シンボルツリーが数本植えられていて、
グリーンが基調の殺風景だった庭に、
色とりどりの花が植えられようとしていた。
そういえば、以前庭師から
“奥様を迎えるための庭の相談がしたい”
といっていた。が、
「スッキリさせてくれればいい」と
答えた気がする。
ひと月の間に、花がいたるところに植えられ、
だだっ広い印象だった庭が
満開の花が咲くころには素敵な庭になっている気がする。
庭をうろうろしていると、
倉庫の方から庭師が別の苗を運んでくるところだった。
「おはようございます。旦那様。」
中年の庭師は、抱えた苗の箱を足元に置き、
帽子を取り、フレデリックに頭を下げる。
「いかがでしょうか?まだ途中ですが、
こんなに素敵な庭を造らせていただいて・・
とてもうれしいです。ありがとうございます」
まだ大量の苗が倉庫にあるのだろう。
とても重そうだが、
庭師は見たことが無いくらいイキイキとしている。
「それでは仕事に戻ります」
すぐに箱を持ち上げ、庭へと急いだ。
すると倉庫からもう一人、箱を抱えて出てきた。
ソフィアである。
すこし小股で、よろよろと歩きながら
こちらにやってきた。
フレデリックに気が付くと少し気まずそうに挨拶をした。
「だ、旦那様・・おはようございます・・」
すこし緊張した様子で、こちらを見る。
「あの・・」
重い箱を下に置くことも忘れて抱えたままだ。
「庭いじりが、好きなのか?」
せっかくなので質問する。
聞かれると思わなかったようで、
はい。しかでてこない。
すこし間があいたが、ソフィアは庭へと視線を移すと
「こんなに広いお庭。お花を植えないのは
もったいないと思いまして。」
そこまでは笑顔だったが、
「・・たくさん・・お花を・・買いました。すみません」
うつむき、黙ってしまった。
ソフィアはうつむいたままフレデリックの
言葉を待っている。
「いや、別に構わない」
フレデリックは特に思うこともなかった。
「庭師もやりがいを感じているようだし。私は庭の
ことまで手が回らないからな。好きにしてくれ」
すぐに顔をあげたソフィアの表情が、
ぱぁっと明るくなったのがわかる。
その顔は、土がついていた
…けれど、
とてもきれいだと思った。




