1 陽編 お飾り妻にならないか
陽編から陰編へと移る予定です
お楽しみください
最初はただのお飾り妻のつもりだった。
すこし、かわいいなと思っていたけれど、
彼女でなければダメなんて、
思っていなかった。
なのに・・・。
「私のお飾り妻にならないか?」
彼女に対する第一声は間違っていたに違いない。
目の前にいる彼女は固まっていた。
「お飾り妻ということは・・愛する奥様がいらっしゃるのですか?」
細身の体。胸の前で手を握りしめて
慎重に言葉を選びながら話しているのがわかる
彼女はお飾り妻が嫌だったのではない。
愛する妻がいるのならお飾り妻は“邪魔な存在”だろうと、思ったからだ。
その質問にため息交じりに、手短に返す。
「愛する妻など、今もこの先もいない」
即答だった。
一見、優しそうな整った顔立ちの
彼から発せられる結婚に関する言葉は、
きわめて冷静で冷めている。
それにはわけがあった。
今年28歳になる彼
いつまでも未婚のままでは、
ギルフォード伯爵家は格好の噂の的である。
日々、仕事に明け暮れている彼は
余計な噂の火消しに追われている場合ではないのだ。
子供は親族から引き取るとしても・・・。
このまま彼が独身を貫くと、
つまらない噂や好奇の目にさらされる
そんな未来が決まっているに違いない。
それを避ける手段として。
“お飾り妻になってほしい。”
その目は最初から最後まで、真剣である。
彼の名は、
ギルフォード伯爵家嫡男、フレデリック。28歳
昔、大切にしていた女性に裏切られて以降、
“恋愛など不毛だ。”
と、あえて避けてきた。
恋愛により、
感情が揺さぶられ、眠りを妨げられ、
会いたくて辛くなる。
思いっきり・・・“恋愛体質”。
だからこそ、決めた。
愛など関係ない、お飾りの妻を
おくことで、今の精神状態を維持し
既婚者でありながら
冷静な大人として生きていける。
そのために今回、きわめて冷静に
目の前の令嬢を“お飾りの妻”として選んだのだ。
一方の
メルベリー伯爵家長女、ソフィア。21歳
王都でも有名な善良すぎるメルベリー伯爵家。
代々真面目に納税、
真面目に領民に対応する。
其れがゆえに、貧乏。
しかし領民からの信頼は絶大であり、
豊作であっても飢饉であっても
領民は決して土地を離れたりしない。
むしろ、飢饉のときの伯爵の対応を耳にした
他の領地の領民が
“何があっても安心だ”と、移住を希望したほど。
といわれる善良ぶり。
そのメルベリー伯爵家、長女のソフィアは
ただいま婚期の真っ只中にもかかわらず、
全く縁談がなかった。なぜか。
ソフィアに瑕疵があるわけでも、
見た目に問題があるわけでもない。
“善良すぎて、毒にもならない。”
“きっとどこかの良い貴族の縁談があるに違いない。”
そんな貴族たちの遠慮が、
今のソフィアの状態につながっているのだ。
控え目な印象の彼女は、
先日ギルフォード伯爵家の
侍女としての“働き口”を求めてこの屋敷に来た。
フレデリックは、その変わった報告を受けて、
彼女が気になり、確認するために呼び出したのだ。
「年頃の伯爵令嬢が、
伯爵家で侍女として働くなど、プライドが許すはずがない」
そう思ったフレデリックは
一番の疑問を最初に問うことにした。
“なぜ婚約者を探さず、働こうと思ったか。”
迷うことなくソフィアは即答する。
「自分の力で、家族を支えるためです」
そのきわめて真っ当な答えに、
フレデリックは次の問いが浮かばなかった。
今思えば、すでに彼女に惹かれていたのだろう。
お飾り妻を探していた自分のところに来た
きわめて真っ当な貧乏伯爵令嬢。
こんないい話はない。
そう考えたフレデリックは、
ソフィアを呼び出し。
今、交渉しているのだった。
すこしうつむき、握った手にはやや力が入っている。
それでもソフィアは、
“家族がそれで救われるのなら。”
とお飾り妻になる事にした。
思ったより早い決断に
フレデリックは少し驚いたが
執事を呼び、
さっそく契約を結ぶことにする。
契約は以下の通りである。
・お互いをある程度知るよう努力すること
・使用人以外に知られないようにすること
・子は親族から養子を迎えること
・社交は最低限でよい
・どちらかに愛する人ができた時は、速やかに
報告し、今後について相談すること
この契約の見返りとして、
メルベリー伯爵家に対して、十分な支援をする
これでどうだろうか?
・・・あとは、好きにしてくれ。
それではよろしく。
一時間程度の業務的なやり取りで、
二人の結婚はきまったのだった。
3か月後。
王都の小さな教会に二人。
書類を交わすだけで終わる簡単な式を挙げ、
ソフィアはギルフォード伯爵家へと嫁いできた。
結婚翌日から、ソフィアは
フレデリックの出勤に合わせて起きてきて
「朝食をご一緒させてください」
といって、笑顔でフレデリックの向かいにすわり
共に食事をとった。
フレデリックはいつも一人で静かに
食事をする事を好む。
向かいに人がいるだけで、気になって
朝から調子が狂う。
「無理して合わせなくてよい」
怒っているわけでもないが、
連絡事項として伝える。
それから仕事に出かけた。
彼の仕事は外交官である。
この国の外務大臣、ボルソワーレ侯爵の部下として
資料の作成から、他国との打ち合わせの準備等で
普段から屋敷に帰らないことも多い。
他国との関係がひっ迫しているときなどは、
2か月も職場に泊まり込んだほどだ。
やはり、愛する妻がいたとしても
一緒に過ごすことはほとんど無かっただろう。
これでよかったのだ。
ソフィアという不運の伯爵令嬢を助けた。
それだけで、彼は満たされた気持ちになった。
そして、今も仕事に没頭していたら、
昨日結婚した事すら忘れている。
「フレデリック!」
背後からボルソワーレ侯爵の声が飛んでくる。
「君は結婚したばかりだというのに、休暇もとらず、新妻をほったらかして・・すぐに帰りたまえ。」
愛妻家で、部下想いの侯爵が
気を利かせてくれたが、
「不要なお気遣いです」
と冷静に辞退し、また仕事に打ち込む。
周りからは、“信じられない”
といった声が聞こえるが、
関係ない。
好奇な噂にさらされることに比べれば、
冷たい夫など、誉め言葉のようなものだ。
そうして、1か月あまり。
フレデリックは帰宅しないままの
新婚生活が過ぎていった。
さすがに執事に任せきりの領地のことも気になり、
一度屋敷に帰宅することにした。




