田中葬儀社
田中葬儀社がいつからあるのか誰も知らない。
港町の象徴とも言うべき埠頭。
坂を転がるビー玉のように高速から降りてくる大型トラックが切れることなく列を作り、作業服を着た多種多様な人種が自転車に乗って走り抜け、そしてどこか海の向こうからやってきた大型のコンテナ船の汽笛の音が切なく響く。
そんな埠頭の入口とも入れる場所に田中葬儀社は鎮座するように建っている。
白塗りの壁、アーチ型の大きなステンドグラスの窓、とんがった青色の屋根、そして木造りの大きな扉……葬儀社というよりは教会とか神殿のように見える。
しかし、派手さはない。
どこまでも広がる静謐な空気と人の五感を振るわせ、招き入れるような雰囲気がそこからは漂っていた。
そして今日も葬儀社に人が訪れる。
悲しみに暮れる生者と、想いと魂がまだ途切れず眠る死者が。
「それではこれより湯灌の儀を始めさせていただきます」
皺一つない白いシャツに黒いベスト、黒いスラックス、そして黒いネクタイを付けた少年……幸は丁寧な口調で頭を下げる。
前髪で顔の半分を覆い、目元を隠しているのは変わらないもののヘラっとした笑みは浮かんでない。唇は小さく結ばれ、背筋は伸び、その所作の一つ一つが丁寧でそつがない。見た目こそ少年だがその佇まいはどこか達観した僧侶のようであった。
幸の後ろには銀色の大きな棺のような浴槽が置かれ、その上には貼られたハンモックのようなものに裸体に白く大き布を掛けられた男が寝ている。
頭髪はほとんどなく、後頭部には大きな開頭手術の跡が痛々しく刻まれていた。目は窪み、頬はこけ、当然だが血色なんてない。元々は大柄で筋肉質だったのだろうが今はカンナで削られたように痩せ細り、元気であった頃の姿なんてまるで想像できない。
見た目だけなら八十を過ぎた高齢者にしか見えず、実は五十を一つ過ぎたばかりと聞いて誰が信じてくれるのだろうか?
悪性脳腫瘍のステージⅣ。
開頭したものの手を付けることすら出来ず、化学療法もまるで効果のないまま医師にも親族にも見捨てられ、行き着いたのはホスピスと呼ばれる命短し人々の集まる最後の居場所。男は、そこで誰も来訪しないままにホスピスの雇う看取り専門のボランティアに見送られたと言う。
男には身内はいない。
そう聞いていた。
しかし、幸の目の前のパイプ椅子には二人の人間が座っている。
一人は四十代後半くらいだろうか?目の周りに皺の刻まれた黒髪の美しい淑女。
もう一人は二十代半ばと言った感じのショートの黒髪にピンクのインナーカラーを入れた美しい女性。その顔立ちは淑女の要素もあるがどちらかと言うと幸の後ろで横たわる男性に似ている。
そしてどことなく誰かに似ている気もするが……。しかし、これだけの美人だ。雑誌のモデルやアイドルに似ていたとしてもおかしくはないと思い、幸は思考を止めた。
淑女は、穏やかな表情で静かに幸を見つめ、女性は、むすっとした顔で目を背けている。
「まず最初に逆さ水の儀を行います」
幸は、丁寧な口調で言う。
「喪主様。こちらへ」
幸の言葉に淑女が静かに立ち上がる。
女性は、立ち上がった淑女を不貞腐れた顔で見上げる。
「そんな顔しないの」
淑女は、困ったように表情を歪める。
「でも……」
「でもじゃないでしょ」
淑女は、静かな声で娘を窘める。
「二人でお父さんを送ろう。そう決めたでしょ?」
淑女は、じっと女性を見る。
女性は、不貞腐れた表情のまま目を反らす。
淑女は、嘆息しつつ幸の方に足を向ける。
「見苦しいところを見せてごめんなさいね」
淑女は、幸に小さく頭を下げる。
「いえ、そんなこと……」
幸は、小さな声で言って浴槽の足元に置かれた木の桶に突っ込まれた柄杓にたっぷりの水を掬って淑女の前に差し出す。
「清めた水にお湯を足したものです。足元からゆっくりとかけて差し上げてください」
「ありがとう」
淑女は、両手を伸ばして賞状を受け取るように静かに柄杓を受け取る。
「貴方……若いわね。ひょっとして学生さん?」
「はいっ高校二年になります」
幸が静かに告げると淑女は目を大きく見開く。
「高校生がこんなお仕事出来るの?」
「年齢と資格は不問となってましたので」
幸は、淡々と答える。
「そうなの。時給がいいの?」
「まあ、それなりに」
幸は、答えてから余計なことを言ったかな?と後悔する。
後ろで眠る男が淑女と女性にとってどんな存在であったかまでは分からないが年端もいかない高校生、しかもバイトなんかが送り出すことに不快に感じてもおかしくない。
しかし、淑女は、表情を変えることも声を出すこともなく幸の前を通り過ぎて男に向かう。
淑女は、能面のような表情で静かに眠る男を見下ろす。
「足元から掛ければいいのかしら?」
「……はいっ」
幸は、静かに頷く。
淑女は、柄杓の先を男の足元に向ける。
「この人ね……あの子のお父さんなの」
柄杓から清水が流れ、男の足元を濡らす。
幸は、何も言わずに首だけを淑女に向ける。
女性……男の娘は、目を反らしたままこちらを見ない。
「私はね。この人の妹。あの子にとっては叔母ね。と、言ってもあの子が四歳の時に引き取って、特別養子縁組もしてるから法的にも事実的にも母親よ」
柄杓がゆっくりと男の頭元を目指して動いていく。
落ちる水が男の白い布に染み込んで兄の細くなった脛を浮き彫りにする。
「あの子を引き取って欲しいと言われたのは私が大学を卒業したばかりの時よ。ずっと音信不通だった兄が突然、帰ってきたことに私も両親も驚いたわ。しかも四歳になるあの子を連れてね」
淑女の兄であり、娘の実父である男はとても優秀な男であったらしい。
国立大学に通い、在学中に仲間と共にIT系の企業を立ち上げ、アプリがようやく世間に認知され始めた頃に携帯ゲームやチャットなどを革新的なものを次々と導入していき、一時期は経済雑誌にも取り上げられたと言う。
両親も妹である淑女も優秀な兄を誇りに思い、愛していた。
「でもね。兄は経営者になるには優しすぎたの」
兄は、とても人が良かった。
そして一緒に立ち上げた仲間たちを心から信用していた。
その為に彼らの悪意にまるで気付かなかった。
兄が創り出したはずのアプリの特許権と経営権をいつの間にか彼らに奪われ、追放されてしまったのだ。
しかも、兄が経営に携わる重大な過失を犯したと言う冤罪を着せた上での追放劇だったので警察には頼れず、弁護士に訴ることも出来なかったらしい。
失意に陥った兄は大学を辞めた。
そして新たに起業しようと独力したが、どれだけ優秀な機能を持つアプリを創ろうとも冤罪とは言え一度地に落ちた信用は戻らず、どこも相手しなかった。
「そして兄は失踪した」
柄杓の水が兄の膝を濡らす。
自室に閉じこもり、失意に沈んでいたはずの兄はいつの間にか置き手紙も何もないまま失踪した。
淑女は、捜索願を出そうと両親に訴えたが世間体を気にする二人はそれを拒否し男を死んだものとしてうよう淑女に告げた。
淑女は、猛反発するも大学を卒業したばかりの甘やかされて育った小娘では両親に逆らうことが出来ず、また、もし兄を庇ったら自分の将来にまで……と思うとそれ以上のことは出来なかった。
そして兄のいない空白の時間をただだだ自分の生活に追われながら過ごし、七年経ったある日……。
「兄が戻ってきたの。あの子を連れて」
娘の手がぎゅっと握りしめられる。
「その時の兄は……少しおかしかったわ」
柄杓から溢れる水が兄の腹部に落ちるのを見ながら妹は語り出す。




