妹
「こんばんは!聖人」
意気揚々と右手を挙げて大柄な美丈夫、田中は笑う。
田中の存在を確認した瞬間、幸の口が不機嫌に曲がる、
都会と呼ばれる街で五万を超えない格安の家賃の木造アパートにして襖を隔てて二部屋あって広めだとは思うがそれでも田中がいるだけで狭苦しく感じる。
「なんでいる?」
幸は、前髪に隠れた目で幸は田中を睨む。
「仕事終わりにまで劇画みたいな顔を見せるな。吐き気ががする」
「辛辣だな聖人」
田中は、大袈裟に肩を竦め、自分で用意したのか?ひび割れた湯呑みでお茶を啜る。
「うんっ日本茶は美味い」
「勝手に飲むな」
幸は、苛立ち、奥歯を噛み締める。
「まあ、そう怒るな聖人」
田中は、口の端を釣り上げ、奥の部屋に目を向ける。
「私は、様子を見にきただけだよ」
襖を隔てた部屋の向こうでは銀色に輝くユニコーンが巨軀を猫のように丸めて蹲り、身体を震わせていた。
ユニコーンは、苦痛に燻んだ青い目で幸を見る。
「ご主人様」
前髪に隠れた幸の目が震える。
「変身したまま戻れなくなったようだ」
田中は、日本茶を啜る。
「と、言うよりも元の姿となりつつあると言った方がいいかな?」
田中は、面白ろげに喉を鳴らす。
その喉元に黄金の刃が突きつけられる。
「お前が余計なことをしなければ……」
前髪に隠れた目が鋭く光る。
田中は、動じることなく幸を見返す。
「君を救いにいったのは彼女の意思だよ」
田中は、にっと笑う。
「大好きなご主人様の為にね」
幸は、黄金の刃を振り上げ、田中を突き刺す。
刹那。
田中は、湯呑みを宙に固定して手を離し、親指に人差し指を乗せて切先に向けて弾く。
黄金の刃が岩で殴りつけられたように上方に弾け、幸の身体が宙に浮かびそのまま勢い良く後方に吹っ飛び、扉を突き破って錆びついた柵に激突する。
柵は、隕石が落ちてきたかのようにひしゃげ、幸はそのまま座り込み、吐血する。
「ご主人様!」
ユニコーンは、苦鳴とともに声を上げる。
「私の奴隷が私に勝てる訳がないだろう」
田中は、宙に固定した湯呑みを手に取り、音を立てて啜る。
「……しろ」
幸が血と共に声を絞り出す。
「なんとか……しろ」
幸は、前髪に隠れた目に怒りを乗せて睨む。
「それが……」
田中は、湯呑みから口を離す。
「私に頼む態度か?」
幸は、唇を噛み締める。
目から怒りが消え、痛いまでの悲しみが浮かぶ。
「お願いします主よ。妹をお救いください」
田中は、すっと目を細める。
湯呑みを宙に固定し、白い喪服の内ポケットに手を入れ、取り出されたのは細長い、芯が空洞になった藁のストローであった。
田中は、藁のストローを鉛筆のように器用に回転させ、目に映らぬ速さで投げ、ユニコーンの首筋に突き刺す。
ユニコーンは、悲鳴を上げる。
幸は、怒りの声を上げ、立ちあがろうとする。
刹那。
藁のストローの先から青色のシャボン玉が吹き荒れる。
ユニコーンの顔から力が抜けていく。
蕩けるように震え、身体が小さく、変化していく。
青色のシャボン玉が部屋を埋め尽くすように漂う。
藁のストローがぽとりと落ちる。
ユニコーンの姿が消える。
現れたのはユニコーンのように一糸纏わぬ身体を丸めて蹲った銀髪の美しい少女であった。
「鈴音!」
幸は、叫び、血を垂れ流しながら田中の横を通り過ぎてユニコーンであった少女、花園鈴音を抱き起こす。
「鈴音ぇぇ!鈴音ぇぇ!」
幸は、必死に鈴音に呼びかける。
鈴音の目が開く。
「ご主人様……」
鈴音は、小さく呟き、白い手で幸の頬に触れる。
「ご無事で良かった」
鈴音は、優しく微笑む。
幸は、震える唇を噛む。
頬に触れる鈴音の手が濡れていく。
「俺はご主人様じゃない……」
幸は、ぎゅっと、優しく鈴音の身体を抱きしめる。
「俺は……俺は……」
田中は、二人の様子をつまらなそうに眺めながら藁のストローを手に取り、口に咥えると一気に吸い込む。
宙を漂っていた青色のシャボン玉が藁のストローに吸い込まれていく。
全ての青色のシャボン玉を吸い込むと藁のストローを離し、大きなゲップをする。
「半端者の霊血はまずい」
田中は、ぐしゃっと藁のストローを握り潰すと音もなく立ち上がる。
「お前はいつまでこんなことを続ける?」
田中の言葉に幸の背中は小さく震える。
「聖人とは言えお前は生人。神とも悪魔とも万物の理と呼ばれるモノを相手にこんなことを繰り返していたらいずれお前が奈落に堕ちる」
田中は、傷だらけ、血だらけの幸を見て冷徹に言う。
「そんなことをお前の母君は望んでいるのか?それに……」
田中は、鈴音に目を向ける。
鈴音は、何が起きてるかわからないと言った表情でキョトンっと幸の顔を見ている。
「お前の妹は戻ってこない」
「鈴音はここにいる!」
幸は、叫ぶ。
鈴音の目が驚きに大きく見開く。
「鈴音はここにいる!俺の妹はここにいる!みんなが忘れても、世界が忘れても鈴音が鈴音のことを忘れても俺は絶対に忘れない!俺が……俺が妹を守る!」
前髪に隠れた幸の顔が涙に濡れ、鈴音の白い肩を濡らす。
「ご主人様?」
鈴音が心配そうに幸の顔を覗き込む。
「やはりどこか痛いのですか?」
鈴音の白い手が再び涙に濡れる幸の頬に触れる。
「泣かないで下さい。ご主人様」
鈴音は、悲しげに顔を歪ませる。
「貴方が泣くと私も泣いてしまいます」
鈴音の大きな目から涙が一筋落ちる。
「これは……何でしょうか?」
鈴音は、戸惑ったように、本当に分からないと言ったように呟く。
「鈴音……俺は……ご主人様じゃない」
幸は、ぎゅっと、ぎゅっと鈴音を抱きしめる。
「俺は……お前の兄ちゃんだ」
幸は、幸の白い肩の上に顔を埋めて泣いた。
鈴音は、不思議そうに幸を見て、ぎゅっと抱きしめた。
田中は、そんな二人をじっと見つめ、踵を返す。
そして何も言わずに破壊された玄関に向かって歩き出す。
「死前湯灌は続ける」
幸は、涙の混じった声で言う。
田中は、足を止める。
「そして思い出を守る。逃れられない理からみんなを救う。皆月さんのように。二度と俺たち家族のような人達を増やさないように……だから」
幸は、鈴音の肩から顔を外し、振り返る。
涙に濡れた鋭い目が田中を貫く。
「俺は……やめない!」
揺るぎない強さと意志、そして怒りの宿った目。
田中は、幸の目をじっと見つめ……。
「勝手にしろ」
そう言って玄関の外に出た。
「また明日」
田中の姿が消える。
破壊された玄関がVHSの巻き戻しのように元に戻る。
静寂が訪れる。
「ご主人様」
鈴音は、小さな声で呟く。
「ご主人様……大丈夫ですかキュリ……」
その瞬間、鈴音の白いお腹が盛大に音を鳴らす。
「……お腹が空きました」
鈴音は、恥ずかしがる様子もなく呟く。
幸は、ぷっと笑って鈴音から離れる。
「ご飯にしようか」
幸は、ヘラっと笑う。
その顔からはもう悲しみは消えていた。
「今日は鈴音の大好きなオムライスだよ。学校で食べたがってたろ?」
「はいっご主人様の作るオムライス、大好きです」
鈴音は、素直に頷く。
「お風呂入っておいで。ご飯温めておくから」
「ご主人様が先に……」
「いいから。お兄ちゃんに遠慮するな」
幸は、ヘラっと笑って言う。
鈴音は、お兄ちゃんと言う言葉に戸惑いながらも頷き、お風呂へと向かった。
それから幸は、お風呂から出た鈴音の髪を乾かし、着替えをさせた。
幸の作ったオムライスを見て鈴音は遠慮がちに目を輝かせて頬張る。
大好きな母のレシピで作った特製オムライスを。
「ご主人様のオムライス、懐かしい味がします」
そう言って美味しそうに食べる鈴音の姿が幼い鈴音の姿と重なり、幸は泣きたくなりながら笑った。
幸は、夢を見る。
幼い頃の夢を。
まだ、母親が生きており、実の両親に虐待されてた鈴音を引き取り、狭いこのアパートで貧乏ながらも幸せに生きた温かい思い出の日々を。
優しく、明るく、誰に対しても優しくそして子どもを分け隔てなく愛した母。
大人しく、内気で、成績はいつも上位なのに少し隠キャっぽいところがあり、揶揄われていた鈴音。
そしてそんな鈴音を守ろうと、強くあろうとした結果、不良として恐れられた幸。
そんなチグハグだけどお互いを想い合う家族を幸は愛していた。
いつまでも三人で一緒にいたい思っていた。
しかし、そんな想いは脆くも理不尽な世界の摂理によって崩される。
突然、幸達の前に現れた死にかけ、腐ったユニコーン。
ユニコーンは、自らを幸の母の親と名乗り、自分の後継として血筋である母を選んだと言う。
母は、必死にそれを拒む。
しかし、聖人と名乗る男に幸と鈴音を拘束された死前湯灌を受けることを承諾する。
死前湯灌は、順調に進み、ユニコーンと化していく母、
それを涙を流しながら。しかし何も出来ない幸。
母の記憶が薄れ、存在が消えていく……。
しかし、運命ですら予測できないことが起きる。
拘束を解いた鈴音が母親の間に割って入り、儀式が破壊された。
儀式の破壊された反動で力が暴発する。
青い屍蝋になりかけたユニコーンは中途半端な儀式によって亡者に奈落に引き込まれ、聖人も命を失い、奈落へと堕ちた。
幸の母は、中途半端なユニコーンの姿のまま「幸、鈴音……幸せに生きて」と言葉を残して死んだ。
そして鈴音は……。
「ユニコーンの神性を引き継いだか」
どこからか現れた田中が銀髪の美しい少女に変貌した鈴音を見て面白そうに笑う。
世界は鈴音のことを忘れた。
いや、鈴音という存在が世界から消えた。
そして鈴音の中からも鈴音と言う存在は消えた。
鈴音を覚えているのは……幸だけだった。
「お前が覚えているのは彼女がユニコーンでなかったのと儀式が中途半端だったからだ」
田中は、そう言って笑う。
「貴方が私のご主人様ですか?」
兄のことを忘れてしまった鈴音はそれでもご主人様と呼んで幸を慕う。
失った欠片を求めるパズルのように。
不安に震える幼児のように。
幸は、鈴音を抱きしめ、泣いた。
幸は、目を覚ます。
外はまだ暗く、部屋の中は更に暗い。
それでも薄い布団で隣に眠る妹の寝顔だけははっきりと見えた。
鈴音は、小さな頃と変わらないあどけない寝顔で静かに眠る。
幸は、優しく鈴音の柔らかい銀色の髪を撫でる。
「鈴音。大丈夫だからな」
幸は、優しく優しく鈴音の髪を撫でる。
「例えこの世界の誰もがお前を忘れても俺は絶対に忘れない。俺は……お前のお兄ちゃんだから」
幸は、優しく優しく鈴音の髪を撫で続ける。
そして再び眠った幸の耳に鈴音の小さな寝言が流れる。
「お兄ちゃん……」




