また明日
人魚の風見が崩れた古い屋敷の真上に月が浮かぶ。
優しく笑いかけるような三日月が黒のアンティークドレスを着た少女……海凪とその後ろに静かに立つボロボロの白い喪服を着た少年……幸を照らす。
二人の前で魚介類の頭を持った執事達がシャベルを使って大きな穴を掘っている。
少し大きな人が一人入るくらいの大きな穴を。
穴が掘り終えると魚介類の頭を持ったメイド達が大きな布を担架にして青い屍蝋を運んでくる。
大きな人魚の姿をした美しい屍蝋……アクエリアスと呼ばれた者を。
メイド達は、ゆっくりと青い屍蝋を穴の中に下ろす。
カクレクマノミの頭をしたメイドが手に持った色鮮やかな花々を海凪に渡す。
「ありがとう」
海凪は、花々を受け取ると穴の中に収まったアクエリアスを見る。
「お母さん」
海凪は、囁くように言い、しゃがむとアクエリアスの胸の上に花々をそっと置く。
「お休みなさい。お母さん」
海凪は、アクエリアスの固くなった髪を優しく撫でる。
アクエリアスからは当然反応はない。
ただ、穏やかな顔で天を、海凪を見上げていた。
海凪は、ゆっくり立ち上がる。
「お願い」
海凪の声に反応し、執事達がシャベルで優しくアクエリアスに土をかけていく。全てかけ終えるとイルカとオルカの頭をした大きな執事達が長方形に削られた墓石を持って現れ、アクエリアスの埋められた土の上にそっと置いた。
「墓石か……」
幸は、長方形の石を見て呟く。
「よく用意してあったな」
幸は、感心したように言う。
「一ヶ月前くらいかな?」
海凪は、思い出しながら言う。
「お庭の奥で執事達が大理石を削ってるのを見たの。お母さんの命だって言ってたわ」
大理石を削る作業をしていたと思われる蟹と海老の頭の執事が頭を下げる。
「日本式なんだな」
「宗教なんて気にしないからね。お国柄を選んだんでしょ?」
海凪は、苦笑し、墓石を見る。
「きっと……自分が存在した証を残したかったんだと思う。墓石に名前を掘ったも消えちゃうだろうから」
墓石の表面は滑らかなままだった。
「皆月さんにも思い出して欲しかったんじゃないかな?」
幸は、獣ような目を細める。
「どこか心の片隅に引っかかってもらえることを……祈ってたんじゃないかな?」
「なら……もう大丈夫だよ」
海凪は、
胸に手を当てる。
「絶対に……忘れないから」
そう言って海凪は、黙祷する。
海凪に習うように執事達も胸に手を当てて黙祷する。
幸は、小さく震える海凪の背中をじっと見つめた。
三日月が優しく照らし、微笑んだ。
「あのユニコーンさんは?」
幸を送ろうと鉄格子のような正門まで来て、海凪は思い出して幸に言う。
「ああっ」
幸は、眉を顰めて頬を掻く。
「あいつは先に帰した。夜も遅いからな」
「帰した?」
海凪は、首を傾げる。
「田中葬儀社に?行けば会えるかな?」
「いや、いないよ」
幸は、即答する。
「あいつは、田中葬儀社になんて行ったことないから」
「そうなんだ」
海凪は、どこか釈然としないまましゅんっと肩を落とす。
「お礼……言いたかったんだけどな」
「そうか」
幸は、小さく口の端を釣り上げる。
「言っておくよ。きっと喜ぶ」
「お願い」
海凪は、小さく笑い……視線を落とす。
「私……引き継いだんだよね?」
海凪は、自分の左胸の下を触る。
そこには聖卵を抱きしめ、引き剥がされた時に残った青い欠片が星屑のように残っていた。
「ああっ」
幸は、小さく頷く。
「執事達が動いてるのがその証拠だろ?」
幸は、正門の奥を見る。
海凪を見守るように執事達が整列してこちらを見ている。
「アクエリアスの摂理は君にしっかりと受け継がれた。世界は消えないし、執事達もずっと一緒にいる。お母さんの思い出も……決して消えない」
思い出が消えない。
その言葉に海凪は、口元を綻ばせ、きゅっと自分の胸を抱きしめる。
「私が死んだら?この力はどうなるの?」
「その時はその時の聖人が何とかするだろ?」
幸は、あっさりと答える。
「他人事ね」
「未来のことなんて知らねえし」
幸は、肩を竦める。
「聖人の癖に」
「聖人だからって君子じゃないよ」
幸は、皮肉っぽく笑う。
「心配しなくてもその力はちゃんと受け継がれるよ。君が良い相手と巡り合って子を成せばね」
幸の言葉に黒真珠のような目を見開く。
「それって……」
「もう忘れ去られることも生人じゃなくなることもないんだ」
幸は、海凪の頭の上にぽんっと手を置く。
海凪の頬がほんのりと赤く染まる。
「普通に人生を歩んで、幸せな思い出をたくさん作って。お母さんもきっとそれを望んでるから」
そう言って幸は、にっこりと微笑む。
海凪の黒真珠のような目が大きく震え、唇から熱い吐息が漏れる。
「あの……」
「ごめん。頭を撫でちゃって」
幸は、慌てて手を離す。
「つい妹みたいに。本当にごめん」
幸は、小さく頭を下げる。
「ううんっそんなこと……」
海凪は、小さく首を振る。
「ねえ、船頭くん?」
「なに?」
幸は、獣のような目を寄せて訝しげな顔をする。
海凪は、何かを言おうと手を伸ばしかけ……戻す。
そしてモジモジと身体を揺すってじっと見る。
「明日は……学校来る?」
「行くよ。単位を落とす訳にはいかないから」
「……そっか」
海凪は、柔らかく微笑む。
嬉しそうに……寂しそうに。
「私も……明日行くね」
「休まなくていいの?」
「うんっ」
「そっか」
幸は、小さく呟くと髪に手を当てて前髪を下ろす。
海凪の知る幸の姿に戻る。
「それじゃあ、また明日」
幸は、ヘラっと笑う。
「また明日」
海凪は、小さく笑って右手を振った。
幸の去っていく背中を見ながら海凪は小さく呟く。
また、明日が言えるって……こんなに嬉しいんだね。
「あらっお帰り幸ちゃん」
昭和時代でも珍しい木造二階建てアパートの前まで来ると七十代の小太り、白髪混じりの女性が声かけてくる。
「今、帰り?」
女性は、人好きのする笑顔を浮かべて言う。
「はいっ大家さん」
幸は、ヘラっと笑う。
大家と呼ばれた女性は、笑みを浮かべたまま幸の身体を見回し、表情を曇らせる。
「どうしたの?その格好?」
全身ボロボロの姿を見て心配げに言う。
「いえ、大したことありませんよ」
幸は、ヘラっと笑って答える。
「暗くて辺りが見えないまま歩いていたら大きな石に躓いて坂道を転がり落ちてさらに熊のような大きな野犬に襲われただけです」
「全然大したことあるし、どこか山奥にでも修行に行ってたのかしら?」
大家は、こめかみを引き攣らせて言う。
「ご心配おかけしてすいません」
幸は、丁寧に頭を下げる。
「気にしないで」
大家は、首を横に振る。
「ずっと一人で頑張ってる貴方を見てきたのよ。もう孫みたいなもんよ」
そう言って大家は笑う。
幸も嬉しそうにヘラっと笑う。
そして前髪に隠れた目で自分の部屋のある二階に目を向ける。
「あの子なら来てないわよ」
大家は、声のトーンを低くして言う。
「この時間に乗り込んでこないなんて珍しいわね」
「乗り込んできてる訳じゃないですよ」
幸は、困ったようにヘラっと笑う。
「何度も言いますけど帰ってきてるだけですよ。うちに」
しかし、その言葉は大家をさらに不穏にする。
「幸ちゃん」
大家は、穏やかな目を釣り上げる。
「幸ちゃんの交友関係に口を出すつもりはないの」
大家は、ぐいっと顔を近づける。
幸は、笑みを固めて引く。
「でも、あの子はやめなさい!追い出した方がいいわ!」
「いや、大家さん……」
幸は、大家を落ち着けようと両手を前に出す。
しかし、大家は止まらない。
「あの不良!突然現れたと思ったら勝手に幸ちゃんの家に居候して……何か企んでるに決まってるわ!」
大家は、太った顔からは想像もできない速さで捲し立てる。
「きっと幸ちゃんを騙して悪いことさせようとしてるのよ!ひょっとしてその怪我もあの女に何かされて⁉︎」
「おっ大家さん……」
「なんで幸ちゃんもあんな見ず知らずの女を家に置くの!さっさと学校に言えばいいわ!それか私が警察に……!」
「大家さん!」
幸は、声を荒げて一喝する。
大家は、両目をまん丸にして驚く。
「見ず知らずじゃ……ないです」
幸は、拳をぎゅっと握る。
「見ず知らず……なんかじゃないです」
拳が痛々しく食い込み、震える。
「幸ちゃん……」
大家は、動揺を隠せずに幸を見る。
幸は、ふうっと息を吐き……ヘラっと笑う。
「すいません大家さん」
幸は、小さく頭を下げる。
「ちょっとバイトで疲れてたみたいで」
「う……ううんっいいわよそんなこと」
大家は、首を何度も横に振って引き攣った笑みを浮かべる。
「あの子は見ず知らずなんかじゃありません。大家さんの中から消えてしまっただけですから」
そう言ってヘラっと笑う。
大家は、雪の言葉が理解出来ず、眉を深く顰める。
しかし、幸は、大家の疑問を解かないまま踵を返して二階の階段に向かう。
「ちょ……幸ちゃん」
「お休みなさい。大家さん」
そう言って幸は振り返ることなく階段を上がっていく。
大家は、二階に上がり、幸が一人で借りている部屋に入っていくのを見届けた。




