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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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171/175

171.出自-2

 

 幼い頃のステラに向けられる距離は、刃物みたいに鋭くない。


 鋭ければ、痛みとして分かる。痛みとして分かれば、嫌悪として処理できる。嫌悪として処理できれば、相手を悪者にできる。悪者にできれば、世界は簡単になる。簡単さは逃げ道だ。


 逃げ道はいらない。


 だから距離は、もっと自然な形をしている。

 自然であるほど、逃げ場がない。


 ♢


 村の子どもたちは、遊ぶ。


 走る。転ぶ。笑う。泥をつける。喧嘩もする。仲直りもする。

 ステラもその輪に入る。入ってしまえる。入ってしまうこと自体は許されている。子ども同士の世界では、まだ「分類」は道具になりきっていない。


 手を引く。袖を掴む。髪に触れる。肩がぶつかる。

 そういう接触が、遊びの中では当たり前に起こる。


 だから幼いステラは、最初は気づかない。


 気づくのは、周りではなく「周りの外側」からだ。


 子どもが転んで泣いたとき、大人が走ってくる。

 走ってきて、抱き上げる。膝を見て、泥を払って、涙を拭う。抱きしめて、背中を叩いて、息を整えさせる。


 その一連の手順が、村の普通だ。


 ステラが転んだときも、大人は来る。


 来る。

 来るのに、最後の動作だけが、少し違う。


 抱き上げない。


 抱き上げないのは冷たいからではない。嫌っているからでもない。

 抱き上げないまま、しゃがむ。膝の泥を見る。血が滲んでいれば布を当てる。声は優しい。声の温度も普通だ。


「大丈夫?」


 言葉は大丈夫をくれる。

 けれど腕は、抱きしめない。


 抱きしめないまま、立たせる。

 立たせるときの手が、肩に置かれそうで置かれない。袖に触れそうで触れない。触れない代わりに、少し離れた位置で支える。


 支え方が「手順」になる。


 手順は感情ではない。

 感情でやっていないから、誰も罪悪感を見せない。罪悪感がなければ、修正も起きない。


 修正が起きない距離が、積もる。


 積もって、幼いステラの身体の中に先に定着する。


 ――私は、心配される。

 ――でも、抱きしめられない。


 抱きしめられないことを、説明されない。

 説明されないから、理由は作れない。理由がないまま、手触りだけが残る。


 手触りは、触れられない手触りだ。


 ♢


 子どもたちの遊びは続く。


 かくれんぼ。石投げ。木登り。棒を剣に見立てる戦ごっこ。

 ステラは混ざる。混ざって、笑う。笑って、走る。


 走っているところを、大人が見ている。


 見ている目が、柔らかい。

 柔らかいのに、焦点が少し違う。


 焦点が違う目は、褒めない。


「元気だね」とは言う。

「よかった」とも言う。

 でも「すごいね」は言わない。


 言わないのは、才能に意味が乗るからだ。意味が乗ると、用途が想像される。用途が想像されると、期待が育つ。期待が育てば、今度は押し付けになる。


 押し付けになる前に、言葉を止める。


 止められた言葉のぶんだけ、空気が一歩引く。


 一歩引いた空気は、優しい。


 優しいから、抵抗できない。


 抵抗できない優しさが、いちばん深く刺さる。


 ♢


 村の行事がある。収穫祭でも、弔いでも、祈りでもいい。

 人が集まり、火を焚き、酒が回り、子どもが眠くなる時間。


 子どもは、眠くなったら抱えられる。


 肩に担がれ、背中に乗せられ、膝に寝かされる。

 寝息が落ちる場所は、人の体温だ。


 ステラも眠くなる。


 眠くなって、まぶたが重くなって、足がもつれる。

 大人が気づく。気づいて、近づく。


 近づいて、手を伸ばしかける。


 伸ばしかけた手が、一瞬だけ止まる。


 止まった手は、引っ込められない。引っ込めれば露骨になる。露骨になれば差別になる。差別という言葉は、感情を呼ぶ。感情は争いになる。


 争いは面倒だ。


 だから、手は止まったまま、形を変える。


 抱えるのではなく、付き添う。


 肩を貸すのではなく、少し前を歩く。


 背負うのではなく、家まで「見届ける」。


 見届けることは優しい。

 優しいのに、体温は渡されない。


 体温が渡されないまま、家の戸口に着く。


 母が出てくる。母は抱き上げる。抱き上げて部屋へ連れていく。

 外の大人は、そこで役割を終える。


 終え方が、いつも正確だ。


 正確であるほど、偶然ではないと分かってしまう。


 分かってしまうのに、誰も言わない。


 言わないまま、優しさの顔で帰っていく。


 ♢


 ステラは、子ども同士では遊べる。


 遊べるからこそ、余計に分かる。


 子どもは踏み込む。踏み込める。

 でも、大人は踏み込まない。


 踏み込まないのに、遠ざけもしない。


 その距離は、「嫌い」ではなく「取扱い」だ。


 触れられない距離感。


 抱きしめられない距離感。


 それが、幼い彼女の世界の基本温度になる。


 ♢


 そしてその温度の上に、次の層が乗る。


 期待と警戒。


 それは、特別扱いではない。


 用途未定、という種類の視線だ。


 ♢


 ステラは教育を受けられる。


 文字を教えられる。計算を教えられる。地図も、歴史も、礼儀も。

 教える手つきは丁寧だ。乱暴ではない。放置でもない。


 教える理由は一つではない。


「この子は賢いから」ではない。


 賢い、と褒めれば、誇りが生まれる。誇りが生まれれば、将来を夢にしてしまう。夢にした瞬間、普通の道を歩かせたくなる。


 普通の道は、この世界では危険だ。


 危険だから、夢を作らせない。


 だから褒めない。


 褒めずに、教える。


 教えるのは、可能性のためだ。


 可能性は希望ではない。


 可能性は、保険だ。


 何かが起きたときに、「使える」ようにしておくための保険。

 保険のための教育は、温かいのに冷たい。


 冷たいのは、教える側が悪いのではない。

 教える側が、用途を決められないからだ。


 用途を決められない者を、社会は抱きしめられない。


 抱きしめれば「同じだ」と言ってしまう。

 同じだと言った瞬間、後で違う扱いをすることができなくなる。


 できなくなると困る。


 困るのは、大人が卑怯だからじゃない。


 困る構造だからだ。


 ♢


 進路は示されない。


 学んだ先に何があるかを、誰も言わない。


「騎士になれる」

「官吏になれる」

「商人になれる」

「嫁に行ける」

「学問で身を立てられる」


 そういう普通の未来が、ステラには用意されない。


 用意されないのに、「学べ」とは言われる。


 言われるから、努力の方向が宙に浮く。


 宙に浮いた努力は、誇りになりにくい。


 誇りになりにくい努力だけが、毎日積もる。


 積もる努力は、役割を作らない。


 役割を作らないまま、観測する癖だけが育つ。


 大人の会話の端。

 名を出されない議題。

 視線の揺れ。

 言い直し。

 沈黙の選び方。


 そういうものを、彼女は拾ってしまう。


 拾ってしまうのに、使い道がない。


 使い道がないから、褒められない。


 褒められないのに、止められもしない。


 ♢


 大人の視線は、振り切れない。


「役に立つかもしれない」


 その視線は、遠い。

 遠いのに、捨てない。


「危ないかもしれない」


 その視線は、静かだ。

 静かなのに、温度が落ちる。


 この二つが同じ目の中に同居する。


 同居するから、目は優しいまま一歩引く。


 優しいから、子どもの心はそれを拒絶として認識できない。


 拒絶として認識できないまま、輪郭だけが薄くなる。


 輪郭が薄くなると、世界は入り込みやすくなる。


 入り込みやすくなるのに、本人はそれを望んでいない。


 望んでいないのに、用途未定の視線は、彼女を「準備」だけさせる。


 準備をさせるのに、道を示さない。


 示さないまま、周囲は「期待でも警戒でもない」顔をし続ける。


 その顔の名前を、幼いステラはまだ知らない。


 知らないまま、分かってしまう。


 私は――どこへ行っても、たぶん同じ温度のままだ。


 普通の未来に、私は座れない。


 座れないという事実だけが、先に骨に染みる。


 ♢


 子ども同士の遊びは続く。


 続くからこそ、時々“普通”に見える瞬間がある。

 普通に見える瞬間があるからこそ、その次の一歩引かれた距離が際立つ。


 ステラは、抱きしめられない。


 けれど、捨てられない。


 捨てられないのは愛されているからではない。


「必要かもしれない」からだ。


 必要かもしれない、という保留が、彼女の幼少期の天井になる。


 天井がある部屋で育った子どもは、空を見上げても空の広さを信じきれない。


 信じきれないまま、学ぶ。


 学ぶまま、褒められない。


 褒められないまま、役割が来ない。


 役割が来ないまま、「いつか」を待たされる。


 待たされる、という言葉すら本当は違う。


 待たされているのではなく、最初から“未決定”として置かれている。


 未決定という分類。


 それが、この章のこの地点で、彼女の身体に沈んでいく。


 沈んでいく冷えが、次の節で「使われる側」という予感へ変わっていく。


 ♢


 役割を与えられないのは、捨てられているからじゃない。


 期待されていないからでもない。


 期待は、ある。

 ただ、その期待が「未来」になれない。


 未来にできないから、決められない。


 決められないまま、幼いステラは“何も任されない”場所に置かれる。

 置かれ方は丁寧だ。丁寧だから、余計に残酷だ。


 ♢


 この世界で「役割」という言葉は、優しい響きを持つ。


 役割があると、人は居場所を得る。

 居場所があると、守られる。

 守られると、安心できる。

 安心できると、普通になれる。


 でも神代魔法保持者に対して、役割は優しさにならない。


 役割は配置になる。


 配置は手順になる。


 手順になったものは、間違えられない。


 間違えた瞬間、取り返しがつかない。


 神代魔法保持者は、配置ミスが致命的だ。


 致命的、というのは本人が死ぬという意味だけじゃない。

 本人が死ぬのなら、まだ「終わり」がある。終わりがあるなら片付く。片付くなら、世界は手順で回れる。


 ここで言う致命は、片付かない致命だ。


 配置を間違えた神代魔法保持者は、世界の薄い場所に刺さる。


 刺さった瞬間、圧が寄る。

 圧が寄れば、事故が起きる。

 事故が起きれば、生活が止まる。


 水が止まり、

 灯が点かず、

 紙が回らず、

 靴音の規則が崩れ、

 誰も「原因」を指させない死が増える。


 そういう壊れ方が、起きうる。


 起きうる、というだけで十分だ。


 十分だから、大人は決められない。


 決められないから、何も任さない。


 任さない、というのは放置ではない。

 守るためでもある。


 守る、というのは愛ではない。

 事故を避ける手順だ。


 ♢


 だからステラの周りには、いつも「途中」しかない。


 手伝いはさせる。


 だが「任務」にはしない。


 家の手伝い、薪割り、井戸の水汲み、畑の草取り。

 どれも生活に必要だ。必要だから、普通の子のようにやらせる。やらせることで、普通の形を保てる。


 けれど、村の「決定」には触れさせない。


 祭の段取りを決める会議。

 誰に土地を貸すか。

 誰を徴兵に出すか。

 誰の家に補給を優先するか。

 外から来た者を泊めるかどうか。


 そういう話題になると、ステラは席の端に下げられる。


 下げられ方が、露骨じゃない。


「お使い、頼める?」

「水、見てきて」

「薬草、足りないから」


 役割を与えられているように見える。

 でも与えられているのは、決定の外側の仕事だ。


 外側の仕事だけが増える。


 増えるほど、彼女は忙しくなる。

 忙しくなるほど、中心から遠ざかる。

 遠ざかるほど、決定は誰かの手で固まる。

 固まった後に、彼女は呼ばれる。


「こうなったから、手伝って」


 手伝える。

 手伝う能力もある。

 手伝えば、役に立てる。


 でも――決めたのは、彼女じゃない。


 決めさせないのは、無能だからじゃない。

 決めさせるわけにいかないからだ。


 決めさせた瞬間、責任が生まれる。


 責任が生まれれば、次からも決めさせる流れになる。

 流れになれば、配置になる。

 配置になれば、間違えられない。


 間違えられないものを、幼い子に背負わせることはできない。


 ……という理屈を、大人たちは口にしない。


 口にしないのは、正しいからじゃない。

 口にした瞬間、彼女が「危険物」であるという言葉が形になるからだ。


 形になった言葉は、子どもを壊す。


 壊すほどの罪悪感を、大人たちは持ちたくない。

 罪悪感は感情だ。感情になれば争いになる。


 争いを避けるために、手順として、黙る。


 黙る手順の中で、ステラは育つ。


 任されないまま、育つ。


 ♢


 それは、村だけの話じゃない。


 一族が会議に呼ばれるときも同じだ。


 呼ばれる。

 答える。

 測られる。

 記録される。


 でも、決定権はない。


「どう思う?」と聞かれても、

 返答が採用されることは少ない。


 採用されたとしても、言葉の形が変わる。


 彼女が言ったことが、別の者の言葉として並び直される。

 並び直されて、無害な形に加工される。

 加工されて、最終的に“責任が中心に残る”ように整えられる。


 整えられるから、彼女は功績にならない。


 功績にならないから、役割にならない。


 役割にならないから、未来に繋がらない。


 未来に繋がらないから、子どもは夢を見にくい。


 夢を見にくい子どもは、代わりに現実を見てしまう。


 現実を見てしまうのが、神代魔法保持者の幼さだ。


 ♢


 そして、ある時――


 幼いステラは“理解してしまう瞬間”に触れる。


 それは劇的じゃない。


 儀式でもない。

 雷鳴でもない。

 血を見たわけでもない。


 むしろ、日常の最も薄いところで起こる。


 たとえば、夜。


 家の外で、大人たちが低い声で話している。


 彼女は眠っているふりをする。

 眠っているふりは、子どもの特権だ。

 特権であるほど、罪が軽い。軽いから、彼女はそれにしがみつける。


 障子一枚、薄い板一枚、布一枚。

 その向こうの言葉は、はっきりとは聞こえない。


 聞こえないのに、語尾だけが落ちてくる。


「……あの家の子は」


 名前は言わない。


 名前を言えば個人になる。

 個人にした瞬間、愛着が生まれる。

 愛着が生まれれば、判断が鈍る。


 判断が鈍るのは、危険だ。


 だから名前を言わない。


「……まだ早い」


 何が早いのかは言わない。

 言わないまま、空気だけが固くなる。


「……触れさせるな」


 触れさせるな、という命令だけが残る。


 触れさせるな、の対象は何か。

 火か。刃物か。城の書類か。毒草か。――違う。


 触れさせるな、の対象は「決定」だ。


 決定に触れた瞬間、配置になる。

 配置になった瞬間、世界が壊れうる。


 壊れうる、という可能性だけが、この家には最初から付いている。


 可能性は善悪ではない。

 可能性はただ、重い。


 その重さが、声の端で擦れる。


 そして、誰かが言う。


「役に立つかもしれない」


 役に立つ。


 その言葉は、温かいようで冷たい。


 役に立つ、という言葉には、用途が入っている。

 用途が入っている言葉は、人を道具にする。


 道具にするのに、褒め言葉の顔をする。


「……でも」


 でも、が続く。


 続いた“でも”が、音として落ちる。


「信用は……」


 信用。


 その言葉だけは、はっきり聞こえる。


 信用の続きが聞こえなくても、十分だ。


 十分だから、幼いステラの中で、線が一本引かれる。


 役に立つかもしれない。

 でも、信用されない。


 彼女はそこで泣かない。


 泣けば悲しみになる。

 悲しみになれば、慰めが必要になる。

 慰めが必要になれば、抱きしめる手が出る。


 抱きしめる手が出れば、世界は「普通」に寄ってしまう。


 普通に寄った瞬間、配置ミスが起きる。


 起きないように、ここまで丁寧に距離を置いてきたのに――

 その努力を壊すことを、彼女は本能で避ける。


 避けるから、泣かない。


 怒りもしない。


 怒りは敵を作る。

 敵ができれば戦える。

 戦える形は、救いだ。


 救いは逃げ道だ。


 逃げ道はいらない。


 だから、彼女の中に落ちるのは「理解」だけになる。


 理解は静かだ。

 静かだから、誰にも見つからない。


 見つからない理解が、彼女の骨になる。


 ♢


 幼いステラは、自分に言う。


 声にはしない。

 声にすれば、言葉が世界に固定される。固定された言葉は、いつか他人の手順になる。


 手順になりたくない。


 だから内側だけで言う。


 私は、

 役に立つかもしれないけど、

 信用される人間じゃない。


 その独白は、自己否定ではない。


「だから私はダメ」にはならない。


 ならない理由は単純だ。


 これは“性格”の評価ではないからだ。

 努力で変えられる話ではないからだ。

 善い悪いでもないからだ。


 分類だ。


 分類された存在は、信用の枠に入れられない。

 信用の枠に入れられない存在は、決定に触れさせられない。

 触れさせられないから、役割が与えられない。


 与えられないまま育つ。


 育った結果、彼女は「使われる側」になる予感を持つ。


 でも、その予感は恐怖ではない。

 悲嘆でもない。


 ただ――先に分かってしまった、という理解だ。


 理解は慰めを呼ばない。

 慰めを呼ばない理解は、ひとりで残る。


 ひとりで残った理解は、幼い体を少しだけ早く硬くする。


 硬くなるのに、強くなるわけではない。


 強くなるのではなく、「手順が増える」。


 泣かない手順。

 怒らない手順。

 希望を語らない手順。

 未来を決めない手順。


 決めない手順の中で、彼女は“未決定”として生きる。


 未決定のまま、笑う。


 未決定のまま、学ぶ。


 未決定のまま、抱きしめられない。


 そしてその未決定が、いつか玉座の前で“収束”になる。


 収束は、祝福でも呪いでもない。


 世界が壊れないための、冷たい現実だ。


 その現実を、幼い彼女は――もう知ってしまっている。


ここまで読んでくださってありがとうございます。

もう少しだけ続きますのでお付き合いください。

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