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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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172.『出自』

 

 幼いステラが「役に立つかもしれないけど、信用される人間じゃない」と理解してしまった夜から、世界は少しずつ彼女の未来を“用意”し始める。


 用意、という言葉は優しい。

 優しい言葉を使うと、そこに誰かの善意が入り込む。善意が入ると救いが生まれる。救いは逃げ道だ。


 逃げ道はいらない。


 ここで起きるのは、用意ではなく――整列だ。

 危険物の保管棚に、ラベルが貼られ、棚の奥へ押し込まれ、必要なときだけ鍵を開けられる。

 その手順が、誰かの悪意ではなく、村の呼吸の中で自然に成立していく。


 ♢


「使われる側」という予感は、悲劇の予感じゃない。


 悲劇なら、涙が必要になる。涙が必要になると、抱きしめる手が出る。抱きしめる手が出れば、世界は「普通」に寄ってしまう。普通に寄った瞬間、配置ミスが起きる。


 起きないように、ここまで距離が置かれてきた。


 だからこの予感は、泣き言にならない。


 予感は、冷静な自己分類として、骨に沈む。


 村で何かが起きる。


 起きる、というのは災害でも事件でもいい。疫病でも、飢饉でも、行方不明でも、魔物の侵入でもいい。

 起きたとき、大人たちはまず手順を回す。


 水を確保する。

 灯を増やす。

 門を閉める。

 子どもを集める。

 傷の手当てをする。


 手順は、いつも現実を救う。


 そして手順が尽きるとき、次に現れるのは“目”だ。


 目が、ステラの方を向く。


 向き方が露骨じゃない。

 露骨じゃないから、怖くない。

 怖くないのに、逃げられない。


「ステラの家に――聞いてみるか」


 そういう言葉が出る。


 聞く、という言葉が使われるのが重要だ。

 頼る、ではない。祈る、でもない。お願い、でもない。


 聞く。


 聞くというのは、情報として扱うということだ。

 情報なら、使い終わったら棚に戻せる。

 棚に戻せるものは、抱きしめなくていい。


 だから大人たちは、自然にそう言う。


 ステラの家は、いつも“最後の棚”になる。

 最初の棚ではない。最初から頼れば、そこが中心になる。中心になれば責任が乗る。責任が乗れば権限が要る。権限が要れば、位置が安定する。安定した位置は、信用の枠に入る。


 信用の枠に入れてはいけない。


 ――という理屈を、誰も言語化しない。

 言語化しないまま、ただ順番だけがそうなる。


 まず手順。

 次に軍。

 次に祈り。

 それでも足りなければ、最後に“あの家”。


 最後の切り札。


 切り札という言葉は英雄を呼ぶ。

 英雄は逃げ道だ。


 逃げ道にならない形の切り札――「取り出される札」。


 それが、幼いステラの未来の輪郭になっていく。


 ♢


 彼女は、その輪郭を“予言”としては持たない。


 予言は物語だ。

 物語は正しさを呼ぶ。

 正しさは逃げ道だ。


 逃げ道はいらないから、彼女はただ観測する。


 大人たちの声が、ほんの少し変わる瞬間を。


 自分の家に使われる敬語の種類を。

 呼びに来る足音の速さを。

 門の前で息を整える回数を。

 玄関先で視線が一度だけ逸れる癖を。


 そういう細部が、何度も反復されるうちに、予感は「理解」へ変わる。


 理解は、静かだ。

 静かだから、彼女の顔は変わらない。


 変わらないまま、彼女は思う。


 多分、私は

 選ばれるんじゃなくて、

 使われる。


 一文は、自己否定ではない。


「だから私は可哀想」ではない。

「だから私は不幸」でもない。


 ただ、分類の結果として最も自然に起きる未来を、先に受け取ってしまうだけだ。


 受け取ってしまうことは、強さじゃない。

 強さなら誇れる。誇りは逃げ道だ。


 これは誇れない。

 誇れないから、正確になる。


 ♢


 そして、その予感が確定していくほど――彼女の中に、もう一つの線が生まれる。


「使う側」にはならない。


 拒否は、叫びにならない。

 叫びは物語になる。

 物語になれば、対立が生まれる。

 対立が生まれれば、善悪が生まれる。


 善悪は逃げ道だ。


 逃げ道を作らない拒否は、もっと静かな形をとる。


 拒否は態度じゃない。

 拒否は位置だ。


「命令する側」にならない。

「判断する立場」に入らない。

「決定」を握らない。


 握れば、次からも握らされる。


 握らされれば、配置になる。

 配置になれば、間違えられない。

 間違えられない位置で、彼女がもし壊れたら――世界が壊れる。


 壊れるというより、生活が続かなくなる。


 水が止まり、灯が点かず、紙が回らず、靴音の規則が崩れ、誰も原因を指させない死が増える。


 その壊れ方だけは、避けなければならない。


 避けるために、彼女は「使われる側」から逃げない。

 逃げない代わりに、「使う側」へ行かない。


 ここが、彼女の静かな反抗だ。


 反抗という言葉すら大げさなら――設計だ。

 自分を壊さないためでもない。

 他人を壊さないための設計。


 ♢


 幼いステラは、決める。


 決め方は誓いではない。

 夜に拳を握って天井を睨むような決め方じゃない。


 もっと生活の中で、自然に決まっていく。


 誰かが喧嘩をする。

 彼女は止めに入る。

 でも「どっちが悪い」とは言わない。

 悪いと言えば裁きになる。裁きになれば、責任が乗る。


 彼女は、間に立つ。


「それ、今はやめよう」

「ここでやったら、明日が回らない」

「怪我したら畑が止まる」


 善悪ではなく、手順の話をする。


 大人たちはそれを“聞きやすい”と言う。

 聞きやすいというのは、従いやすいという意味ではない。

 従う必要がない位置にいる、という意味だ。


 それが調停役だ。


 誰も彼女を司令官にしようとしない。

 彼女も、そこへ行かない。


 行かない、という拒否を、彼女は“言葉”ではなく“癖”にしていく。


 判断を急がない癖。

 結論を出さない癖。

 誰かの肩書きを使わない癖。

 命令形を使わない癖。


 癖になった拒否は、周囲にとって扱いやすい。

 扱いやすいから、危険が減る。


 危険が減ることだけが、彼女にとっての勝利になる。


 勝利は誇りにならない。

 誇りにならない勝利は、誰にも気づかれない。


 気づかれないまま、彼女は観測者に留まる。


 観測者に留まるのは、責任を背負いたくないからじゃない。


 むしろ逆だ。


 責任を背負うなら、背負い方を選ぶ。


 背負い方を間違えれば、誰かが壊れる。

 誰かが壊れれば、世界が壊れる。


 だから、暴走しない位置を選ぶ。


 暴走しない位置――

 それは、中心ではなく、縁だ。


 縁で見て、縁で支え、縁で止める。

 中心に行って、命令で動かすことはしない。


 命令で動かすのは、いつか玉座の役目になる。

 玉座の役目は、彼女にとって“未来の事故”の匂いがする。


 だから、彼女は今ここで、拒否を習慣にする。


 ♢


「使われる側」という予感は、彼女を弱くしない。


 弱さは泣き言を連れてくる。

 泣き言は赦しを呼ぶ。

 赦しは逃げ道だ。


 逃げないために、彼女は冷静なまま、位置を選ぶ。


 多分、私は

 選ばれるんじゃなくて、

 使われる。


 だからこそ――私は、使う側には行かない。


 この二つが、同じ骨の上に並んだとき、ステラの幼少期は「ただの寂しさ」では終わらなくなる。


 寂しさにしない。

 悲劇にしない。

 英雄譚にも、復讐譚にも、救済譚にも、しない。


 分類されてしまった者が、分類の中で暴走しない場所を選ぶ。

 それだけの、静かな現実として置く。


 そしてその現実が、後に玉座の前で“立ってしまう”へ繋がる。


 選ばれたからではない。

 元から、その位置にしか立てないように――世界が線を引いていたからだ。


 ♢


 それからしばらくのあいだ、ステラは「自分が特別だ」という言葉を使わないまま生きる。


 特別、という言葉は便利だ。

 便利だから、逃げ道になる。


 逃げ道を作らないために、彼女はただ、似た温度に気づく。


 それは名前を持たない。

 持たせない。


 ♢


 村の外から、時々、人が来る。


 商人でも、兵でも、巡礼でもない。

 祈りを運んでくる人間だ。


 祈りは形を持たない。

 形を持たないから、誰のものでもない。

 誰のものでもないから、扱いが難しい。


 その人間は、決まって少しだけ周囲とズレている。


 笑うタイミングが、半拍遅い。

 視線が、壁の向こうを見ている。

 言葉を選ぶ前に、一度だけ黙る。


 黙るのは、礼儀ではない。

 黙らないと、世界の構造が言葉に割り込んでくるからだ。


 ステラは、その黙り方を知っている。


 知っているのに、声をかけない。

 声をかければ、同類になる。

 同類になれば、物語が始まる。


 物語は逃げ道だ。


 逃げないために、彼女は距離を保つ。


 ただ、分かってしまう。


 その人間が、祈りに触れやすいことを。

 触れやすいだけで、使えるわけではないことを。

 触れてしまうからこそ、普通の手順に混ざれないことを。


 祈りは、願いじゃない。


 願いなら、人のものだ。

 人のものなら、抱きしめられる。


 ここで言う祈りは、もっと構造に近い。

 誰かの切実さが、言葉になる前に溜まったもの。

 溜まりすぎて、行き場を失ったもの。


 それに触れてしまう存在は、

 世界を“意味”ではなく“層”で見てしまう。


 層で見てしまう者は、

 幸せを単純化できない。


 ♢


 ステラは、知っている。


 幸せ、という言葉が、いつも後から来ることを。


 先に来るのは、段取りだ。

 水が回るか。

 灯が点くか。

 誰かが明日も畑に出られるか。


 それが揃って、初めて「幸せだった」と言える。


 逆に言えば――

 誰かの幸せが成立する前には、

 必ず、見えない調整がある。


 その調整を、世界の側で引き受けてしまう存在がいる。


 引き受けてしまう、というのが重要だ。

 引き受けたいわけではない。

 拒否する暇がないだけだ。


 あの黙る人間も、きっとそうだ。


 だから彼は、

 笑っても、完全には笑わない。

 祈られても、救われない。


 救われないから、英雄にならない。

 英雄にならないから、被害者にもなれない。


 ステラは、その位置を見てしまう。


 見てしまう、というのは、

「理解してしまう」ということだ。


 理解は、同情を伴わない。

 同情は感情だ。

 感情は逃げ道だ。


 逃げない理解だけが、

 二人を同じ層に置く。


 ♢


 彼女は、その存在に近づかない。


 近づかないことが、拒絶ではないと知っているからだ。


 拒絶は、線を引く。

 線を引けば、善悪が生まれる。


 善悪は逃げ道だ。


 代わりに、彼女は配置を見る。


 その人間が、中心に置かれていないこと。

 だが、完全にも外されていないこと。

「必要になる可能性」だけが、周囲に漂っていること。


 それは、幼い自分と同じだ。


 名前を呼ばなくても、

 声を交わさなくても、

「同じだ」と分かってしまう。


 分かってしまうから、

 彼女は初めて、少しだけ世界を遠く感じる。


 遠く感じるのは、孤独だからではない。


 世界が、近すぎる者を

 同じ棚に並べ始めている、と理解するからだ。


 ♢


 その理解は、彼女を強くしない。


 強さは、構えを生む。

 構えは、対立を生む。


 対立は逃げ道だ。


 代わりに、彼女の中で確定するのは――

 普通から外れている、という事実だ。


 普通の幸せは、選べない。


 選べない、というのは拒否しているわけじゃない。

 拒否するなら、そこに意志がある。

 意志があれば、戦える。


 ここには戦いがない。


 ただ、席がない。


 普通の席が、最初から用意されていない。


 結婚して、

 子を産んで、

 畑を耕して、

 年老いて、

 静かに終わる。


 その流れに、

 自分の位置が組み込まれていない。


 それを、彼女は悲劇として扱わない。


 悲劇にすれば、救いを期待してしまう。

 救いは逃げ道だ。


 覚悟にも、しない。


 覚悟は誇りになる。

 誇りも逃げ道だ。


 彼女が選ぶのは、

 事実認識だけだ。


 私は、普通になれない。


 なれないからといって、

 世界を憎む理由にはならない。


 なれないからといって、

 特別になりたいわけでもない。


 ただ、位置が違う。


 位置が違うから、

 見るものが違う。

 触れるものが違う。

 触れてしまうものが、重い。


 それだけだ。


 ♢


 時間は、そこで静かに戻る。


 玉座の冷えが、再び皮膚に触れる。

 水音が、城の奥で一定の間隔を刻む。

 夜の部屋は、何も変わっていない。


 変わっていないのに、

 彼女の中の線は、もう引かれている。


 ここに座ることが、

 突然の事故ではなかったこと。


 弱さが、後から生まれたものではなかったこと。


 そして――

 同じ層に立ってしまう誰かが、

 すでにこの世界に存在していること。


 名前を呼ばなくても、

 物語を始めなくても、

 それだけは、もう確定している。


 ステラは、夜の静けさの中で、

 感情を乗せずに言葉を置く。


 それは、誇りでもない。

 後悔でもない。

 悟りでもない。


 ただ、ずっと前から知っていたことの確認だ。


「普通になれないって、

 ずっと分かってた」


 選ばれた物語は、ここにはない。

 英雄の入口も、被害者の席も、用意されていない。


 ただ――

 世界に近すぎる者たちが、

 同じ層で立ってしまう、という現実だけが残る。


 そしてそれが、

 これから始まる物語の

 すべての噛み合わせを、静かに保証していく。


今日もありがとうございます。

また明日。

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