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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
最終章【誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話】

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170/172

170. 出自-1

 

  玉座の冷えは、夜の石の冷えとは違う。


 夜の冷えは、規則だ。石が熱を奪う。奪われた熱が戻らない。戻らないから、身体は静かになる。静かになることで、言葉が薄くなる。薄くなる言葉は、逃げ道を作りにくい。逃げ道がいらない夜には、夜の冷えは都合がいい。


 けれど玉座の冷えは、規則ではない。


 規則ではなく、分類の冷えだ。


 座った瞬間に、何かが「ここにいる者」を人としてではなく、部品として数え始める。その数え方が皮膚に触れる。触れた冷えは、石の冷えのようにゆっくりではない。血の中を逆流するように早い。早いのに、熱が出ない。熱が出ないから、感情にならない。感情にならない冷えだけが、輪郭を削っていく。


 削られた輪郭の内側で、ステラは息を吐く。


 吐いた息は、白くならない。白くならないほど室内は冷えきっていない。冷えきっていないのに、冷たさだけが残る。残る冷たさは温度ではなく、立場だ。立場の冷たさは、暖炉を焚いても消えない。消えないから、彼女は火を要らないと言った。火を入れれば、この冷たさに意味が乗る。意味が乗れば、物語になる。物語になれば、誰かが救う顔をする。救う顔は逃げ道だ。


 逃げ道はいらない。


 月光の四角は、揺れないまま床に落ちている。


 揺れない光は、時間を誤魔化さない。誤魔化さない光の中で、玉座の冷えは「今の席」だけを指し続ける。指し続けるくせに、指している場所が一つではない。床の石の粒の向こうに、別の石の冷えが重なる。重なってくる冷えは、段差を持っている。角が丸い。踏まれて削れた丸さ。そこに立つ足裏の重さを、石が覚えている冷え。


 石段の冷え。


 玉座へ続く冷え。


 思い出すのではない。


 戻される。


 戻されるのは言葉ではなく、感覚だ。視線が奥へ引っ張られる。引っ張られた視線は、玉座の形を見ない。形を見れば象徴になる。象徴になれば、正しさが入り込む。正しさは逃げ道だ。逃げ道はいらないから、形は見ない。


 代わりに、“位置”だけが蘇る。


 玉座に座る者が必要で、必要な者が壊れ、壊れた席を空にできず、空にできない空気が誰かを引き寄せた――その夜の位置。


 位置は、いつだって血の方へ繋がる。


 血筋の誇りではない。


 血の「温度」へ繋がる。


 その温度は、抱かれる温度でも、守られる温度でもない。人が人として扱われる温度ではない。扱われない温度。触れられても、触れた方が手を引く温度。手を引かれるのに、罵られない。追い出されるのに、排除されない。祈られるのに、寄り添われない。


 そういう温度。


 そういう温度が、ステラの生まれた場所には最初からあった。


 ♢


 彼女の一族は、王族ではない。


 貴族でもない。


 剣を持って国境を引いた家でもない。政略で婚姻を結び、領土を増やした家でもない。血統が名誉になるような物語を持っていない。持っていないから、家の名は「誇り」として語られない。


 それでも、名前は消えない。


 消えないのは、功績があるからではない。功績があれば称えられる。称えられれば位置が安定する。安定すれば、役割が与えられる。与えられた役割は、手順の中で守られる。守られている間は、責任も権限も形になる。


 彼らには、それがない。


 ないのに、記録だけに残る。


 記録に残る、というのは――消せない、ということだ。


 消せないから、便利になる。


 便利になるというのは、必要に応じて呼び出せる、ということだ。必要に応じて呼び出せるのに、必要の外に置ける。置けるから、責任を背負わせなくて済む。背負わせなくて済むから、都合がいい。


 都合がいい存在は、信用されない。


 信用されないというのは嫌われることではない。嫌われるなら、距離ははっきりする。距離がはっきりすれば、拒絶の形が取れる。拒絶はまだ、人の感情だ。感情なら、扱いようがある。扱いようがあるものは、争いにもなるが、終わらせ方も残る。


 この一族に向けられるのは、感情ではない。


 手順だ。


 手順として、距離が置かれる。


 それが彼らの立ち位置だった。


 辺境寄りの土地。


 辺境と言っても、外敵が常に押し寄せる荒野ではない。だが中心から遠い。遠いというだけで、情報が遅れる。遅れるというだけで、誤解が育つ。誤解が育つ土地では、噂が役割を代わりに背負う。噂は便利だ。便利なものは、手を汚さずに人を分類できる。


「近い」


「触れる」


「危ない」


 そういう言葉が、火のない夜のように静かに漂う。


 一族は戦争にも政治にも直接関与しない。


 関与しない、というより――関与させられない、と言う方が正確だ。だがその言い方は、痛みの形を整えすぎる。整った痛みは、やがて正しさに変わる。正しさは刃を呼ぶ。刃は速い。速さはまた、何かを消す。


 だから事実だけを置く。


 関与しない。


 軍権は持たない。徴税の権も持たない。裁きの権も持たない。外交の印章も持たない。そういう「国を動かす権限」から、最初から外されている。


 外されているのに、無視はされない。


 無視されないのは、役に立つ可能性があるからだ。


 可能性、という言葉が柔らかいなら――「必要になったときのため」だ。必要になったときに呼び出せるように、完全には切らない。切らないくせに、近づけもしない。


 近づければ、巻き込まれる。


 巻き込まれるのが怖いからではない。巻き込まれれば、責任の所在が崩れるからだ。崩れた責任は、誰か一人に寄せられる。寄せる先は、いつも便利な場所だ。便利な場所は、都合よく切れる者にしたい。切れない者を近くに置くのは、危険だ。


 危険だから、距離を保つ。


 距離を保ちながら、名前だけは記録に残す。


 会議に呼ばれる。


 呼ばれるのは、招かれるのとは違う。招かれるなら席がある。席があるなら言葉が通る。言葉が通るなら責任が乗る。責任が乗るなら権限が要る。権限がないなら、招くという形は取れない。


 だから、呼ばれる。


 呼ばれ方は、段取りだ。


 必要な情報を出させるため。異変を測るため。兆候を確かめるため。誰かが“確かめる”ため。確かめるための呼び出しは、敬意を伴わない。伴わないから扱いが雑になる。雑になるのに、失礼ではない。失礼であっては困るからだ。失礼になれば感情になる。感情になれば争いになる。争いは面倒だ。面倒なことは、回っている手順の邪魔になる。


 だから丁寧に、距離を取る。


 丁寧に、線を引く。


 会議の席順は、いつも端だ。


 中央ではない。中央に近づけない。近づけると、責任の中心に触れてしまうからだ。責任の中心に触れれば、決定権を与えざるを得ない。与えた決定権が事故を起こしたとき、責任の回収が間に合わない。回収が間に合わないものは、世界を止める。止まるのは生活だ。


 だから端だ。


 端なら聞ける。端なら答えられる。端なら使える。端なら切り離せる。


 端という位置そのものが、彼らの生き方になる。


 決定権はない。


 意見は求められるが、採用はされない。採用されないのに、記録だけは残る。「聞いた」という事実が残る。残れば、誰かが責任を逃がせる。逃がせるから、ますます便利になる。便利な者は、ますます信用されない。


 信用されないから、政治の利益もない。


 利益がないというのは、金がないという話ではない。土地がある。作物が採れる。生活は回る。だが政治の利益がない。権利が増えない。人脈が増えない。婚姻で繋がらない。繋がらないから、支持基盤ができない。基盤がないから、なおさら権限を持たせられない。


 持たせられないのに、排除もされない。


 排除できない。


 排除すれば、別の問題が起きるからだ。反乱のような分かりやすい問題ではない。分かりやすい問題は処理できる。処理できるものは手順になる。手順になれば、終わらせ方がある。


 そうではない。


 排除した瞬間、“扱いきれないもの”が外に出る。


 外に出た扱いきれないものは、どこで何に触れるか分からない。分からないものは怖い。怖いから囲う。囲うほど近づけない。近づけないほど端に置く。端に置くほど便利になる。


 便利で信用されない。


 信用されないのに、切れない。


 切れないのに、守られない。


 守られないのに、必要になる。


 その循環が、この一族の立ち位置だった。


 ♢


 幼いステラは、その循環の中に最初からいた。


 教育として教え込まれたのではない。言葉で教え込まれるなら、理解の形が整う。整った理解は、後で物語になる。物語は立場に意味を与える。意味が与えられた立場は、逃げ道になる。


 逃げ道はいらない。


 だから、空気で覚える。


 誰かが訪ねてくるとき、家の中の音が変わる。鍋の蓋が静かに閉まる。話し声が一段低くなる。廊下を走る足が止まる。止まるのに、叱られない。叱られないまま、止まる。止まるという手順だけが、身体に残る。


 訪ねてくる者の服は綺麗だ。


 綺麗なのに、座る位置が遠い。


 遠いのに、笑っている。


 笑っているのに、目がこちらを測る。


 測る目は、子どもにも分かる。賢いからではない。温度が違うからだ。温度が違う目は、何かを数える目だ。数える目は、抱きしめない。抱きしめない目が、微笑む。


 その微笑みが、この家の扱われ方だ。


 大人たちは言葉を選ぶ。


 選ぶのは敬意ではない。危険物に触れるとき、人は言葉を選ぶ。選ぶほど距離が増える。増えた距離は形になる。形になった距離の中で、幼いステラは理解する。


 私は、ここにいていい。


 でも、ここにいてはいけない。


 矛盾は説明されない。説明されないから、矛盾は事実として定着する。事実になった矛盾は、いつか玉座の冷えに繋がる。玉座もまた、ここにいてはいけない者を、ここにいさせる装置だからだ。


 ♢


 神代魔法は、祝福ではない。


 祝福という言葉は、受け取る側に意味を残す。意味が残れば、理由が欲しくなる。理由が欲しくなれば、正しさが生まれる。正しさは便利だ。便利な正しさは、次の手順を加速させる。


 加速は、また消す。


 だから最初に否定する。


 奇跡でもない。


 奇跡は拍手を呼ぶ。拍手は救いの顔を呼ぶ。救いの顔は、痛みを整える。整った痛みは、終われる話になる。終われる話は、この冷えの上では嘘になる。


 世界を救う力でもない。


 救うという動詞は、救う側と救われる側を作る。分けた瞬間に敵味方ができる。敵味方ができると、線が引ける。線が引けると、世界は簡単になる。簡単さは、刃を早くする。


 刃は速い。


 だから、救いではない。


 それは、触れてしまう性質だ。


 意志とは無関係に、世界の薄いところへ手が届いてしまう。届く、というより、気づいた瞬間に触っている。触ったことを、本人が「触った」と認識する前に、触れている。


 世界の綻び。


 綻び、という語すら柔らかい。縫い直せそうだからだ。縫い直せる気がする限り、希望が入り込む。希望は毒だ。毒は、手順を狂わせる。


 ここでいう薄さは、構造の薄さだ。


 構造の薄さは、縫い直しでは直らない。直らないから、世界は扱い方で押さえるしかない。押さえるための区分ができる。区分ができた瞬間、それは力の名前ではなく、取扱いの名前になる。


 神代魔法は、魔力ではない。


 魔力なら量で語れる。量で語れるなら鍛錬ができる。鍛錬ができるなら努力が成立する。努力が成立すれば、話は綺麗になる。綺麗さは、逃げ道になる。


 逃げ道はいらない。


 神代魔法は、構造干渉だ。


 世界の配線に触ってしまう。触ってしまうのに、触ったことに気づけない者もいる。気づけないまま触れると、触れた先で何かがズレる。ズレたものは後から事故として現れる。事故は祝福されない。祝福されないから、これは祝福ではない。


 世界の中には、均一ではない場所がある。


 土が固い場所と、柔らかい場所があるように。岩盤が続く場所と、断層が走る場所があるように。雨が染み込みやすい場所と、染み込みにくい場所があるように。


 世界にも、圧が集まりやすい地点がある。


 憎悪が溜まる場所。祈りが溜まる場所。恐怖が溜まる場所。渇きが溜まる場所。矛盾が溜まる場所。溜まったものは、いつか噴き出す。噴き出すとき、噴き出す先は、いちばん薄い場所だ。


 薄い場所は目には見えない。


 見えないのに、踏むと分かる。


 足を置いた瞬間に、地面がわずかに沈む。沈むほどではないのに、沈む気配がある。気配があるだけで、人は無意識に重心をずらす。ずらすのは恐怖ではない。生き延びるための手順だ。


 神代魔法を持つ者は、その沈む気配を、世界規模で拾ってしまう。


 断層に近い人間。


 割れ目に近い人間。


 近いから、圧の音が聞こえる。聞こえるから、普通の人が背景として流せるものが流せない。流せないから、世界の矛盾が身体の中に入ってくる。


 入ってくるのに、器は個人だ。


 個人の器で処理できる量ではない。


 だから危険になる。


 危険なのに、本人が危険を選んだわけではない。


 杭に似ている。


 地盤の弱い場所に杭を打つ。杭は地盤を固めるためにある。固めるために打たれる。打たれる側に意志はない。杭が「役に立つ」のは、そこが弱いからだ。弱くない場所に杭は要らない。杭が必要な時点で、その場所は危ない。


 神代魔法を持つ者は、杭のように扱われる。


 杭は称えられない。


 英雄にならない。


 祝福されない。


 ただ、必要になる。


 必要なだけのものは、手順の中で管理される。


 管理、という言葉がいちばん近い。


 神代魔法は、管理対象だ。


 ♢


 だから、世界は善悪で彼らを見ない。


 善悪は納得の道具だ。納得がないと、人は眠れない。眠れないから善悪を作る。作った善悪で責任を並べる。並べれば世界は理解できた気になる。理解できた気は、危険だ。安心が生まれるからだ。安心は速度を上げる。


 速度は、殺しに使われる。


 世界の側の視点は、もっと冷たい。


 役に立つか。


 危険か。


 それだけだ。


 危険は感情ではない。危険は取扱いの区分だ。火は危険だ。毒は危険だ。刃も危険だ。危険だから使う。使うから扱いを決める。扱いを決めない危険物は、事故になる。


 事故は世界を止める。


 止まるのは生活だ。


 だから世界は区分を作る。


 神代魔法を持つ者は、「世界に触れてしまう側」に分類される。


 壊したいからではない。


 壊せてしまうからだ。


 触れてしまうからだ。


 そして――触れても残ってしまうからだ。


 ここが残酷な線になる。


 世界の薄いところに触れたら、普通は壊れる。


 壊れるというのは、肉体が死ぬことだけではない。精神が裂ける。輪郭が薄くなる。薄くなった輪郭は、圧の通路になる。通路になった瞬間、その人は個人として終わる。終わって、現象になる。


 現象になった死は止められない。


 だから世界は、触れた瞬間に壊れる者を「安全側」に置く。


 安全側とは、救われる側ではない。


 安全側とは、制御点にならない側だ。


 危険側とは、制御点になりうる側だ。


 神代魔法を持つ者は、世界に触れても壊れ切らない側。


 触れても壊れ切らない、というのは誇りではない。


 耐性でもない。


 ただ、残ってしまう、という性質だ。


 残ってしまう性質がある存在は、世界装置の前で残る。残るから、圧の逃げ先になりうる。逃げ先になれば、圧がそこへ寄る。寄れば、雑音が止まる。止まることで周囲が人でいられる。


 それは救いではない。


 制御だ。


 制御対象。


 危険物取扱いの区分。


 祝福でも呪いでもない。


 単なる分類。


 分類された瞬間、その存在は「普通」から外れる。


 外れるのは迫害のせいではない。迫害という言葉は感情を呼ぶ。感情が立ち上がれば、線が太くなる。太い線は、刃になる。


 刃は速い。


 ここで置かれるのは、もっと乾いた扱いだ。


 距離を置かれる。


 役割を与えられない。


 だが、無視もされない。


 排除もしない。


 切れないからだ。


 使う可能性が残るからだ。


 危険物は捨てられない。


 捨てた瞬間、どこで事故が起きるか分からなくなるからだ。


 だから囲う。


 囲って、触れない。


 触れないくせに、必要なときだけ呼ぶ。


 便利だが信用されない。


 その立ち位置に、ステラの一族は置かれていた。


 そして、その冷えに触れた者は――同じように距離を置かれる。


 名を呼ばれ、端に置かれ、記録だけが残る。


 玉座の冷えと、血の冷えが、同じ層で重なる。


 重なった冷えの中で、ステラは息を吐く。


 吐いた息は白くならない。


 白くならないまま、冷たさだけが残る。


 残る冷たさは温度ではなく、区分だ。


 区分の冷たさは、火を入れても消えない。


 消えないから、彼女は火を要らないと言った。


 火を入れれば、この冷たさに意味が乗る。


 意味が乗れば、物語になる。


 物語になれば、救う顔が生まれる。


 救う顔は、逃げ道だ。


 逃げ道はいらない。


 月光の四角は、揺れないまま床に落ちている。


 揺れない光の中で、玉座の冷えが、血の冷えへ滑っていく。


 滑っていくのに、涙は出ない。


 涙は感情だ。


 ここにあるのは、最初からそうだったという手順だけだ。


この章で描きたかったのは、「力」ではなく「扱われ方」です。

神代魔法を祝福や呪いにしてしまうと、物語は簡単になる。誰かの正しさが立ち上がって、読者にも逃げ道ができる。けれどステラの血は、逃げ道を許さない形で最初から“分類”されている。そういう冷えを、冷えのまま置きたかった。


玉座の冷えが、夜の冷えではなく「立場の冷え」であるように。

この一族の位置もまた、感情ではなく手順として固定されている。便利で、信用されず、切れず、守られず、必要になり得る――その矛盾が、彼女の出自の骨になります。


次は、この冷えが「幼少期の生活」としてどう染みついていったのか。

そして、同じ層に触れてしまうエルと、どう並んでしまうのか。そこへ進みます。

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