第15話
ラヴィリエと出かけた翌日の朝。
いつも通りの身支度をしてから、イグナはふと思い出した。
「……そうだ、今日も休みだったか」
習慣で職場に行こうとしてしまった。小さくため息をつき、家の椅子に腰を下ろした。そのまま、ぼんやりしながらふと思う。
(……今から、何をしようか)
昨日はラヴィリエが都市を案内してくれたから、楽しく過ごせた。
だが、今日一日、一人で過ごすといえばどうしたらいいか分からない。
昨日の夜、晩餐中にラヴィリエに聞いてみた。彼女は言葉に詰まった挙句、その場にいたメイドに意見を求めていた。
(そのメイド曰く、部屋でゆっくりしたり、散歩や買い物をしたり、ということだったが)
自分の部屋を見る。そこには備え付けの家具しか置いておらず、衣食住の最低限度しか物を置いていない。毎日使っているのはベッドだけ。この椅子に座ったのはかなり久々だ。
例外で言えば、工具。それだけは充実している。
(そうだ、工具の手入れでもするか)
工具は手入れする暇がずっとなく、大分汚れている。それを磨くだけでもいい時間潰しになるだろう。一つ頷き、工具のバッグを持ち上げて机に置く。
――コン、コン。
「ん……?」
ふと控えめに扉がノックされる音に振り返る。扉に歩み寄って開くと、そこにはバスケットを手にしたロゼリカが姿勢よく立っていた。いつもの燕尾服ではなく、白いシャツの上に黒のカーディガンを羽織った私服姿で、彼女は一礼する。
「おはようございます。イグナさん」
「あ、はい、おはようございます。ロゼリカさん――えっと、仕事ですか?」
「まさか。三日間お休みだとお嬢様が仰られたではありませんか」
首を傾げながら訊ねると、冗談だと思われたのか、ロゼリカはほんの少しだけおかしそうに目尻を緩めた。
(……冗談のつもりじゃなかったが)
前職ではあった話だ。仕事が終わり、家で寝ていると、突然部下が家を訊ねて叩き起こしてきたのだ。そのときは魔導区画以外にある魔術式が破綻。当直の作業員だけでは修復が追いつかず、魔導区画の魔技士も駆り出されたのだ。
(あのときはさすがにしんどかったな……)
夜を徹して作業を終えると、日が昇っていたのでそのまま魔導区画に出勤。その日の仕事をくたくたの身体で始めたのだった。
それを思い出していると、ふとロゼリカは部屋の中を見て首を傾げる。
「工具を広げられていますが、何を……?」
「ああ、工具の手入れをしようかと思いまして」
「休日なのに……?」
「それしかやることがなくて」
苦笑い交じりに答えると、ロゼリカは小さく吐息をついて目を細める。
「お伺いして正解でしたね」
「……え?」
「昨日の夜、お嬢様とイグナさんのお話を聞いて、今日も休日を持て余すのではないか、と少し不安になりまして。ですので、今日は私が休暇を取り、イグナさんのお休みにお付き合いしようかと思いまして」
「え……わざわざ、そんな……」
「お気になさらず。もしよろしければ部屋にお邪魔してもよろしいですか? 紅茶と簡単な軽食をお持ちしましたので」
彼女は持っていたバスケットを持ち上げる。それを見てイグナの腹が思わず鳴る。
「……もしかして、朝食もまだでして?」
「え、ええ」
いつもは職場に出勤する前、付近のパン屋で簡単なパンとスープを食べるのだ。だが、今日はまだ家から出ていないので、何も食べていない。
イグナは気恥ずかしくなりながら、どうぞ、と彼女を部屋に通す。
ロゼリカは澄ました表情で、失礼します、と部屋に足を踏み入れた。机の上にバスケットを置き、蓋を開く。
「机に広げてもよろしいですか?」
「大丈夫です。あ、工具箱を退かします」
「ありがとうございます」
ロゼリカは空いた机を手早く布で拭くと、敷物を敷き、中からカップも取り出す。続いて取り出したのは金属瓶だ。
「すみません、本当は淹れ立てをご用意したかったのですが」
そう言いながらロゼリカは金属瓶を開け、紅茶をカップに注ぐ。途端に紅茶のいい香りが部屋に満ちていく。それを丁寧に敷物の上に置くと、彼女は手で椅子を勧めてくる。
「お掛けになって下さい」
「あ、ありがとうございます。ロゼリカさんも座ってくださいね」
「はい、後ほどお言葉に甘えさせていただきます」
イグナが椅子に腰かけると、ロゼリカはその前に紙包みを置いて広げる。中から出てきたのはいろとりどりのサンドウィッチだ。
「わざわざ、ご用意していただいたのですか?」
「お嬢様のお食事を作るついでに、シェフに作ってもらいました」
「……すみません、気配りしていただいて」
「いえ、お気になさらず」
ロゼリカはそう言いながら椅子に腰を下ろし、どうぞ、と手で勧めてくる。
頷いてイルグは紅茶に持ち上げ、口に運ぶ。ここに来てからよく味わうようになった、豊かな風味の紅茶だ。じっくりと味わってからサンドウィッチに手を伸ばす。
(ん……これは)
口に入れて噛みしめた瞬間、ふんわりとしたパンとしゃきっとした野菜の食感が同時に広がる。しっかり噛めば野菜の瑞々しい味わいとパンの甘味、そして少し肉も入っているのか、脂の旨味も出てくる。思わず手が止まらなくなり、次の一つを手に取った。
「……いかがですか?」
「美味しいです。すごいな、ここまで美味しいサンドウィッチは初めてだ」
サンドウィッチは前職のとき、よく食べていた。何しろ片手で摘まめるので、図面を読みながら食事もできる。だが、そこで食べていたのはぱさぱさのパンに適当に切ったしなびた野菜と固い肉が入っていただけ。
サンドウィッチはそういうものだと思っていたが――。
「……本当に、すごく美味しいです」
別の料理かと疑うほどに美味い。気づけば三つ目のサンドウィッチにも手を伸ばしていた。思わず夢中になっていると、ロゼリカの短い吐息が聞こえ、視線を上げる。
彼女は澄まし顔で、それはよかったです、と囁いて目を細める。
(……一瞬、嬉しそうな顔をした気がしたけど)
どうやら気のせいだったらしい。イグナは紅茶に手を伸ばしながら告げる。
「シェフに礼を伝えていただけますか? こんなに美味いサンドウィッチは初めてでした。美味しい食事に感謝します、と」
「ええ、確かに。一言一句違わず伝えます」
ロゼリカは一つ頷き、失礼します、と金属瓶に手を伸ばした。やはりその表情はどことなく和らいでいるように見えて、イグナは釣られて表情を綻ばせていた。




